アイリッシュ・ミュージック、ケルティック・ミュージックを中心としたヨーロッパのルーツ音楽についての情報、記事、読物、レビューをお届けする月2回発行のメールマガジン「クラン・コラ」。
当ブログにて、不定期にバックナンバーをお届けします!
クラン・コラ Cran Coille:アイルランド音楽の森 Issue No.279
- アイリッシュ・ミュージック・メールマガジン 読み物編
-
Editor : 竹澤友理
October 2018
ブルターニュの至宝・フルート奏者Jean Michel Veillonの日本ツアーが始まります! その2:hatao
フランスのブルターニュのケルト音楽を演奏するJean-Michel Veillon(ジャン・ミシェル・ヴェイヨン)さんの初来日ツアーがもうあと2週間ほどで始まります。
先月号ではブルターニュ音楽とジャンさんの功績について書きました。
ジャンさんについては、たくさんのインタビュー記事がありますので、より詳しく知りたい方は、こちらをぜひご一読ください(日本語)。
https://celtnofue.com/column/musician/interview/index.html#p_brittany
私がジャンさんのことを知ったのは学生時代にアイリッシュ・フルートを始めた2000年のことでした。当時はアイルランド音楽に夢中で毎週セッションに通っており、頭の中はリールやジグでいっぱい。そんな中で、アメリカのGreen Linnetレーベルから発売されていたバンドKornogのCDを聴いたのです。
ジャンさんの名前は海外のフルート奏者のインタビューの中でもたびたび言及されており、興味を持っていました。ジャンさんのフルートはそんなアイリッシュどっぷりの私にとって、目を見開くような体験でした。
彼のフルートはアイルランドの奏者とは全く違う表現スタイルです。アイルランド音楽ではダンス音楽が主であり、リズムの装飾の美しさ正確さが命ですが、ジャンさんの音楽はブルターニュのダンス音楽でありながら、心の内面の機微を表現しているように感じました。演奏技法的には、アイルランド音楽ではあまり開拓されていないタンギングの可能性、そして東洋の音楽から発想を得た様々なフルートの新しい奏法を積極的に取り入れています。
ジャンさんは数多くのバンドで活躍していますが、特にフルートとギターのデュオが素晴らしく、シンプルかつ深みのある演奏を細部まで堪能することができます。ジャンさんにとっても、デュオはひとつのテーマであるようで、これまでYconさんとのデュオとしてライブアルバムを含む4枚のCDを発表しています。
デュオ作品として最もおすすめするのは、こちらのCDです。
https://celtnofue.com/items/detail.html?id=590
ジャンさんのもうひとつの魅力は、その音楽性の幅広さ。ブルターニュではもともとフルートが使われていなかったので、アイルランドやスコットランド音楽から演奏技術を学びました。そのためブルターニュ音楽のほかにアイルランド、スコットランド音楽の演奏も得意としています。さらに、Kornogでは東欧音楽の演奏も手がけており、今回のコンサートではどんな音楽が聴けるのが楽しみです。
ケルト音楽ファンはもちろん、フルートなど管楽器奏者は絶対に見逃してほしくないコンサートです。たくさんのインスピレーションと知識を得られることでしょう。
ジャンさんのツアーは11月3日(土)の大阪から始まります。
※イベントは終了しました
Shanachie 新作CD “She was under the tree”:大島 豊
北欧音楽を演奏するトリオ Shanachieの5年ぶりの新作が発表となりました。今回は北欧音楽を中心に、初めて完全インストのみの作品です。絵本の世界の中で物語を見ているような情感に溢れた音楽です。
ご購入はこちらから
https://celtnofue.com/items/detail.html?id=798
「どこか懐かしいアコースティックな楽器を用いた、不思議な音色に包まれて、楽しくて美しい北欧のおとぎの森へ。
ケルトや北欧の伝承音楽を、幻想的なアレンジで演奏する女性トリオ、シャナヒー5年ぶりの新譜!伝承曲からオリジナル曲まで、色とりどりの音色でファンタジックに綴る、11の物語。」
大島豊さんによるレビューが届きました。
