ゾーイ・コンウェイ〜リバーダンスこぼれ話:松井ゆみ子

ライター:松井ゆみ子

大きく花開いたフィドラー、ゾーイ・コンウェイ。

今、もっとも脚光を浴びている女性フィドラーと言っていいと思います。

フィドルは幼少のころから。さらにクラシック・ヴァイオリンも演奏できるので活躍の場が多く、オーケストラが参加するロック・コンサートでソロを務めることもたびたび。フィドルも繊細な演奏だけでなく、ゴリゴリの男性的な演奏を聴かせることもあり幅の広さに驚かされます。

ゾーイは2004年から数年間リバーダンスのツアーに参加していました。

わたしが雑誌の仕事でカーディフ公演を取材したとき彼女は出演メンバー。ダブリンからのフライトが一緒になりステージ前の素顔を見る機会を得たのですが、素朴な女子大生という感じで好感度満点でした。

以来あちこちで名前を見聞きしながら、再会できたのは2014年。

カウンティ・ウエックスフォードにある小さなヴィレッジの伝統音楽フェスティバルにゾーイの参加する”ZoDoMo”が出演したときのこと。このユニットは、ドーナル・ラニー、ゴールウエイ出身のボタンアコーディオン奏者マーティン・オコナーとゾーイのユニークな編成です。

わたしの夫マークとわたしはドーナル・ラニーの追っかけを自認していますが、このフェスに行ったのはフィドルのワークショップがあったから。この数日後、わたしはアキル島のサマースクールに行くことにしていたのでキック・オフにぴったりだなと思って。

小さなヴィレッジですが音楽熱にあふれていました。地元CCEのトップは有名なトラッドシンガー、パディ・ベリー Paddy Berryで彼の情熱が後輩たちに伝わっているのだと思います。ここのフェスにはドーナルをはじめ、かなりの著名ミュージシャンたちがゲストに来るのですけれど、パディへのリスペクトにちがいありません。

そしてこの日の大きな驚きは約10年ぶりに会ったゾーイの美しさ!

ずっと地味な印象があったのですけれど、こんなに美人だったとは!!

やさしそうなだんなさまとお子さんたちに恵まれ、音楽的にもさらに自信をつけて、華やかに開花した。そんな感じ。

ではここで、ZoDoMoのゴキゲンな演奏を。

次に。彼女は歌が素晴らしいのです。だんなさまとの共演。

歌に合わせる演奏はクラシック奏法のヴァイオリン。

器用という風に感じさせないのがまたすごいと思う。音楽の幅なのですよね。

さてここでリバーダンスのこぼれ話を。

あのダンスショウが、ユーロヴィジョン・コンテストのために作られたひとつの楽曲から構成された話はもう、みなさんご存知だと思います。ショウの音楽担当でもあるビル・ウィーランは、かつてプランクシティPlanxtyのゲストメンバー。同じくプランクシティに参加していたアンディ・アーヴァインとデヴィ・スピラーン(イーリアンパイパー。リバーダンスのショウにも参加。プランクシティの解散後に結成されたムーヴィングハーツのメンバー)のCD“East Wind”(92年リリース)のプロデューサーも務めています。このアルバムが、楽曲リバーダンスに大きく影響を与えたのは誰もが知るところですが、さかのぼって81年。ビルはドーナル・ラニーと“Timedance ”という楽曲を共作しています。これもまたユーロヴィジョンコンテストのために。そしてプランクシティのシングルとしてリリースされています。

まずはここで「Timedance」をお聴きください。

プランクシティ炸裂!

ビル・ウィーランはアンディ・アーヴァインとアルバム制作するなかで、東欧からアイルランドまでのケルトの源流について語り合い、旅するアンディから大きな影響を受けていたと耳にしていました。楽曲リバーダンスはアンディとドーナルが深く関わっていたことを知って、あらためて彼らの音楽的な影響力の大きさに驚愕しています。

ここにアメリカの要素を持ち込んだのはダンサーでプリンシパルを務めたマイケル・フラッタリーの影響が大きいのかもしれませんし、ショウという形にするときにアメリカをはずせない。というマーケティングの読みも大きかったはずです。ケルティックタイガーの追い風を武器に、アイルランドの文化がビジネスにつながる。この国では革命的な出来事といえますよね。

でもね、わたし的には先へ進むところよりも、どこから始まったのかが興味津々。なので、アンディとドーナルが大きく関わっていたことを確認できて嬉しかった。ファンですから。

読んでくださいね、アンディさまの詩集(ヒマール出版)。アイルランドの歌の原点がこめられています。そして、聴いてくださいね、Planxty。彼らもアイルランドの音楽シーンに革命を起こしました。伝統音楽とロックに接点をつくり、あらたな可能性を導いた稀有なグループです。

そして。ゾーイ・コンウェイのデビューアルバムはビル・ウィーランがプロデュースしています。