【最新号:クラン・コラ】Issue No.344

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クラン・コラ Cran Coille:ケルト・北欧音楽の森

Editor : hatao
August 2022 Issue No.340
ケルトの笛屋さん発行

おことわり

編集者の都合で発行が遅れてしまいました。特に、自分で書いたクリスマスのための記事がとっくに時期外れになってしまったのは大変惜しい限りですが、考えてみれば、誕生日を1日でも過ぎたからもうお祝いしないというのはおかしな話で、キリストくらい偉大な人物であれば誕生後1週間くらいお祝いし続けていても何ら不思議ではないと思いますのでこのまま出します。

来年も、どうぞよろしくお願いします。

わが音楽遍歴、または余はいかにして心配するのをやめてアイリッシュ・ミュージックを聴くようになったか・その17:大島豊

ドロレス・ケーン&ジョン・フォークナーの《Broken Hearted I’ll Wander》をアメリカは西海岸、ロサンゼルスのサンセット・ストリップにあったタワー・レコードでリリース当時に買った時、ドロレス・ケーンの名前も初耳、ジョン・フォークナーの何者なるかもまったく知りませんでした。いわば不見転で買ったわけです。ただ、レーベルがボシィ・バンドを出していた Mulligan であったこと、収録曲の1曲〈The Low Lands of Holland〉は知っていたことは、背中を押していたはずです。とはいえ、おそらく決定的だったのはジャケットでしょう。典型的なジャケ買いです。

もっとも、アイリッシュ・ミュージックやスコットランド、イングランドの伝統音楽のアルバム・ジャケットは、それだけで買う気になるようなものはあまりありませんでした。プランクシティのファースト・アルバムなどは例外的な存在で、ロジャー・ディーンやヒプノシスによる目のさめるようなジャケットは望むべくもありません。当時、冗談半分に、「トラッド」ではジャケットと中身の質は反比例する、と仲間うちでは言いあったりしていたものです。Mulligan はジャケットのセンスが比較的良い方ではありました。

このレコードをアメリカでは聴くことがだんだん減っていったと書きましたが、中身の音楽が良くなくてそうなったわけではありません。むしろ、この音楽はたいへん良いものだ、というのが当初から感じていたことです。アメリカでこんなによい伝統音楽のレコードが手に入ったことに喜んでもいました。ただ、アメリカの風土、ロサンゼルスの風光の中で暮らしていると、この音楽を聴きたいと思うことが減って、ザ・バンドやイーグルスに手が伸びることが増えていったのです。結局、一番よく聴くようになったのはジャクソン・ブラウンの当時最新盤だった《Running On Empty》のライヴ録音を収めたB面で、まず1日1回は聴いていました。これはぼくばかりでなく、一緒に暮していた仕事上の相棒も同じでした。ステレオにかけるレコードは各々が勝手に選んで、たがいに文句をつけないという暗黙のルールができていましたが、2人ともに同じブラウンのレコードを選ぶことが増えていきました。つまり、どちらが選んでもこのレコードになっていったのです。

日本に帰ってきてまず感じたことは、バスや電車に乗っている人間が皆異様なまでに同じ恰好だ、という感覚でした。駅の階段を降りていくときなど、目の前にある頭が全部マックロです。これが変だというのを通りこして、気味悪いと感じられるのです。おそらくこれはぼくだけの感覚ではなく、海外、少なくともアメリカの大都市である程度の期間過ごした人ならば、誰でも感じることではないかと想像します。ぼくの場合、海外に出たのはそれが2度目で、いきなり半年という期間、ロサンゼルスで過したことも要因としてあったかもしれません。

誰も彼も頭が黒いのが気味悪いという感覚は2週間もすると消えていきましたが、気味悪いという感覚の記憶は後まで尾を引いて殘っていました。パンデミックの前に『ニューヨーク公立図書館』という映画を見た時、この記憶が思いもかけず蘓えりました。これはタイトル通り、ニューヨーク市にある New York Public Library の日常をとらえたドキュメンタリーで、姿形の実に多種多様な人びとが皆同じように本や雑誌を読んでいる閲覧室の情景に、その陰画として1人の例外もなくマックロな頭で埋めつくされた階段の記憶が浮かんできたのでした。今は東京ならば、海外から来て住みついている人は珍しくありませんし、髪を染めている日本ネイティヴもいますが、1970年代末は東京都内であっても、通勤時間帯に駅を埋めている人間の頭は例外なく黒かったのです。