シャナヒーを初めて聴いたのは《TIME BLUE》(2008) でした。もう十年前になる、とあらためて遠い眼になります。今の時代、十年というのはかつての30年ぐらいに相当しましょう。スコットランドやアイルランドの曲やそこに連なるオリジナルを、フィドルと笛とピアノで演奏し、思い切りとセンスの良いパーカッションが引き締めた佳作でした。当時の国産のケルト系の録音では群を抜いたアレンジの巧みさに舌を巻いたものです。そして音楽に対する大胆なアプローチにも感心しました。その代表はラストの〈てぃんさぐぬ花〉で、あえて沖縄の匂いを消し、シャープなパーカッションが拡大するより大きなスケールの中で唄いきってみせた力業は、十年を経ても色褪せません。
5年後の《LJUS》(2013) では変化の大きさに眼を瞠りました。まずピアノが消えて、全面的にハープに交替しています。そして、素材はすべてスカンディナヴィア。ここではまず3人のゲスト・シンガーを迎えての歌に耳を惹かれました。とりわけ歌詞を日本語に置き換えて唄われる2曲は、日本語化の見事さとうたい手の咀嚼消化の徹底に感服しました。全体としてもアレンジはさらに練りこまれています。スキルとセンスともに一段と磨きのかかったパーカッションが、そのアレンジを多彩にいろどります。フィドルも「声」の幅が広がり、楽曲の生まれた場所の空気を感じさせます。本人たちであれ、誰であれ、これを凌ぐ録音を作るのはほとんど不可能とも思えました。
《TIME BLUE》から《LJUS》への変化は《Celtsittolke》(2010) と《Celtsittolke Live》(2012) で少し伺えます。前者ではフィドル、バゥロン、ピアノのトリオによるシンプルな組立てで、アイリッシュを演奏。後者では〈She Moved through the Fair〉が収められていますが、ピアノからハープに交替。
《LJUS》の手応えを本人たちも自覚していたのでしょうか。さらに5年後のこの最新作では、方向を変えています。《TIME BLUE》から《LJUS》への転換に比べれば、一見(一聴?)変化は小さいようにもみえます。
素材は今回もすべて北欧です。スウェーデンやノルウェイ、デンマーク、フィンランドは、各々に音楽伝統の厚い地域で、伝統音楽の現代的展開にも熱心でもあります。アイルランドやスコットランドでもそうですが、音楽のジャンルの間の垣根が低い。とりわけ、フォーク・ミュージックとクラシック、ジャズのミュージシャンたちはおたがい相互交流しています。アバのベニー・アンダーソンは伝統音楽のアコーディオン・プレーヤーとしても知られます。スウェーデンでは1960年代から伝統音楽をジャズに取り入れる試みをしています。1970年代初め以降、ロックの洗礼を受けた若い世代による同時代音楽としての伝統音楽の展開もしてきています。
わが国のミュージシャンたちが、そうした成果に本格的に触れるのは前世紀末、デンマークのハウゴー&ホイロップやスウェーデンのヴェーセンなどを通じてですが、2010年代も後半になって、急速に関心が高まっているようにみえます。京都のドレクスキップと並んで、《LJUS》はそうした動きの先駆けでもありました。
それにしても、このアルバムでの北欧音楽の消化の徹底していることは、他には肩を並べられるものが見当りません。その消化は、精緻を極めたアレンジを施してゆくことで可能になったとも見えますし、またその消化があったればこそ、極限とも思えるアレンジができたとも思えます。あるいは各々が互いにあざないあって、どんどんと深みにはまっていったのかもしれません。
今回は歌はなく、すべて器楽曲。しかし、どの曲も実に「雄弁」です。アレンジの編み込み方は、前作と比べてもほとんど次元を異にすると言えるほどに複雑に緻密になっています。どの楽器が何をやっているのか、うっかりするとわからなくなります。例えば[02]では、ハープからフィドル、ヴィオラ、オルガンへとメインのメロディが受け渡されてゆきます。受取る前も、受け渡した後も各々の楽器はハーモニーに回ったり、裏メロを奏でたり、時にはユニゾンにもなります。どの楽器もメインのメロディを演奏していない時もあります。
こうした手法はチーフテンズのお家芸で、クラシックからの借用ですが、この録音ではチーフテンズのものがごくプリミティヴな試みに聞えてしまうくらい遙かに洗練されています。チーフテンズでは担当している楽器はユニゾンですし、渡してしまえば休みます。こちらでは、各楽器の関係も錯綜していて、簡単には追っていけません。時には眼が眩むほどですが、しかし、全体としては整然として美しい。聴くたびに新鮮な曲が姿を顕わします。クラシックの管弦楽法なら、チーフテンズをモーツァルトとすれば、こちらはリムスキー・コルサコフやラヴェルの域にあります。というよりはジャズのビッグバンドの最先端に近い。マリア・シュナイダーの音楽や、あるいはいっそカマシ・ワシントンのものにも通じましょう。
