新しいアイリッシュのリーダーズ?:field 洲崎一彦


出典 Irish PUB field

ライター:field 洲崎一彦

いやはや、今年のお正月はいったい何やったのか!!と思うほどの新年の始まりでしたね。大震災、飛行機事故、大火災、ずるずる出て来る政治家の裏金、と。いったい、今年、この国はどうなってしまうのか、と、不穏な雰囲気の年明けになりましたが。皆さんいかがお過ごしのことでしょうか?

さてさて、この1月は、fieldがアイリッシュパブに変身して24周年を迎えます。同時にこの京都にアイリッシュパブが誕生して24年ということになります。人によっては、24年間続けていることを賞賛してくださる場合もあるのですが、やってる本人にしてみれば、24年も経ってしまった!という感じが強いのです。24年もあったらもっと他のこともいろいろ出来たのではないか、とか。世の中はどんどん変化しているのにいつまでも同じことをやっている思考停止というか、そういう思いに駆られる部分が正直言ってあります。

だからこそ!というのもあるのですが、このコロナ禍で強制的に一種、流れというものがせき止められた。流れというものにはいききとした良い流れもあれば、思考停止して惰性で流れる流れもあります。果たして、fieldはどっちだったのか。これを深く考えさせられたのが、このコロナ禍であったような気がしています。それもあって、コロナ禍が過ぎようとしている昨年は、復活というより再出発と言う意識を持ってやって来たわけです。

昨年の1月末にも、fieldパブの周年パーティーを開催しました。fieldは、1月のパブ周年パーティー、3月のセントパトリックスデイ・パーティー、9月の創業周年パティー、10月のハロウィンパーティー、12月のクリスマス・パーティーと、年5回のパーティーを行うのが従来の習慣でした。そうです。これも流れですね。元々はfieldアイルランド音楽研究会(以下、アイ研)の発表会の場として機能していた各パーティーが、アイ研の勢力が衰えて来た後にも、とりあえず何でもありのライブパーティーとして形を保ってきたわけです。

何周年とかハロウィンとか名目は何でもよかったのです。アイ研のメンバーが普段はセッションをしながら、仲間を誘って人前でライブをする。そういう場所が、当時の元気爆発のアイ研には必要な場所だった。

コロナがおさまってきて、ふと我に返った時にですね。かつての規模と勢いを失ったアイ研にとってはもちろん、fieldとして、この頻度のパーティーが果たして必要なのかという疑問が頭をもたげるのは当然のことだったと思います。しかし、一方ではコロナ時には多くの方々からのご心配やご協力、ご支援をいただき、なんとか生き残ることが出来たわけですから、fieldは復活しましたよ!という何か象徴的なものを皆さんに示したい。と、なれば、とにかく、レギュラーセッションの再開とパーティーの再開を果たすことは大きな使命ではないのか、と、決心を固めたのが一昨年の秋でした。こうして、セッションとパーティーが復活した姿勢でとにかく丸1年間走り続けたのが去年、2023年だったわけです。

そして、今年はその2周目となるわけで、もうすぐ目の前にパブ24周年パーティーを控えています。昨年のパブ周年パーティーでは、同時に周年記念を迎えるアイ研にスポットを当てて、ちょうどこの頃に見つけた古いビデオテープ、2000年5月にアルタンのメンバーが当店を訪れてくれて、待ち構えてきいたアイ研のメンバー達にもみくちゃにされて大セッションに膨れあがった時のビデオが見つかり、これを流しながら、ずっと変わらずアイ研部長であるぶちょー氏を迎えて共に対談イベントをやったものです。

 
これはこれで、私たちには非常に懐かしい、まさに古き良き時代を振り返る涙もんのイベントだったわけですが、時代ですかねえ。去年のこのパーティーに来てくれていたアイルランド音楽をやってる学生さん達は、皆、一様にきょとんとしている。そうか。。。アルタンと言っても彼らは知らないのでした。

