歌の小径の散策・その15 Dark Horse On The Wind:おおしまゆたか

ライター:大島 豊

前回、アイルランドで他とは異なるヴァージョンを歌っていたのが Landless だったのは興味深い。その元歌を録音したのは Liam Weldon (1933-1995) だった。そこで今回はウェルドンの代表作〈Dark Horse On The Wind〉を聴いてみよう。

Wikipedia の記事によればウェルドンはボシィ・バンドの母体となったバンド 1691 でバゥロンを叩き、ヴォーカルをとっている。しかし、これはあたしはまったく記憶が無い。レコードもすぐには出てこないので、確認できない。ここは Wikipedia を信用しよう。

とはいえウェルドンの歌唱は一にも二にもそのソロ・アルバム《Dark Horse On The Wind》で聴けるし、聴くべきだ。Wikipedia の記事ではその後、2枚ほどレコードないしカセットがあるが、カセットは国際流通網にはまず乗らないので、あたしは聴いたことがない。しかし、このソロ・アルバムは圧倒的だ。アイルランドの伝統歌のレコードとして、いや少なくともヨーロッパの伝統歌のレコードとして最高のものの一枚として歴史に残る。

このアルバムはドーナル・ラニィとミホール・オ・ドーナルの二人がプロデューサーに名を連ねる。だが、プロデュースというのはこの場合、バックを仕立てて歌に飾りをつけることではない。歌本来の本質がリスナーに届くよう、録音条件を整え、シンガーが実力を十二分に発揮できるよう気配りをし、どの歌を録音するかの判断をし、そして最も効果的な曲順を決め、ジャケットをデザインする。音楽はほとんどが無伴奏歌唱であって、ごくわずか、伴奏がつくものがある。このあたり、ドーナルもミホールも相手にしている音楽がどういうものか、よくわかっていらっしゃる。

ウェルドンという人は歌唄いとしての前に、人間として器の大きな人だったようだ。住んでいたのはダブリン郊外の低所得層の集まる一帯だったらしいが、そこでかれはコミュニティの中心となり、まとめ役だった、とドーナルから聞いたことがある。

この人がわが国のテレビ、それもNHKの全国放送に出たことがあることは、旧著『アイリッシュ・ミュージックの森』に書いた。古い本だし、アルテスパブリッシングから出した改訂版の『アイルランド音楽』ではこの記事は省いたので、念のため、紹介しておく。

ウェルドンが「出演」したのは1970年代初めにNHKが国際取材して製作・放映した『民族と音楽』というシリーズのうちの「アイルランド」篇である。放送自体はあたしも見ていない。この番組の取材班が書いた紀行『民族と音楽——ヨーロッパ紀行』岡崎栄・甲田常雄著、音楽之友社、1974年刊による。取材の筆頭がアイルランドで、メインの取材地はコネマラのカルナだった。こういうところを目指すというのは、それなりに下調べをきちんとしていたのだろう。その下調べの一環でダブリンにすごいシンガーがいる、ということも耳にしたと思われる。西に向かう前にウェルドンを自宅に訪ね、映像も収めた。

そこまではいい。さすがNHKと評価したいところだが、そのウェルドンが何者かというところで突拍子もない間違いをしている。何をどう勘違いしたのか、ウェルドンは「IRA の歌」をうたう「労働者」にされてしまった。1970年代初めは、ノーザン・アイルランド紛争が深刻さを増していた時期で、世界の耳目を集めることもあったが、それにしても、だ。当時にあっては、この紛争の実態や本質はそれくらいわかりにくかった、ということだろうか。

誤解される原因の一つが〈Dark Horse On The Wind〉かもしれない、と今になって思われる。これは1916年のイースター蜂起の失敗によって潰えた夢への挽歌であり、その後の共和国の姿勢を痛烈に批判する。少なくとも歌の動機はそこにあると、あたしも思う。ここで実際に蜂起したのは Irish Volunteers のメンバーで、Volunteers の残党はその後、他の組織と合体して Irish Republican Army を名乗る。このいわゆる「旧 IRA」は1922年の愛英条約をめぐって分裂し、内戦にいたって事実上消滅する。わけだが、IRA と名乗る集団はその後も様々の形で存続し、ノーザン・アイルランド紛争においても主要勢力の一つと見なされた。