[02]はパーカッションを外していますが、[03]では多彩なパーカッションがリピートごと、フレーズごとにカラーを変えてゆきます。ここではハーディガーディも加わって、[02]とは対照的なダイナミズムあふれる演奏。
例えていえば、ビザンティンのモザイク画、あるいはモロッコの緻密華麗な紋様を思い起こします。個々の要素をとりだすと、それぞれ勝手なことを勝手にやっているようですが、全体として見ると、鮮明で美しいイメージを生み出します。
細かい役割分担と相互の緻密なやりとりを重ねて複雑精緻なアレンジを編みなし、静謐かつダイナミックな美しさをかもしだす手法は、《LJUS》の〈Marionette Halling〉や〈Sleepers, Awake!〉の後半にすでに顕れています。もっとも編み目はずっと緻密になり、生み出されるイメージの豊饒さも一段と深い。
アレンジだけではありません。スキルの点ではまずフィドル。もともと深い響きが、一種鄙びた味わいを帯びてきました。いなたいといっては失礼になるような威厳があります。[07]の後半のリードのタイム感は絶妙ですし、[06]で、ハープに対してシンプルなリフというよりいくつかの音をドローン的に置いてゆくときの響き。これはハーダンガー・フェレで、また一段と響きが豊かです。そして[10]の後半での無伴奏ソロには、自然と背筋が伸びます。ちなみに[06]ではラストにダブル・ベースが残ってメロディを奏で、鉦がリーンと相槌を打つのが粋。
パーカッションのセンスにはもともと並はずれたものがありましたが、この鉦にも顕われるように、また一皮剥けたようでもあります。時にはまるで的外れな音を一見気まぐれにはさんだりもします。それが一々、はまってゆく時の快感は筆舌に尽くしがたい。随所で入れるビブラフォンやグロッケンシュピール、あるいは[08]でビートを刻む捻ってキリキリリリという音を出すもの(すみません、無知で名前を知りません)など、ユーモアのセンスが全体を明るくします。それもあって、この[08]はユーモラスなことではアルバム随一。ちなみに楽曲の美しさでは[10]が、豪奢な愛らしさにあふれて、頭抜けています。無伴奏フィドルのソロに続く爆発するバンドのスリルには何度聴いても息を呑みます。
ハープは難易度の高いことをやるわけではありません([04]のハーモニクスを交互に入れるのは難しそうだ)が、身体にすっかり馴染んでいます。これに比べてしまうと、《LJUS》の時はまだ初々しさがみえます。ギター的にリズムをつける時のアクセントの付け方はレベルが違います。
サポート陣ではアコーディオンの活躍が目を惹きます。参加している曲では、アンサンブルの一角として、メインの3人とまったく対等にからみ合います。加えて、出番は多くないが、コントラバスがいい味。低域を支えるよりも、全体の膨らみを増します。
全体にテンポの選択がうまい。[08]の後半を除いて、アップテンポといえる曲は無く、ミドルからスローが基調ですが、参加しているミュージシャンはいずれもすぐれたリズム感覚を備え、曲の中でも自在に変化します。アルバムを通して聴いても、気持ちよく曲が流れる。
先にも触れましたが、これはフォーク・ミュージックの範疇ではないでしょう。スウェーデンでいえば、リェナ・ヴィッレマルクとアレ・メッレルが ECMでやった “Nordan” Project の手法とも違います。あそこにはまだジャズの手法を使う意識が働いています。フリーフォートは、各楽器が独立し、いわば自分の存在をぶつけ合います。シャナヒーでは、ミュージシャンの個性は明瞭ながら、たがいに最も気持ちがよくなる形の絡み方を見つけようとします。
このアルバムは1個の「芸術品」と呼ぶべきでしょうが、グリーグ、シベリウスやニールセンのようなクラシックではもちろんありません。伝統音楽を素材とし、あくまでも素材の味を活かし、何かのひな型や枠組みにあてはめるのではなく、素材の潜在性を最大限に引き出し、楽曲そのもの、メロディそのものを可能性いっぱいまで展開しています。やはり言葉の最も広い意味で「ジャズ」と呼んでいいものではないか。あるいはむしろ、これもまたフォーク・ミュージックであり、フォーク・ミュージックの可能性を極限まで拡大している、と言うべきでしょうか。
ここに生まれているものは新しいものです。それも、新しいものを作ろうとして生まれたものではない。楽曲との対話のうちから生まれています。それは聴けばわかります。何かをめざして組み立てていったものではない。対話を繰り返しながら、楽曲の、音楽の向かおうとする方へどこまでも進んでいった。ですから複雑精緻でありながら、どこにもストレスがかかっていません。ごく自然に流れています。聴き手もごく自然に気持ちよくなります。聴くほどに、楽曲の内部へ、音楽の内部へと惹きこまれます。求心的ですが、通常求心的な音楽に付随する窮屈さがまったくありません。緊張と弛緩が同居しています。
