ハープの歴史

「ハープの歴史」についてまとめられた記事「Harp History – Alison Vardy Harpist – Alison Vardy – Celtic Harpist」を当店でおなじみの翻訳家・村上亮子さんの翻訳でお届けします。

原文:Harp History – Alison Vardy Harpist – Alison Vardy – Celtic Harpist

ハープの歴史

黎明期のハープ

ハープは知られている中で最も古い弦楽器です。「ハルパ/アルパ」“harpa”、「ハープ」“harp”は、アングロ・サクソン、古ゲルマン、古スカンジナビアの言葉で「指先ではじく」という意味です。13世紀には、この言葉は竪琴ではなくて三角形のハープを指していました。金属の弦を張った楽器を表す初期のゲール語は“cruit”で、その言葉は1200年頃までは明らかにハープを指していました。後にスコットランドやアイルランドで「ケルティック・ハープ」を指すのにclarsach や cláirseachが使われました。15、16世紀のスコットランドの記録では、「ハープ」“harp”と「クラルザッハ」“clarsach”が同時期に使われていて、ガット弦のヨーロッパ式ハープと金属弦のゲール(ケルト)のクラルザッハが区別されていたことを示しているようです。今日では、ゲールのハープはアイリッシュ・ハープ/ケルティック・ハープ/フォーク・ハープ/スコテッシュ・クラルザッハ、あるいはモダン・レバー・ハープという名で知られています。多くのフォーク・ハープの弦はナイロン、金属、ガットまたは人造ガット(カーボン・ファイバー)の弦を組み合わせて使っています。真鍮弦のハープは今もケルト圏で使われています。

ハープの起源


ピクト人の彫刻、8世紀頃

最初のハープがどこで作られたのか誰も知りませんし、有史以前のハープの音楽がどんなものだったのかも決して知ることはできません。最も古い記録はフランスで発見された壁画に描かれたハープ風の絵で、紀元前15,000年頃のものです。一般に狩人の弓がたてる音からハープが生まれたと信じられています。エジプトでは5000年前のファラオの墓から弓型ハープの絵が幾つか見つかっています。これらの絵は古代エジプトに多くのハープがあったことを物語っています。エジプトのファラオ、ラムゼスⅢ世(1198~1166BC)の墓には多くの弓型ハープが描かれています。新王国時代のハープは縦約2メートル、19弦で、立奏または座奏でした。

古代アッシリアやメソポタミアでもハープはよく使われました。バビロニアの寺院で発見された壺にハープの絵が描かれています。これらのハープは角型で12弦から15弦で、ほぼ同時代のエジプトで使われた弓型ハープとよく似ています。角型ハープは現代のハープに進化していく次のステップとなっていますが、前面に来る支柱(pillar)がない点で今日のハープとは異なっています。チューニング・ペグが下にあって、現在の演奏方法とは逆になっていました。

中東の竪琴(Lyre ライア)

ライア型ハープあるいは竪琴Lyreとして知られるアームが2つある縦型のハープは、紀元前2800年頃に古代サマリアに現れました。最も古いハープの彫刻は、フェニキアで発見された紀元前3000~2800年の大理石のハープ像です。ギリシャでの竪琴の発展は、数学的音階の発展と重なっています。紀元前6世紀にはピタゴラスが数学の比と音楽の音階が呼応していることを発見しました。ギリシャ人は風鳴琴(Aeolian harp、アエオロスの琴)を発明したことでも知られています。

ローマ

古代ローマは他の古代文明と比べて音楽を高く評価していなかったようです。ローマ帝国の没落と共に音楽は死に絶えたようで、その後500年、歴史の中で音楽に触れることはほとんどありませんでした。ローマ没落後の初期のヨーロッパ社会では、キリスト教化以前のガリアで竪琴の刻印されたコインが発見されています。一般的にハープや音楽文化は暗黒時代には消滅してしまったようでした。この数世紀は秘密のベールに閉ざされています。