日本の情景を異様と感じる感覚がほどなく消えたように、聴く音楽もだんだんアメリカンから、出かける前の、アイルランドやブリテン、ヨーロッパの一部の伝統音楽にもどっていきました。そしてあらためて《Broken Hearted I’ll Wander》を聴きこむようになりました。すると、これがスコットランドともイングランドとも違う、アイルランドの音楽であることが、やはり段々と浮上してきたのです。

念のため、おさらいをしておきます。このアルバムはドロレス・ケーンをヒロインとして、当時伴侶だったジョン・フォークナーとの共同名義で、これにイリン・パイプの Eamonn Curran とフィドルの Kieran Crehan が参加しています。ドロレスは歌、フルート、コンサティーナとバゥロン。フォークナーは歌とブズーキ。プロデュースは P. J. Curtis、録音はダブリンの Lombard Studio。

収録曲は歌が7曲、ダンス・チューンが4トラック。歌はスコットランド産が1曲、イングランド産が1曲、アイルランド産が5曲。ダンス・チューンはほぼアイルランド産ですが、A面最後のメドレーの1曲目〈Mouth Music〉はスコットランドの伝統からです。

ドロレス・ケーンを聴いたのはこれが初めてでした。ドロレスの初録音であるチーフテンズの《Bonapart’s Retreat》1976 も本人名義のファースト《There Was A Maid》1978 も当時はまだ知りません。ドロレスの録音は同じフォーマットで出た《Farewell To ?irinn》1980 と《Sail ?g Rua》1983 が先でした。とりわけ《Farewell To ?irinn》はその移民のテーマによって、アイルランドのカラーをより濃く感じることになります。

《Broken Hearted I’ll Wander》に惹かれたことにはジョン・フォークナーの存在があります。というのは実は後からわかったことではあります。彼はイングランド人で、1950年代、イワン・マッコールやA・L・ロイドが中心になったフォーク・リヴァイヴァルのグループ The Critics のメンバーとして伝統音楽に親しんでいます。ミュージシャンであると同時にコレクター、研究者でもあり、ドロレスと知り合い、結婚したのは、ゴールウェイに伝統音楽のフィールド・ワークに来たことがきっかけでした。このアルバムでは共同名義になっているように、2人は対等に歌い、演奏しています。イングランド産の1曲〈Allan Tyne of Harrow〉はフォークナーの歌とギターによるソロ歌唱ですし、アルバムを締めくくって強い印象を残す〈The Bonny Light Horseman〉はフォークナーがリード・シンガーです。つまり、ここには、イングランド人フォークナーのストイックとも言える美意識とセンスが作用していて、それがアルバム全体の音楽を引き締めています。同じ Mulligan から出ていたアンディ・アーヴァインとポール・ブレディのアルバムが、やはりブリテンのフォーク・リヴァイヴァルのストイックな美意識への志向によって、抜きんでたレベルの音楽を聴かせるのと軌を一にします。

スコットランドやイングランドの音楽から、この地域の音楽伝統に入り、アイルランドの伝統音楽を聴くようになっていたぼくにとっては、こうしたイングランド流のストイックな美意識は共感しやすいものでした。ドロレス自身の歌は彼女にとって自然なままで、イングランド流にストイックにうたおうなどとは思いもせず、また思ったとしても不可能です。ドロレスからあふれる声と歌はその自然なままであるところがキモなので、アイルランドの歌の伝統がナマのまま現れています。伝統がそのまま人の声と歌となっているのがドロレス・ケーンというシンガーです。たとえば、ファースト・ソロ《There Was A Maid》に聴ける彼女の無伴奏歌唱のすばらしさはそこにあります。一方で、そうした伝統そのままのナマの魅力に感応するようになるには、ぼくの場合時間がかかりました。裸の伝統の美しさはすぐにはわかりませんでした。その前に一段階、より共感しやすい形を経る必要があり、それを提供してくれたのがフォークナーによるドロレスの歌の処理だったのです。フォークナーはドロレスの歌の特質を正確に把握していて、本来のナチュラルなパワーを矯めることなく、むしろ付随している要素を削ぎおとし、そのパワーを際立たせようとしています。

そうしてぼくの前に現れたドロレス・ケーンの声、歌こそは、スコットランドでもイングランドでもない、ましてやアメリカでもない、不思議な響きでした。これはいったいどこの歌だろう。そう思ったとき、あらためてアイルランドという「場所」が意味を持ってきたのでした。以下次号。(ゆ)