シャナヒーのアルバムはいずれも録音が優秀ですが、これも精緻なアレンジとダイナミック・レンジの広いパーカッションをしっかり捉えた録音が見事です。
Colleen Raney──アメリカで伝統をうたう試み・その14:大島 豊
アメリカのケルト系シンガー、コリーン・レイニィの録音を聴くシリーズ。今回から彼女の4枚めのアルバム《Here This Is Home》を実際に聴いてゆく。
01. Canadee-I-O 03:52
ボブ・ディランが伝統歌をうたった《Good As I Been To You》(1992) でとりあげて、一気に認知度が上がったが、そのディランが手本としたのはイングランドの Nic Jones の《Penguin Eggs》(1980) 冒頭のヴァージョンだ。手本というよりも、ほとんどそのままのコピーで、フォーク・シンガーとしての駆け出しの頃、イングランドのマーティン・カーシィなどをコピーしていたのと同じである。そのアルバムには曲に関する情報、クレジットなどがまったく無かったため、fRoots 編集長 Ian Anderson が同誌に書いたレヴューで、そのことを批難した。伝統歌の録音では、この歌は誰それの歌唱から習ったという情報を付けるのがマナーとされているからだ。おそらくディランはこれを読んだのだろう。次の、やはり同様に伝統歌をうたった《World Gone Wrong》(1993) では詳細なノートを付けたものだ。
この歌は、むしろ北米で広く唄われていたが、ニック・ジョーンズのヴァージョンがそのメロディの豪奢なことと、精緻かつダイナミックなギター・ワークで、ほとんど決定版となって、フォーク・ミュージック、ルーツ・ミュージックのシーンではこれによって知られることになった。むしろ、ほとんどジョーンズのオリジナルといっていいほど、彼の名前と密接に結びつけられている。アンダースンが怒ったのも、そのためだ。
ニック・ジョーンズは1960年代末から活動していたシンガー/ギタリストで、1970年代のイングランドのフォーク・リヴァイヴァル第二期を担った人の一人。ソロとしては5枚のアルバムがある。暖かく芯のある声と、独特のパーカッシヴなギターで伝統歌を斬新に唄い、人気を博した。そのギター・スタイルはブリテン、アイルランドはもとより、ヨーロッパ大陸にも影響を与えた。またイングランド・スタイルのフィドル奏者としての実力もあり、たとえばイライザ・カーシィなどの源流でもある。
《Penguin Eggs》はジョーンズにとっても集大成であり、キャリアの頂点を画した傑作だったが、1982年、ジョーンズは交通事故で瀕死の重傷を負う。一命はとりとめたものの、脳に損傷を受けたため、運動能力を一時ほとんど失い、一部はついに回復していない。演奏もできなくなり、音楽家としての生命を事実上断たれた。2010年に「復帰」が伝えられたが、かつてのようにはいかず、新しい録音も出ていない。《Penguin Eggs》が最新ということになる。その後にリリースされているのは、事故前のライヴ音源を集めたものだ。もっとも、その録音は探しまわる価値は十分以上にある。
コリーンもニック・ジョーンズ版をベースとしていることは、自筆のライナーにも明記されている。
内容はある船乗りに惚れた娘が船乗りと同じ船に乗って行こうとする。船乗りは娘を船乗りに仕立てて同乗させようとするが、同僚たちにバレてしまい、同僚たちは娘を海に放込もうとする。しかし船長は娘をかばい、船乗りとしてカナダへと連れてゆく。カナダに着いた娘は船長と結婚し、その後、二人は幸せに暮らしました。だから、娘さんたち、惚れた男には男装してもついていきな。
まずは最も伝承に近い形の歌唱。
Harry Upton, You Never Heard So Sweet (Voice Of The People, Vol. 21,
2012)Harry Upton, Sussex Harvest (1974)
ハリィ・アプトンはイングランドのサセックスに住んでいたソース・シンガーの一人。本職は農民。
この二つは録音が異なる。前者は1963年、Peter Kennedy による。後者は1974年 Mike Yates による。後者の方がテンポが遅く、各スタンザの偶数行の最後の音を伸ばす。メロディは前者の方が起伏が大きく、はっきりしている。メロディ、歌詞ともにジョーンズ版とは異なり、とりわけメロディはジョーンズがかなりアレンジしているのがわかる。歌唱はイングランドの良い伝統シンガーの常で、独特の威厳がある。歌詞を一語ずつ明瞭に発音する。