西ヨーロッパの竪琴

この秘密のベールに閉ざされた数世紀の後、三角形の中世ハープに先行して、再び竪琴が西ヨーロッパ文明に現れてきました。4世紀にはキリスト教会の礼拝で、グレゴリオ聖歌よりも古い修道士の発声法が使われていました。修道士の祈りにはハープの伴奏が好まれました。ハープは初期の教会で許された数少ない楽器のひとつで、角笛、太鼓、鳴子などは悪魔の楽器とみなされていました。5世紀にはローマ法王の音楽学校がアイルランドに設立され、ここで竪琴が教えられました。イングランドのサフォークで発掘された7世紀の埋葬船の中から、6弦竪琴の一部が発見されています。ドイツやイングランドでは、サクソン人やフランク人の墓から5世紀~10世紀のゲルマンの竪琴の一部が見つかっています。

三角ハープ

いつ、どのようにして三角フレーム・ハープの支柱が使われるようになったのかはわかりません。9世紀初頭のユトレヒト詩篇に三角フレーム・ハープの絵が見られます。おそらく初期キリスト教時代にハープの支柱ができて、それが現代のハープへ発展するきっかけになったと思われます。この支柱が2つの問題を解決しました。ハープを作る時に弦の張力を上げても楽器が壊れにくくなりました。さらにチューニングが容易になります。1つの弦の張りの強さを変えても、他の弦の張りに影響を与えなくなったからです。ハープにさらに多くの弦を張り、より高い張力を与え、音量や音色を改善することができるようになりました。

中世及びルネッサンスのハープの歴史

古代ケルトの体制の中では、ハープは貴族社会の楽器で、宮廷や部族の長の前で演奏されました。ハープ音楽はケルトの文化、伝説、民間伝承の中で重要な役割を担っていました。13世紀に封建制が最高潮に達した頃、トルバドール(吟遊詩人)が現れました。ヨーロッパのハープ奏者は小さなハープで自らの歌の伴奏をし、物語を語り、世の中の出来事を伝えて町々を巡り、あるいは楽団の中で演奏して、それを生業にしていました。ハープ奏者は族長や王に次ぐ地位で、時に助言者として仕え、軍隊を戦場に導きました。武器は帯びず、敵からも認められ敬われ、一般に危害を加えられることはありませんでした。

封建時代には吟遊詩人が活躍し、ハープに新しい改革が起こりました。この時代の中世ハープは演奏者の膝に乗るほど小さく、弦は7~25本で、多くは1本の丸太から彫り出された狭いサウンドボックスが付いていました。中世ハープは金属弦のようですが、ガットや動物の毛や植物性のものも使われていました。11~12世紀にはネックの上の部分がいわゆる「ハーモニック・カーブ」と呼ばれる曲線を描くようになってきました。これは弦の長さを周波数、音高とより一致させるためです。この時代の楽器については他にはあまり知られていません。

ゴシック・ハープ

14世紀中頃~16世紀、ゴシック・ハープの名で知られる大きなハープが現れました。このハープは24本前後のガット弦が使われ、前の時代のハープと比べると比較的大きく、後の時代のルネッサンス・ハープの元祖となりました。ルネッサンス・ハープは、弦が2列に並んだイタリアの「アルパ・ドッピア」、スペインのルネッサンス・ハープやクロマチック・ハープに進化しました。これらのルネッサンス・ハープは、やがてラテン・アメリカのフォーク・ハープ、中央ヨーロッパの「オーケストラ/ペダル/コンサート・ハープ」そして多分、「島々の」「アイリッシュ/ケルティック・ハープ」になりました。