歴史というのは多数の人間が関わる複雑な現象の軌跡で、リアルタイムではそのごく表面的な部分しか見えないものだ。今でこそ IRA を名乗る各種組織の跡づけもされているが、イースター蜂起を担った集団と国外にまでニュースとして広まるような暴力も辞さない集団の区別は、当時は難しかったとしても無理はない。どちらの政治的主張も似ているし、代表する利害関係も共通する。

ひょっとするともっと単純に、アイルランドと聞いて真先に連想されるのがノーザン・アイルランド紛争であり、その一方の当事者の IRA の名前だった、ということもありえる。1970年代初め、アイルランドはヨーロッパでも最貧国、特色としてはイェイツやジョイスの国という認識があればマシな方というのがわが国でのイメージだった。本の刊行が1974年ということは放送はその前で、たとえリアルタイムで番組を見ていたとしても、あたしなどはぽかんとしてそのまま忘れていただろう。

アルバムの《Dark Horse On The Wind》は1976年のリリース。聴いたのは翌年か、その翌年ぐらいではなかったか。ただただ圧倒された、という印象が長い間残っていた。凄いシンガーの凄いレコードということはわかったが、あらためて聴くのはほとんど怖かった。「ブラックホーク」でたまたまかかると聴き入るし、レコードもたぶん比較的早く買っていたと思うが、ターンテーブルに何度も載せた記憶はあまりない。

ウェルドンが “wind” を「ウィンド」ではなく、「ワインド」と発音することは最初から否が応なく気づかされた。そしてその発音が威嚇的というのは適切ではないが、それを聴くとひどく不安になった。そう発音される歌を聴いている自分のいる世界が、日常の世界からはずれているように感じたらしい。少なくとも20代の頃は。

その頃のあたしは、後になって一種の「パニック症候群」ではないかと思いあたった症状に陥ることがときたまあった。始まったのは幼児期で、年をとるとだんだん回数が減った。どういう症状か、言葉で説明するのは難しいが、中心にあるのは、自分が何か特定のしぐさをすると世界ががらりと根底から変わってしまう、という強烈な恐怖を伴う感覚である。いてもたってもいられないその恐怖の感覚に通じるものを、ウェルドンの「ワインド」に感じていたらしい。今から振り返れば、おそらくそういうことだったのではないかと思われる。

「ワインド」はいわばその感覚を生む焦点であって、ウェルドンの歌全体、おそろしくパワフルで貫通力の強い声、一語一語明瞭に発音するスタイルなど、その全体が聴いているあたしを日常世界から、運び去るというのもまた適切ではない。あたしはその場から動かないが、そのままずれている、世界から外れていると感じさせるというのが近いか。

実は今でもその感覚は残っている。この歌を聴きたくなる、というのはそう多くはないが、そういう時には、これも前に登場願った Liz Hanley のヴァージョンを聴くことにしている。完全にアメリカンの発音で歌われるにもかかわらず、うたい手は歌のキモをつかんでいるとあたしには聞える。ハンリィはアイルランド系ではないようだが、大学でミック・モローニに出逢い、その授業も受け、後に The Green Fields of America にも参加している。

音楽というのはかなり異常な行為、現象であって、ホンモノになると、聴いているその間、別世界に飛ばされるというとまたまた適切ではない、位置は動かないまま、世界が変わってしまう。先日のフォーレとシューマンのピアノ・カルテットでも体験したことだが、ウェルドンの録音にもそういう力がある。それは必ずしも快感ではなく、時に恐怖とまではいかなくても強い不安を呼びおこすこともある。しかし、たぶん、そういう不安を感じることも、人間には必要なのではないか、とも思う。それによって日常から切断されることが必要なのではないか。(ゆ)