Tish Stubbs & Sam Richards, Invitation To North America, 1977
ハーモニカのみを伴奏に Tish Stubbs が唄う。これも Harry Upton の版。こちらでは船長による救済よりも、娘の男装に焦点があてられている。元々この歌は男装して海を渡って活躍した女たちの物語と、そうした男装の娘の一人が船長の心を射止めて成功する話が入り混じっている。恋人を追って男装して海を渡った女たちが多数いたことは史実で、中には大西洋を往復した者もいた。
このデュオは1960年代後半から活動したイングランドのフォーク・ミュージシャン。Staverton Bridge というトリオでも活動している。アルバムは「イングランドのフォーク・ソングから見た新世界」という副題の通りのもの。シンプルきわまる編成で、いかにもイングランドらしい、筋目の正しい、きっぱりした歌唱だ。
ニック・ジョーンズのヴァージョンはまずそのギターに耳を奪われる。薬指を弦に叩きつけてパーカッシヴなビートを出しながら、他の指のピッキングで繊細かつ雄大なメロディを奏でる。そして肩の力の脱けた、しかし底のしっかりしたやわらかい声。声域はバリトンとテナーの間だろうか。ドラマティックな詞を、例によって少しも劇的ではなく、湛々と唄う。イングランドのフォーク・ミュージックが生んだ、一つの究極ではある。
ディランは自身のギターのみの伴奏。歌唱も含めてデビュー当時のスタイルだが、声のコントロールはさすがに年季が入っている。
ディランがとりあげたことで、イングランドの伝統歌とはそれがなければ縁も無かったミュージシャンたちがとりあげた。
Seven Nations, Old Ground, 1995
アメリカのケルティック・ロック・バンドがセカンドに収録。ドラムレスで歌にじっくりと向き合い、ロックとしての装飾はあちこちしているが、ヴォーカルはむしろフォーク・シンガーのそれで力演。コーダでは達者なフルートも披露する。
John Wesley Harding, Trad Arr Jones, 1999
このアメリカのシンガー・ソング・ライターはニック・ジョーンズの歌唱に惚れこむあまり、アルバム1枚トリビュートした。ここでは自分の土俵に引き込み、ロック・バンドをバックとしている。本人の歌唱はしかし、精一杯、ジョーンズをエミュレートしている。こういう録音では皆そうだが、実に楽しそうに唄う。
The Duncan McFarlane Band, Woodshed Boys, 2004
イングランドのアコーディオンもいるギター・バンド。間奏にダンス・チューンのフレーズをはさむ。船乗りたちが酒場でうたっているような二人のヴォーカルがこれにのって朗々と唄いはなつ。B級だが、思い切りの良さは買える。
Rathkeltair, Durty Wullie, 2013
ベルファスト出身のシンガー、ギタリストとロンドンデリィ(ママ)出身のドラマーがフロリダ州ジャクソンヴィルで組んだケルティック・ロック・バンド。ドラマーが在籍していた Seven Nations のカヴァー。こちらはアコースティック・ギターとボンゴとリコーダーがバック。ヴォーカルはほぼ同じ。
10,000 Maniacs, Twiced Told Tales, 2015
イングランドのこのフォーク・ロック・バンドももう老舗になった。軽やかなギターとオルガン、硬いドラムスにのって女性シンガーが唄う。こうしてロック・バンドの演奏を聴いてくると、どのバンドも真向から歌詞に向き合っている。真正直に唄うようにさせる力をこの歌は備えているということか。
フォーク畑にもどろう。
Ian F Benzie, I’See The B’y, 2001
スコティッシュ・バンドの雄 Old Blind Dogs のシンガー がソロでとりあげる。のんびりしたギター・カッティングと、OBD讓りのパーカッションのサポートに妙にイナたいフィドルがアクセントをつける。本人はむしろやや投げやりに陽気にうたう。ドライなところがいい。
Eilis Kennedy, Time To Sail, 2001
アイルランド有数のシンガーの一人 がファーストでうたう。ギター、ダブル・ベース、フィドルのバック。各音節の間を等分にとり、一音節ずつを丁寧に置いてゆく歌い方。ギターもアルペジオを同様に置いてゆく。基調は明るいが、かすかに哀しみが感じられるのは、娘が船に乗るきっかけとなりながら、最後に振られる若者への想いか。
The Outside Track, Laight Up The Dark, 2015
