古代のアイルランドの太鼓:バウロンの歴史


出典 https://blog.mcneelamusic.com/

アイルランドの楽器メーカーMcNeelaが公開しているブログの中から、「バウロン」の歴史についての解説記事を許可を得て翻訳しました。

原文:An Ancient Irish Drum: The History of the Bodhrán

古代のアイルランドの太鼓:バウロンの歴史

バウロンとはどのような楽器ですか?

バウロンは、アイルランドの伝統音楽で最もよく見られる円形のフレームドラムです。1960年代の民族音楽復興期(フォークリヴァイバル)に大きな人気を博し、それ以来進化を続けています。現在では、複雑でモダンな演奏スタイルが生まれ、この多才なアイルランドの太鼓の音楽的な幅を十分に引き出しています。

Bodhránという言葉の意味は?

語源についてはしばしば論争がありますが、bodhránという言葉はアイルランド語で聴覚障害者を意味する「bodhar」に由来しています。この単語は、アイルランド語だけでなく、多くのケルト語にも似たような形で存在しています。歴史的には、bodharはいくつかの異なる意味を持ち、特定の音色や音(音楽用語では「音色timbre」として知られています)を指すことでも知られています。

Bodhránはどう発音するのか?

最も重要なことは、dは発音しないということです。

最初の音節はbowと発音し、wowワウと同じように発音します。2番目の音節は、yawnヤウンのようなrawnラウンと発音します。全部合わせると、bow-rawn になります。簡単!


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バウロンは何からできているのか?

伝統的にバウロンは、円形の木枠に硬化した山羊の皮を張って作られています。皮は鋲打ちや接着剤で固定されます。20世紀初頭には、柳の枝をフレームとして使い、皮のドラムヘッドと小銭をシンバルとして使用した手作りのフレームドラムが作られました。(現代のバウロンにはもう存在しませんが)。

現在のバウロンは、最高級のトーンウッドを使用し、音質をコントロールするチューニングシステムを内蔵し、より洗練された楽器になっています。

バウロンの製作工程についてはこちらで詳しく解説しています。

バウロンの作り方 The Art of Bodhrán Making


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アイリッシュドラムの歴史

バウロンの歴史は、他のアイルランド楽器の歴史よりもはるかに多く議論されています。実際、音楽学者、歴史家、楽器製作者、打楽器奏者など、二人の人間がこのテーマについて同意することは稀です。しかし、いくつかの説があります。

バウロンの起源

アイルランドの代表的な太鼓であるバウロンの正確な歴史を明らかにするのは難しいです。フレームドラムは紀元前3000年頃から世界中の多くの文化圏で存在していました。バウロンの起源は、籾殻を分ける箕(み)、または羊毛の染色に使われた道具とする説が多くあります。また、キリスト教以前の古代シャーマンの太鼓(ケルト人の太鼓)であるとする説もあります。音楽家のローナン・ノーラン(アイリッシュミュージックマガジンの元編集者)は、バウロンは19世紀半ばに「貧者のタンバリン」のようなものとして進化し、シンバルを持たず、ティッパーやビーターではなく指で叩くようになったと主張しています。この2つの楽器が似ていることは否定できません。バウロンの起源はともかく、1960年代までは伝統的なアイルランド音楽では一般的に演奏されていなかったということは重要なポイントです。今日あるモダンなバウロンの演奏スタイルは、本当にごく最近のものなのです。

音楽学者のミホール・オ・スーラボーンMícheál Ó Súilleabháinはこのように述べています。

少しさかのぼれば、バウロンは年に1日しか演奏されませんでした。1970年か71年頃に話を聞いた年配者は皆、『12月26日以外の日にバウロンを持ち出したら、頭がおかしい人だと思われる』と言っていました。6月1日にシャムロックを着ているようなものなのです。
― 1996 Crossroads Conference

マーマーズ ——— アイルランドのフレームドラム

アイルランドでは、12月26日は「Lá an Dreoilín」または「The Day of The Wren」と呼ばれ、アイルランドの伝統的なマミングmummingの祭典とされています。

少なくとも400年前から、アイルランドのマーマーズmummersやレン・ボーイズwren boysは、藁の衣装を身にまとい、家々を回って音楽と歌と踊りで住民を楽しませてきました。この習慣は1900年代半ばに途絶えそうになりましたが、ありがたいことに近年になって関心と人気が急上昇しています。バウロンはこの儀式において常に重要な役割を担ってきました。

アイルランドの多くの習慣と同様に、Lá an Dreoilínもケルトを起源とする異教徒の祭りとして始まった可能性が高いのです。キリスト教以前のアイルランドのドルイドにとって、ミソサザイWrenは神聖な鳥でした。

この特異な祝祭のもととなったキリスト教の逸話として、聖ステファンが敵から身を隠しているときにミソサザイの鳴き声に裏切られたので、祖先の悪行の代償として、哀れなアイルランドのミソサザイが毎年狩られるようになったと言われています。しかし、現代ではお祝いの日として扱われています。以下のビデオで、現代のアイルランドのマミングについてもう少し詳しく知ることができます。

アイルランド音楽におけるバウロンの役割

今日、バウロンはしばしば「アイルランド音楽の心臓の鼓動」と表現されますが、これは必ずしもそうではありません。バウロンの人気が急速に高まったのは、著名なアイルランド人音楽家・作曲家であるショーン・オリアダSeán Ó Riadaの功績によるところが大きいでしょう。

1960年代初頭、オリアダはこの見落とされていた(そしてしばしば悪者にされていた)打楽器を、彼の代表的なアンサンブルであるキョールトリ・クーランCeoltóirí Chualannのラインナップに加えました。その後は歴史が示す通りです。オリアダは、この低俗とされたアイルランドの太鼓だけでなく、伝統的なアイルランド音楽そのものの地位を高めました。クラシックとアイルランド音楽の要素を融合させ、エキサイティングな新しいアレンジでハーモニーを追求したキョールトリ・クーランは、ライブとレコーディングの両方で観客を驚かせました。もはやアイリッシュ・フォークは、キッチンやパブでのセッションで見られるものではなく、劇場やコンサートホールにふさわしいジャンルとなったのです。そして、その威信は素朴なバウロンにも受け継がれています。


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現代のアイルランドのバウロンの演奏スタイル

バウロンをアイルランド音楽に再導入したのはオリアダですが、この太鼓を新たな高みへと導いたのは、アイルランドのパーカッショニスト、パダー・マーシアPeadar Mercierです。古いスタイルのように手で打面を打つのではなく、今日では当たり前となったシピンcipínあるいはビーターと使ったスタイルでした。

一度人気が出ると、もう止められません。ピーダー・メルシエ(その後、息子のメル・マーシア)、トミー・ヘイズTommy Hayesジョニー・リンゴ・マクドナーJohny Ringo McDonaghジョン・ジョー・ケリーJohn Joe Kellyなど、数えきれないほどのミュージシャンがバウロンを手にし、アイルランドの伝統的なパーカッションの限界を押し広げ、新たな高みへ到達したのです。

これらの影響力のあるバウロン奏者についてもっと知りたい、彼らの特徴的なスタイルやアイルランドの伝統音楽の世界に与えた影響を知りたいという方は、私のブログ記事をご覧ください。

知っておくべき5人のバウロン奏者

バウロンの起源がどこであれ、どのように始まったにせよ、この象徴的なアイルランドの太鼓が長い道のりを歩んできたことは否定することはできません。