現代の基準からすると、それでも小さくて軽いのですが、ゴシック式のハープは中世後期からルネッサンス時代にかけて、ヨーロッパのハープの基準になりました。ガット弦が使われ、今日私たちが慣れているのと比べるとずっとゆるく張られていました。初期のものは19~22弦で、後期のもの(初期ルネッサンス・ハープとして知られている)は大きくて26~30弦でした。それらは全音階に調弦され、概ねサウンドボックスは厚板をくり抜いたもので、コンソートでよく一緒に演奏されるリュートと補完し合う特徴的な音をしていました。

ワルトブルク単列ゴシック・ハープ(1350~1450頃)(注:リンクは訳者による)は19世紀半ばにドイツ、アイゼナハのワルトブルク博物館のために入手されたものです。これは一説にオズワルド・フォン・ヴォルケンシュタイン(1377~1445、チロル)のものだったと言われています。このハープはチェルトジーナ象嵌で美しく装飾され、26本のガット弦で、各弦の根元にはbraysが付いていて半音上げることができました。胴は1木から彫り出されたタイプで素材はカエデで、高さは109㎝でした。

ルネッサンス・ハープ

ルネッサンス後期には、様々なタイプのゴシック/ルネッサンス・ハープが使われていました。単列のルネッサンス・ハープはいまだに1オクターブ7音つまり全音階(ピアノの白鍵)しか弾けませんでした。16~18世紀の主な作曲家は12の音全部(ピアノの白鍵と黒鍵)を必要としていて、それに応える1つの方法はクロマチック・ハープつまりオクターブに12本の弦のあるハープでした。クロマチック・ハープは16~17世紀にスペインで作られました。弦が2列に並んだダブル・ハープは1581年に作られました。まもなく弦が3列になったトリプル・ハープが現れました。外側の2列はダイアトニックで、中央の列に#や♭の音が並びました。ダブル・ハープやトリプル・ハープは今もウェールズの伝統に残っています。

イタリアの2列弦のルネッサンス・ハープ(1675頃)は2列の弦が平行に並び、クロマチック(ピアノの白鍵と黒鍵)でした。サウンドボードはカエデ材から彫り出され、5枚のクルミ材の板が後ろにつき、すべてガット弦で52音のクロマチックでした。


初期のイタリアの2列弦ハープ
2列弦の「ボローニャ・ドッピア」。ボローニャ中世博物館のドッピアの複製。1600。Eric Early Harps(注:リンクは訳者による)


初期の3列弦のハープ
イタリアの3列弦のバルベリーニ・バロック・ハープ。アントニオ・バルベリーニ枢機卿のために作られたハープの複製。ローマ。1635。Eric Early Harps

イタリアのアルパ・ドッピアは後期ルネッサンスから初期バロック時代の3列弦のハープで、中央の列に26本のクロマチックの弦、右側に24本の高音、左に24の低音の弦がありました。胴は固い木の板で組み立てられ、サウンドボードはカエデ材でした。

スペインのハープ

初期のスペインのハープは単列弦かクロスした弦で、一般に29弦でした。単列弦のハープは半音のためにネックの所にフレットをつけたかもしれません。クロス弦のハープは、ダイアトニック弦(ピアノの白鍵)とクロマチック弦(ピアノの黒鍵)が交差してXの形になっています。こうやって、半音も含めすべての音が両手を使って弾けるようになりました。サウンドボードはギター似ていて、トウヒ材で補強のための筋交いがあり、良い音がします。

金属弦のハープ

金属弦のハープ、つまり古いタイプのアイリッシュ・ハープは、現在民俗音楽で使われるレバー・ハープの先祖かもしれませんが、厳密にはそこから発展したものではありません。これらのハープは金属弦(真鍮、鉄、銀、金)で胴は1つの柳の木材から彫り出されていました。後期ルネッサンス時代のヨーロッパ各地からもたらされた技術革新が、日本で発明されたレバーの仕組みと一緒になって、現代のケルティック・ハープとなりました。