ケープ・ブレトン、アイルランド、スコットランドの混成バンド。ドラム、ベース入りながら、フィドルとアコーディオンからハープまで入った編成で、ハスキー・ヴォイスの女性ヴォーカルが唄う。アップ・テンポの突き放した演奏だが、ミュージシャンたちの音楽への親近性はかえって強い。
Andrea Luciani, 57, 2017-09
情報が無いが、イングランドの伝統歌に惚れこんだイタリア人らしい。ギターはニック・ジョーンズとディランの中間、というよりはやはりディランの変形だろう。コードをアルペジオの繰返しで演奏する。唄も悪くなく、もう少しよく知りたいものだ。
さて、コリーンは本人はゆっくりとうたうが、バックは自身のバゥロンとギターがドライヴするアップ・テンポ。コーラスをハンツ・アラキが合わせる。ゴージャスなメロディを味わうようでもある。要所要所で明瞭に発音する。間奏からはアコーディオンも加わって、バックの厚みが増す。これがかえって緊張感を高めるのが面白い。
やはり、この1曲でスペースをとられて、以下次号。
坂本龍一が語ったグルーブについて:field 洲崎一彦
先日、YouTubeの関連動画、関連動画とめぐりめぐっている時に、とある動画に出くわしました。坂本龍一の音楽の学校の何回目かというTV番組からの動画です。これの題名が「グルーブの無いリズムの追求」というもので、ゲストが細野晴臣と高橋幸宏。そうです、坂本龍一にこの2人と来ればそのままYMOなんですね!この3人が、まさに30年以上前に世界を席巻したYMOを始めたのメンバーなんです。それで、思わず見入ってしまいました。
興味深い話がどんどん飛び出してくる。当時の最先端技術だったコンピューターでリズムを鳴らすという事がようやく実用に耐えるものになって来た時代で、最先端の音楽製作現場にマニュピレーターというコンピューターを操作する専門の技術者が加わるという事が起こってきます。
細野晴臣はその現場の前日までは、黒人音楽やラテン音楽にみられるリズムのグルーブをどうしたら出せるのかという問題に、ベーシストとして日夜研究没頭していたと語っています。が、その現場、つまりマニュピレーターの松武秀樹が拍のタイミングを数値を打ち込んで変化させるリズムを作り出したその現場で、細野、坂本、高橋の3人はいろいろなヒラメキの下にさまざまな音楽実験に没頭し始めたというのです。
彼らが真っ先にやったのは、細野が追求していたラテン音楽などの独特のグルーブを持った曲を、この松武の作り出すコンピューターのリズムで演奏することだったと言います。まったく等間隔のリズムに乗せたそれらの曲はまったく違う世界を出現させたというわけです。ここから、世界を席巻したテクノサウンドが誕生したのです。しかし、彼らはその研究の手を止めることなくさらに実験を重ね、例えば12対12という等間隔の拍を、11対13や10対14というふうに色々に変えて色々な曲をそれに合わせて演奏するというような実験を繰り広げたとのことです。
そして、10対14という間隔での拍が沖縄民謡にぴったりと収まるという事を発見し、さらに、細野が元々追求して来た、黒人音楽やラテン音楽なのど独特のグルーブもこの比率を変えることで再現できるという所に到達したそうです。
しかし、当時のコンピューター楽器、つまりシンセサイザーですが、これは音の強弱がうまく出せなかったのですが、時代が下るにつれてこれが出せるような技術が進みます。すると。坂本は拍のタイミングのずれだけではなくて音の強弱もこのグルーブの変化に関係するということに気がついて行くという話に進んで行きました。
このYouTubeではこのあたりで話は終わってしまいます。私は彼らが70〜80年代に試行錯誤した実験の内実を知って、今さらながらに驚きました。が、この後に彼らのグルーブというものに対する研究がどこに向かって行ったかという事は、もしかしたら、どこかに何らかの発表がなされていたのかもしれませんが、私は知りません。なので、この番組のTV放送の時点で坂本龍一が語っている事に焦点を絞って私の考えを述べたいと思います。
この時代の技術革新とともに以上の観察がなされた事はすごい事ですし、彼らの感性には驚嘆すべきものがあると思います。しかし、これは単に出て来た音楽の物理的な状態を観察分析したに過ぎないと思います。例えば、10対14の拍が沖縄民謡にはまるというのは物理的事実でしょうが、では、演奏者がこの10対14の拍ですっと演奏することができるものでしょうか?沖縄の地元の演奏家は絶対にそんな事は意識していないと思います。むしろ、もっと別な所に意識が行っていて、それで出した音が結果的に10対14の拍になっていたということではないでしょうか?
