アイルランドのナショナル・ハープ・デー


出典 https://blog.mcneelamusic.com/

アイルランドの楽器メーカーMcNeelaが公開しているブログ記事の中から、最もアイルランド的な弦楽器と言われているハープを称えるイベント「ナショナル・ハープ・デー」についてまとめた記事を当店でおなじみの翻訳家・村上亮子さんの翻訳でお届けします。

原文:https://blog.mcneelamusic.com/2018/10/19/la-na-cruite-national-harp-day-20th-oct-2018/

アイルランドのナショナル・ハープ・デー

10月20日土曜日はアイルランドのナショナル・ハープ・デーです。(訳者注:これは2018年の記事。2021年のハープ・デーは10月16日。)この日には、最もアイルランド的な弦楽器と言われているハープを称えるために国中で様々なイベントが行われます。

ハープはアイルランドの国章に使われていますが、アイルランドで1000年以上も前から使われていること思うと、当然のことと言えます。

15世紀頃まで、十分な収入のある高貴な人々は身近にお抱えのハープ奏者を置いていました。彼らは音楽を奏で、吟遊詩人の詩にメロディーを添え、時には主と共に馬で出かけたりもしました。言い伝えによると、1002年から1004年までアイルランドの上級王であったブライアン・ボルーは優れたハープ奏者だったそうです。

現存している一番古いハープの1つはブライアン・ボルーのハープと呼ばれ、ダブリンのトリニティ・カレッジのロング・ルームに展示されています。実際は14世紀~15世紀のものですが、誤ってブライアン・ボルーのハープだと思われ、そう名付けられました。


出典 https://blog.mcneelamusic.com/

▲ブライアン・ボルーのハープ、ダブリンのトリニティ・カレッジ

ハープはアイルランドとのつながりが強く、非常にアイルランド的なものなので、16世紀にはエリザベス一世によって禁止され、違反したハープ奏者は捕らえられ絞首刑にされました。ハープとアイルランドの反乱には強い関わりがあったのです。ハープが衰退していったのは自然な成り行きでした。次の時代にはクロムウェルがアイルランドにある全てのハープとオルガンを破壊しました。ハープ奏者が集まることは徹底的に取り締まられ、その結果ハープを演奏することはほとんどなくなり、その時代まで演奏されてきたハープ音楽は修復不能なまでに失われてしまいました。

1792年にハープの運命が決定的に好転し、今ではずっといい状況になりました。隠れたハープ奏者を見つけ出し、口承で伝えられてきた音楽を回復させる試みが始まったのです。19歳のオルガン奏者エドワード・バンティングEdward Bunting が曲の書き取りをゆだねられました。彼はその仕事に熱中し、1840年には、音楽的にも意味深く、価値も高い書籍、「アイルランドの古い時代の音楽」”The Ancient Music of Ireland” が発行されました。古い時代のハープ音楽と演奏のための注意を集めた比類なき作品です。

元々ハープを表すアイルランド語はクリットcruitで、のちにクラルショックclairseach となりました。

今日、アイルランドのハープ奏者の集りを「ハープ・アイルランド」Cruit Éireannと呼んでいます。アイルランドでは現在1200人以上のハープ奏者がいて、「ハープ・アイルランド」や「歴史的アイルランド・ハープ協会」The Historical Harp Society of Irelandなどのおかげで、誇り高いアイルランドの伝統は生き返り、栄えています。

ナショナル・ハープ・デーには国中で40以上のイベントが行われ、お住まいの地域でもイベントがあるでしょう。詳細はハープ・アイルランドのウェブサイトをご覧ください。

ハープをやってみようと思われるのでしたら、私達マクニーラ楽器店にご連絡ください。

最初の写真は盲目のハープ奏者、ターロック・オキャロランの像で、彼の故郷ロスコモンにあります。オキャロランは18世紀の有名な作曲家、ハープ奏者で、彼の曲は今もよく演奏されています。

https://www.facebook.com/cruiteireann

https://www.youtube.com/c/HarpIreland

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