ライター:ネットショップ 店長:上岡
さて、今回はカリフォルニアのお話です。
カリフォルニアは、アメリカの地図を広げると左下にあります。
一体何回このホームページの中で「ジャガイモ飢饉」の話題をしたのか分かりませんが、アイリッシュが自分たちの国にいられなくなった一番大きな原因は、やっぱりこの飢饉なのです。
で、それが起こったのが1845年です。(今回はわけあって、年号をきっちり表示しています)
この時代は、新天地でより良い生活を目指してやって来た人たちや、新天地に移住するしか生きる手段がなかった人たちがごちゃっとアメリカの東側にたまってたんですね。(ヨーロッパが東にあるので、自然とそうなりますね)
で、アメリカが全部平地だったら話はわかりやすいんですが、そういうわけにも行きません。
ヨーロッパ側から入植すると「内陸に行くのを阻止しまっせ!」みたいに南北に横たわる、結構なサイズ感のアパラチア山脈ってのがあるもんですから、余程の理由がないと、わざわざ危険を犯してその山脈を越えよう!とはならなかったわけです。
ですが、ヨーロッパからやってくる人は増え続けます。
新天地なのに、山の前でつっかえて、もう新しい土地が完売、求人も稀な状態になりがちです。
そんな折、ヨーロッパからやってきた組の人たちに、大きな報せが届きます。
「カリフォルニアのお山から、金が獲れたぞー!」という報せです。
時は1849年(正確には1848年〜49年にかけて)でした。
これまで移住してきた人たちの多くは農業を営む人たちで、アメリカの大地を耕しまくっていたのですが、「麦より金の方がよくね?」「西側に行ったら金も土地もチャンスも大きいんじゃね?」という雰囲気が出来上がり、特にその当時仕事があんまりなかった人たちにとっては、「余程の理由」ができまして、みんなでがんばってアパラチア山脈を越え、西へ西へと向かうことになりました。
▲金鉱山のイメージ(これは石炭)
そして、その時に仕事があんまりなかった人といえば、この金鉱山発見のほんの数年前からアメリカに一気に流れ込み始めたアイリッシュのみなさんです。
アイリッシュの人たち目線からすると、本当に暗く苦しい日々が続く中で、ようやっと新天地に渡ってきたけれど、なんか先輩面した他国からの移住者にいじめられるし、職を得るチャンスもめちゃ少ないし…、といった悲しい状況の中で降って湧いた希望のある話だったんですね。
それまでカリフォルニアには、ほんのちょびっとの人たちしか住んでいなかったんですが、そこからの十年ちょっとで爆発的に人口が増えます。
そして金鉱山で働く人たちの2割もの人が、アイリッシュだったという記録が残っているんです。(1880年ごろ)
▲鉱夫向けに作られた丈夫なジーンズ(リーバイス)はこの時期に誕生しました
後発組のアイリッシュが、大した後ろ盾のないカリフォルニアでこれだけ成功できた大きな要因は、少し前にも書いたように「英語が話せる」「英国式の政治のやり方に精通している」というスキルに加えて、何よりカリフォルニアまで根性で渡ってくる人の数が他の民族より圧倒的に多かったから、だったんです。
さらに、ヨーロッパから持ち込まれた偏見や、アイリッシュってダサーいみたいな、いけずな感じがカリフォルニアにはなかったので、そういった点でもアイリッシュの人たちには心地よかったんじゃないかと思います。
それが証拠に、アイリッシュの多い街ニューヨークやボストンよりも早く、アイルランド人市長が誕生した地にもなっているんですね。
まぁ、その後は例によってやりすぎちゃったり、横暴になっていったりした中で、掘るべき金がなくなってしまい、束の間の夢の時間は終わっちゃうわけですが、この時大挙してカリフォルニアに押し寄せた人がアメリカの西海岸文化を大きく前進させたのは間違いないでしょう。
そして、そんな人たちのことを「49ers フォーティー・ナイナーズ(49年組の人たち)」と呼んだりするんです。(アメフトチームの名前にもなってますね)
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- ネットショップ店長が2018年頃にアメリカ・カナダを旅した際のゆるーい旅行記です。文化的な面から見た現地のケルトについての小ネタを挟みながら少しづつ更新しています。