坂本龍一が終盤に語る、リズムのタイミングだけではなくて音の強弱もグルーブに関係していることが解って来たと。じゃあ、タイミングか強弱かどっちやねん!ということになる。演奏者はタイミングだけコントロールしていては片手落ちで強弱もコントロールするのかい?という事になる。だから、これらは、やはり結果論なのですね。
出てしまった音を物理的に分析してその形を露わにした所で、演奏者がそれを再現することはほぼ不可能というような話の流れになってしまいます。それは、結局、細野春臣がYMO前夜に日夜取り組んでいた、どうしたらラテンのグルーブが出せるんだろうという探求に対しては何の答えも出していません。
私は、アイリッシュ音楽というほぼ原始的な構造を持つ音楽と接してきて、このような結果論的観察が、演奏という局面に対しては何の役にも立たないということを痛感してきました。おそらく、それは、アイリッシュ音楽に限ったことではなくて、すべての音楽に共通する事だと自分では思っています。ただ、私がこれに気づいたきっかけが色々で複雑な要素を持たないシンプルで原始的なアイリッシュ音楽だったというのは非常に大きかったのだと思っています。
だからこそ、日本でアイリッシュ音楽をやっている人達こそが是非この事に気がついて欲しいと切に願うのです。
音楽は音を出す直前までですべてが決まるのです。出てしまった音は、どんなに物理的に分析してもYMOの人達の発見の方向性を越えることはできない。また、その分析結果は人間業で再現できるようなものではない。
だから、私がよく使う表現なのですが、今、日本で行われているアイリッシュセッションは、流れているベルトコンベヤーの上に次々と適切な音を皆で並んで置いていく工場の作業員のような動きではないんですか?と。本当は目の前のベルトコンベヤーは勝手に動いているわけではないのです、それぞれの演奏者が自分の力で動かさないとそれは音楽にはならない。そして、この自分の力で動かすという所にこそ、グルーブを生むすべての要素が集約されています。
どんなに、楽器を巧みに操る演奏者であっても、ただ、音を置くだけの演奏にはグルーブもくそもありません。ヘタをすると音楽にもならない。が、しばしば、その不思議な演奏を西欧人には奇異に映ってそこにオリジナリティーがあると良きに解釈してくれるというような場面も出現するかもしれません。
そして、前述のYMOの3人が取り組んでいた試み。確かにこれは西欧人達にはあり得ない発想だったのかもしれません。だから、YMOが世に出た時に西欧の人達はそこにとてつもないオリジナリティを感じて大いにウケたのだと思います。YOMがやった事は、つまりこうです。ベルトコンベヤーを機械で動かした。
確かに、これなら、自力でそれを動かす事を知らない日本人の独壇場かもしれません。片方で、ベルトコンベヤーは自分で動かすものだという発想から逃れられない西欧人達は目の前でそれが自動的に動き出すということがどれほど奇異に映ったかというお話しなのではないでしょうか?