ガンダムに学ぶ5:field 洲崎一彦

このクランコラ誌上で私が突然「ガンダム」を話題にしてからもう5ヶ月近く経とうとしているわけですが、今回は、そんな私がクランコラ誌上を飛び出して我がアイリッシュパブ・フィールドのクリスマスパーティのステージにしゃしゃり出てしまった顛末を紹介したいと思います。

fieldの各種パーティーはいろいろな出し物を募ってパーティー3時間中に入れ替わり立ち替わり出し物が登場するというライブパーティーを基本としています。コロナ下ではなかなか再開することができなったこの形式のパーティーを、今年の9月下旬のfield創業35周年パーティで復活させ、10月末のハロウィンパーティーを経て復活3回目のパーティが今回のクリスマスパーティーでした。

fieldパーティーが始まった昔は、当時まだ活発だった我がfieldアイルランド音楽研究会の連中がその都度いろいろなユニットを作って競い合うようにアイリッシュ音楽を演奏をするというアグレッシブな場だったのですが、いつしか、アイリッシュ以外の音楽、つまりアイ研の連中も実はアイリッシュばかりやってるのではないぞというアピールをし始めたり、それならばと、一般の弾き語りのお兄ちゃんが飛び入りしたり、当時のスタッフで落語の堪能な者が一席語ったりという具合に半ば隠し芸大会のような様相を帯びて、コロナ前までは年に5回あまりのパーティーが開催されていたものでした。

このようなパーティーが復活したわけですが、9月の35周年パーティーではパブのお客様の元小学校の校長先生がステージに上がって授業をしたり、その日に行われた競馬の馬券が当たったか外れたかの大騒ぎをするグループが出て来たりと、何かもう隠し芸大会の枠も飛び越えるような大宴会芸の世界に突入していく様相を見せていました。

そこで、今回のクリスマスパーティーで、私は、以前ここで紹介したパブの10年来のお客様で、たたき上げのアニメオタクの方にお願いして、ガンダム初心者の私と舞台でガンダム対談をしてもらえないかと懇願し、それが実現したのでした。

いやもう、この対談プログラム。20分の持ち時間があっという間に終わってしまうぐらい私自身熱中してしまい、観ている方々は甚だ退屈されたかもしれないのですが、個人的に非常に面白い体験だったので、今回はこの時の模様を報告したいと思う次第です。

対談していただいたF氏は、ガンダムを最初のアニメからリアルタイムで観続けているオタクの草分けレベルの方で、もちろん対等な対談などは畏れ多く、もっぱら初心者の私が質問を投げかける方向での対談を試みました。

当クランコラの「ガンダム」シリーズ初回でも少し触れましたが、我がアイリッシュ音楽の世界もややもするとオタク的なムードが漂う一面があるわけで、このオタクという姿勢そのものに関してもF氏は大先輩と仰ぐにふさわしいものを持っておられます。そして、私が夢想した、「好き」の下における絶対的平等と、「探究心」に卑賤ナシというオタク文化の神髄を実際に体現させてもらえる貴重な機会となったのです。

まず、会場には若い方も多く「ガンダム」を知らない人が相当数おられるわけなので、その方々にすれば、以前の私と同じく、「ガンダム」の名前は知っているけれど何か巨大なロボットが出て来るSFのマンガ映画でしょう?ぐらいな感覚であるのが容易に想像がつくわけです。

また、私ぐらいの年配かそれ以下の世代の人たちで、「ガンダム」を知らない層にしてみれば、いつしか、この「ガンダム」がアニメ界の古典になっていて、アニメのみならず各時代のサブカルを語る上で、ややもするといつもその例え話や共通概念として引用され続けて来たわけで、そんな場面では何度も疎外感を味わって来たという苦い体験があり、いつかは一度この世界をのぞいてみなければならないと思っている、という焦ったおっさん達であることも手に取るように判るのです。

なので、私が初めて「ガンダム」に接した時の驚きをまずここでお話しすることからこの対談の導入を始めたのでした。何故、宇宙戦争に巨大なロボットが登場しなければならないのか!これです。

当時は、これは門外漢の私も耳にしていた説ですが、タイアップした玩具メーカーからプラモデルを作りやすいようにとの要請があったという話を聞いていたので、よけいに、ストーリーの必然性というよりはそういう商業的側面によって子供だましのロボットが登場したのだという先入観が「ガンダム」に対する、当時の私に低印象を作り出してしまっていたのですね。

確かにそのような内情もあったのかもしれませんが、実際に観てみるとそのような不自然さは一切感じさせない理論武装がなされていたのです。そうです。「ガンダム」はどこを切り取ってもこのような論理的整合性が見事なのです。(これから観ようとする方にはネタバレになるので詳細は秘す)