パラグアイのハープ


パラグアイのハープ

1600年代に、スペインの、あるいはルネッサンスのハープと呼ばれたものは、イエズス会の宣教師によって新大陸にもたらされ、全く違った発展を遂げました。現地の人はこの楽器に魅了され、改良を加え、自身の文化の一部として取り入れました。ベネズエラのハープ、メキシコのハープ、リャノ(大草原)のハープなど、ラテン・アメリカには様々なハープがあります。ほとんどすべての南アメリカの国が自国独自のハープを持っています。構造も演奏テクニックも、これらのハープはヨーロッパのハープとは大きく異なっています。杉や松の薄い板で作られ、ヨーロッパのハープよりずっと軽量です。弦はネックの中央についていて左右対称で、その結果構造的には負担が少なくなっています。やがて半音上げるためにtacitos が使われるようになりました。演奏スタイルとテクニックはヨーロッパのハープの柔らかな音に比べると、明るくダイナミックです。現代のパラグアイのハープは概ねナイロン弦36本でダイアトニックに調弦され、指の爪で演奏します。音色は明るく、はじいた後の残響時間は短くなっています。

ケルトのつながり

民間ではハープをヨーロッパにもたらしたのはアイルランド人だと信じられています。学者たちの中には、ハープはキリスト教以前にフェニキア人によって商品としてエジプトからヨーロッパに運ばれたと信じる人もいます。フェニキア人のたどった道筋はハープの分布やハープが受け入れられた状況でたどることができます。様々な形のハープ(西アフリカのコーラ)は地中海から北ヨーロッパ、アフリカ沿岸からマダガスカル島まで存在しています。ハープも綿々と続くインド・ヨーロッパ語族の大移動で南西アジアからヨーロッパにもたらされたのかもしれません。

宮廷の楽器


トリニティー大学のハープ
ダブリン


メアリー女王のハープ
アンティーク博物館、エジンバラ

10世紀以来、ハープそしてケルティック・ハープによる音楽は、アイルランド人のナショナリズムの象徴となりました。11世紀の終わりごろ、ウェールズのグリフィス王は宮廷にハープ奏者を抱えていました。12世紀の終わり頃の手書きの絵には、さらに進化したデザインのハープが描かれています。その頃にはアイルランド人は真鍮や青銅の弦のハープを弾いていました。15世紀の記録では「ハープ」と「クラルザッハ」という語がほぼ同時期に使われていて、ガット弦のヨーロッパのハープと、金属弦のスコットランドやアイルランドのクラルザッハは明確に区別されていたようです。

現存しているスコットランドやアイルランドの最古のハープはおよそ15世紀までさかのぼります。トリニティー大学に保管されているハープはアイルランドの国宝で、アイルランドの紋章になっています。アイリッシュ・ハープの独特な形はアイルランドのコインやギネスビールの瓶でおなじみです。イングランドのヘンリー8世は、アイルランドの支配を確立して、アイリッシュ・ハープをコインに刻印させました。何世紀にもわたってハープはアイルランドの生活の不可欠な一部でした。アイルランドの旅するハープ奏者が反乱の中心にいるということは知られていて、ハープは禁止されることになりました。盲目のハープ奏者ターロック・オキャロラン(1670~1738)は数百もの曲を作曲し、その多くは今もよく演奏されています。

イングランドによるハープの禁止

1600年代に始まるイングランドがアイルランドを支配した時代は、アイルランドのハープ奏者にとってはつらいものでした。民俗音楽、宮廷音楽で使われたハープは、民族主義の復活を恐れて禁止されました。ハープは焼かれ、ハープ奏者は処刑されました。ハープの伝統が18世紀末に途絶えたことには多くの原因があります。アイルランド(およびスコットランド)文化のイングランド化、ステップ・ダンスやフィドルの人気、そしてクラシック音楽で必要な臨時記号がハープでは演奏できないこと。クラシックはこのバロック時代、ダブリンやエジンバラでも人気が出ていたのです。ウェールズにおいてのみ、フォーク・ハープの伝統は生き続けました。