当時は、日本の音楽が西欧に通用した!というような大々的な扱われ方をしたものですが、さて、それはどうだったのでしょうか。
ただし、今や30年前とは違って、コンピューター音楽はまったく普通なものになって来ています。30年前には突然で面食らった西欧人達も、動いているベルトコンベヤーをさらに自分の力で加速させたり減速させたり自由自在に力を加える術をすっかり身につけてしまった。ということは、かつては、ベルトコンベヤーに慣れていたという優位性を発揮した日本人なのに、またマネできないような音楽を彼らが作り出してしまうという世界になってしまった。つまり、YMOはもうすっかり歴史の事件でしかなくなってしまったということなのではないでしょうか。
さしずめ、今ではベイビーメタルということになりますね。これが何故今西欧にウケているのか。このあたりを一度よく考えてみるとまた面白いものが見えてくるかもしれません。(す)
オーケストラアレンジで聴くケルト・北欧の伝統音楽 第10回 アイルランド狂詩曲:吉山 雄貴
https://celtnofue.com/blog/archives/5167
ざっくり学ぶケルトの国の歴史(17)独立する直前のお話:上岡 淳平
イースター蜂起って大きな事件以降、アイルランド国内で大きな揉め事が勃発、ついに英国も重たい腰を上げて条約を結び、休戦にこぎつけた…わけだけれど、英国=アイルランド条約の内容は、英国が出したギリギリの妥協案だった。それは北側(アルスター地方)の数州を除いて、ほとんど独立国と同じ待遇にしてあげるけど、あくまでも英国統治下に入ってるからね、という内容だった。
その条約を巡って、今度はアイルランド人同士で争いが起きた。それほど長くはかからなかったけれど、マイケル・コリンズなどの有能な人材や多くの国民を、国民自らの手によって失った。その代償の上に条約賛成派が勝利をつかみ、アイルランド自由国(in英国)が成立した。
そんな難しい状況の中で大統領に就任したのがイーモン・デ・ヴァレラというおじさんだった。そしてアイルランド政府として、英国とは違う方針を立てようと苦心した。それでも英国政府が比較的協力的だったこともあって、少しずつ独立に向けて歩んでいた・・・矢先に、今度は第二次世界大戦が起きた。
でも今度の戦争はアイルランドと英国の差別化に一役買った。それはアイルランド自由国は、英国とは違う方針を立てようとしていたため、戦争に全く手を貸さなかったんだ。(英国やアメリカはもちろん激怒)でも北アイルランドは英国として戦争に参加した。この行動は戦勝国からは問題視されたけれど、それ以上に英国とアイルランド自由国が別の国だということを世界に知らしめた。(反面アイルランドと北アイルランドの溝も深まったんだけどね)
そして、1949年4月。ついにアイルランド共和国が正式に成立し、悲願の独立国達成に国中は沸いた。(もちろんアルスター地方の北アイルランドを除いて)
というところで、ケルト音楽を文化的・歴史的な側面から見てみようと、まさかの紀元前からはじまったこのシリーズも現代までたどり着きました!あと少しだけ余談の回がありますが、お読みいただきありがとうございました。
編集後記
秋の気持ちのよい気候、音楽関係のフェスやイベントも多く開催されていますね。先日はFlookのコンサートに行ってきました。Flookを見るのは4回目になるかと思います。最初は最も印象深くて、2001年にアイルランドの西のはてのDoolinの小さなカフェで。その次は名古屋のカルチャーセンターのような会場でした。僕の青年期のヒーローが、こうして今も第一線で活躍していることが嬉しいです。そして確実に進化して、ますます神がかってきました。
そうそう、ヒーローといえJean-Michel Veillonさんも、僕にとっては一大事です。フルートを吹く人で彼を知らない人はいないというほど、世界のトップ奏者の一人。すごいものを目撃することになるでしょう。
ぜひ、ご来場をお待ちしています。
クラン・コラ:アイルランド音楽の森(月2回刊)
★クラン・コラでは読者の皆さまから寄稿を募集します。ケルト音楽やヨーロッパの伝承音楽について、書きたいテーマでお寄せ下さい。詳しくは編集部までご連絡ください。
- クラン・コラ:アイルランド音楽の森(月2回刊)
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発行元:ケルトの笛屋さん
Editor : 竹澤友理*掲載された内容を許可無く転載することはご遠慮ください。
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「クラン・コラ」とは
日本のケルト音楽普及に尽力されたライターのおおしまゆたか氏と、京都でアイリッシュ・パブ feildを経営する洲崎一彦氏が編集し発行されていた、国内におけるケルト音楽の情報を網羅したメールマガジン「クラン・コラ」。
2011年に一度休刊しましたが、5年の沈黙を経て2016年に復刊!
編集・発行をケルトの笛屋さんが引き継ぎ毎月2回のペースで発行中です!
メールマガジンの内容
毎月2回、10日・20日に発行しています。
10日発行のPart 1は「情報編」として、発行日近くに行われる国内のケルト音楽ライブ情報をぎっしりと掲載!また、コンサート、ライブ情報の掲載依頼も随時募集しています。
20日発行のPart 2「読み物編」では、アイリッシュやケルト音楽・文化にまつわる話題お届けしています。クラン・コラの創刊者のおおしまゆたか氏、洲崎一彦氏をはじめ、さまざまな連載陣(店長含む)やゲストライターによる濃密で読み応えのあるメルマガとなっています!
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