対談ではこのあたりから話始めて、F氏の食いつきを探りました。

そして、私がこのロボットの必然性を話しながら、「ガンダム」の数年前に世に出た、大人がアニメを観るきっかけとなったと言われるあの「宇宙戦艦ヤマト」。これにしても、宇宙戦艦ヤマトが何故昔の戦争で海底に沈んでいた旧日本海軍の戦艦大和の残骸を改造して作られなくてはならないのか?ここにはロマンはあっても必然は無いでしょう?との例を出すやいなや、とっさにF氏がそれを遮ります。いや、ヤマトに必然はあったのですよ!と。語っていいですか?

あ、いや、今回のテーマは「ガンダム」なので、ヤマトはまあ次の機会に、と私は冷や汗をかきながらこれを制します。

そうです。私が何の気なしに語った内容のあらゆる部分にF氏は食いついてくるのです。が、その都度、「語っていいですか?」という前起きが入る。そして、「どうぞ語ってください」と私が言うか言わないかのうちに、とうとうと意外なうんちく話がどんどん展開されていく。私など口を挟むスキもありません。そして、語った後には決まって「これは作者が言っているわけではなく、あくまで私の想像です」という一言が入るわけです。そうです。この謙虚さなのです。

アイリッシュ音楽におけるオタク風味の中には、こういう場合に、謙虚どころかマウントを取るという意図が見え隠れする場面が極めて多い。好きの下における平等などという概念がまったくの表面だけで、どこかに、、好き?どれぐらい好き?何々を知ってるぐらい好き?と、その場所のマウントを取ることにエネルギーが集中されるあの感じ。これが、F氏にはみじんも感じられない。

「いやいや、そうおっしゃらずもっと語って下さい、もっと教えてください」という姿勢にこちらが自然にそうなってしまう。まさに、探究心に卑賤ナシなのです。F氏からは「好き」のオーラしか出て来ないのですから。

対談はこの調子で切れ目無く続き、あっというまに持ち時間20分が過ぎ去りました。F氏には、また続きをお願いしますと言って、まばらなお義理拍手の中をすごすごと退場したわけです。が、受けなくても満足感に浸れるこの感じは何なんだろう?。

私は、ステージで楽器を演奏することもあります。が、その時にこのような集中と高揚感、そして満足感を感じることがあったでしょうか?そんな場面では多くの場合「間違わないように、止まらないように、最後まで演奏し切らねばならない」という所にしか集中していなかったような記憶しか浮かびません。

果たして、私は楽器を演奏していて観客の皆さんに「私はこの音楽が好きなのだ」というオーラが出せていたか?という自問自答を、つい、してしまいます。これが伝わって始めて観ている人にも何かが伝わるのではないか?このように思うのです。

楽器を間違うとか、ヘタだとか、そんな価値観から離れない限り、このオーラは絶対に出るものではありません。そうですね。これは、音楽をする上で大きな示唆になる問題ですね。少なくとも、その音楽を大好きになれないままでは、どんなに巧みに演奏できても、人前で披露するべきではありませんね。

以前は、私は、巧く演奏できないようなパフォーマンスを人前で披露するべきではない、という、非常にストイックな考えも持っていましたし、この価値観で他者の演奏を乱暴に評価してしまう時もありました。

今では、この態度は大いに改めるべきではないか、と、理屈ではなく、体験的にF氏に教わった実感が甚だしいです。

そうです。特にアイリッシュ音楽初心者の皆さん!巧くなんて演奏しなくて良いのです。「好き」があふれ出るような演奏をしましょう。自分は初心者だからセッションに加わるのはまだ早い、などと言っているそこの若者たち!

はい。これからは、fieldセッションのテーマはこれで行きます!ヘタクソ上等!ということで、私もfiddle弾かせてね笑。(す)

ストリーミングで聴けるケルト・北欧のクリスマス・アルバム5選:hatao

ストリーミングで聴けるケルト・北欧のクリスマス・アルバム5選

編集後記

原稿が不足しがちな本誌に、寄稿してやっても良いぞという愛読者の方はぜひご連絡ください。

ケルト音楽に関係する話題、例えばライブ&CDレビュー、日本人演奏家の紹介、音楽家や職人へのインタビュー、音楽旅行記などで、1000文字程度までで一本記事をお書きください。

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クラン・コラ:アイルランド音楽の森(月1回刊)
発行元:ケルトの笛屋さん
Editor :hatao

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