エドワード・バンティングとオキャロラン

18世紀の終わりごろまでに、伝統音楽のハープ奏者はほとんどいなくなってしまいました。ハープ音楽は口伝えに伝えられてきましたから、ハープ音楽はほとんど残りませんでした。1792年に、この音楽を救うための最も重要な試みが行われました。古いハープの伝統を守り復活するために、ベルファストでフェスティバルが行なわれ、新聞広告が出され、アイルランド中のハープ奏者に参加して、賞金を競うように呼びかけたのです。しかし15歳から97歳まで、たった10人のハープ奏者しか見出されませんでした。19歳の教会のオルガン奏者、エドワード・バンティングが記譜するために雇われましたが、ほとんどがメロディーだけで、左手のパートはありませんでした。バンティングはフェスティバルですっかり夢中になり、人生をかけて伝統音楽を収集し、1797,1809、1840年に3冊の曲集を出しました。バンティングは曲だけでなく、ハープ奏者から聞いた伝承や技術的な知識も集めました。今残っているオキャロランのメロディーは、この収集によるものです。他にはほとんど残っていません。このことが歴史上の大きな空白になっています。ハープが実際どのように演奏されたのかほとんどわからないのです。

現代のケルティック・ハープの奏者

失われたハープの伝統をよみがえらせるために、多くのハープ奏者が力を注いでいます。特にケイス・サンガーKeith Sanger とアリソン・キナード Alison Kinnairdはスコットランドのケルティック・ハープについて素晴らしい情報をたくさん見出しました。20世紀後半、シルビア・ウッズSylvia Woodsのような北アメリカの旅するハープ奏者の復活がケルティック・ハープへの関心を再燃させました。チーフタンズとそのハープ奏者デレック・ベルDerek Bellの世界的な成功は、アイルランドだけでなく西欧世界でフォーク・ハープの復活につながりました。伝統的なアイリッシュ・フォーク・ハープの製作者も増え始めてきました。その前の時代はアイルランドでさえオーケストラ・ハープしかなかったのです。ここ数十年、デレック・ベルDerek Bell、アン・ヘイマンAnne Heyman、アリソン・キナードAlison Kinnaird、パトリック・ボールPatrick Ball、モイラ・オハラMoira O’Hara、アラン・スティベルAlan Stivell、キム・ロバートソンKim Robertsonのような奏者が素晴らしいレコードを出して、ハープの人気は上がっています。今日、アイリッシュ・ハープは再びアイルランドの、また世界の文化の重要は一部になっています。


筆者(アリソン・バーディー)が所有するハープ。
サンドパイパー・ノヴァ・ケルティック/ブレッシュ・ケルティック/ウェディ―・ケルティック/パラグアイ・ハープ

他のハープ

近年大きな前進が見られてはいますが、演奏性の良いハープを造ろうとする努力は、成功しているとは言えません。今日でもハープは演奏しにくく扱いにくい楽器です。作曲家は相変わらずハープの使用をためらい、グリッサンドやアルペジオなど「ハープらしい」効果をねらって、遠慮がちにハープを取り入れるだけです。ペダル・ハープの改良は1697年に始まり、1720年には最初の単動式ペダル・ハープの生産が始まりました。これは選んだ弦の音を半音上げることができるもので、これによってハープはクロマチックになり、ほとんどの調で演奏できるようになりました。1750年にはペダル・ハープはさらに進化し、初期のペダルを操作して弦を捉えるフックは、弦を同一平面上に保ったままつかむことのできる金属板に変わり、1792年には回転する円盤が金属板にとって代わりました。後に複動式(2段階式)ハープが開発され、音を半音上げることも下げることも可能になりました。

訳者より:古い時代のハープについてはこちらのサイトが参考になります。
https://www.eric-harps.de/historical-harps/leiern.htm

https://campbellharps.com/wartburg-single-row-harp/

(以下略)