そうか。。。昔は、アルタンが来日するぞ!というニュースがまたたく間に私たちの間に口コミが広がり、チケット買うたか?まだ?アホか!次ぎいつ日本に来るかわからんのやぞ!借金してでもチケット買うとけ!と、先輩にどやされ。内心、そんなバンド知らんしと思いつつCD屋に走ってとりあえず1枚買ってみる。または、CD持ってる人に借りるなどして、ほほう、ということで、ライブ当日までにはすっかり予習が出来上がっている。

と、いうタイミングで、とある京都の老舗ライブハウスでアルタンのライブが行われます。彼らはライブの後にアイリッシュパブに打ち上げに行くそうだから、それはきっとfieldに違いないというウワサが入り乱れ、アイ研軍団はぞろぞろとライブハウスからfieldに集合して来るというわけです。

こうやって共通の情報が広がったのですね。今はどうやら、ちょっと違うみたい。昨年11月にルナサが10年以上ぶりに京都でライブをしたという大事件がなかなか口コミでは伝わらない。ので、あまりネットを見ない私はすっかり出遅れてしまった(ライブに行けなかった)。知らんかった。。。と、言うと、ネット見てないんですか!?と来たもんや。最近は老いも若きも皆ネットで個人的に情報を収集する。なので、そういう大物アイリッシュ・ミュージシャンが京都に来る!と言うと、そのミュージシャンを知らない人まで巻き込んで大挙してライブ会場に押しかける。それだけでもう祭り。。。そんな文化ももはや死滅したのですね。

というわけで、アイ研も過去を懐かしんでばかりいる場合ではない。さっそく、ぶちょー氏に連絡を取り、こうこうこういう風に思うので、何かアイ研の「今」をテーマに思い付くアイデアはないか?と。ぶちょー氏即座に、ないな。と。とほほほ。

 
そもそも、この連載をご覧の皆様は、アイ研というのがかつてあったということは知っているけれど、それって今もあるのですか?と内心突っ込んでいる方もおられるでしょう。

正直に言います。ある!とは胸を張って言いにくいです。しかし、無いとも言えないのです。現に、ぶちょー、という人物が存在しているのですから。

かつて、アイ研がそれなりの勢いを持って存在していた頃でさえ、とある人物に、何故そういうサークルを作るんですか?閉鎖的なだけじゃないですか。つぶせばいいんですよ。と、面と向かって言われたことがあります。また、アイ研に入部しなければfieldセッションに参加出来ないという誤解を生んだ時もありました。いや、ジッサイはそんな事はありません。セッションは誰でも参加できます。すると、だったら、何でそんなサークルを作るのですか?アイ研に何の意味があるのですか?と突っ込まれる。

アイ研は、とある時期に、事務が滞り、年会費を納入している人としていない人が事務的に判別出来ない状態になってしまった。そこで、不公平を解消するために、とりあえず、年会費の徴収を一旦中止したのです。これで、少なくとも1年経てば全員未納の状態になりイチから始められると、まあ、こういう理屈でした。しかし、一度滞った事務は解消されることはなく膨れあがるのです。部員名簿さえも複数存在していてどれが本物なのかも判らない。誰が部員で誰が部員でないかというのが曖昧になって来る。つまり、会費を中止した瞬間に組織は崩壊したということになります。事務がなくなれば組織もなくなるのですね。勉強になりました。

つまり、現在のアイ研の状態は。組織は存在しない。アイ研の名称を頭に付けた企画やイベントはもう何年も行われていない。誰が部員で誰が部員でないかよくわからない。しかし、ぶちょーは存在し名称も存在する。

それって、現実には、無いってことでしょう。と、おっしゃる方も多いとは思います。

が、少なくとも、私の中では、はっきりくっきりと存在している。それが、アイ研の「今」です。

この、いわく言いがたいものを、今度のパブ24周年パーティーにおいて、いかに、アピールするか。パーティーまでもう1週間ですが、いまだ、具体的な作戦はまとまっておりません。はらはらしますね。

ぶちょー氏いわく、首振りダンスしかないな、と笑。す