【最重要!イースター蜂起】ざっくりしたケルトの歴史

「ところで、ケルトってなんですか?」と聞かれたときに、答えにつまってしまうことがあるので、ここらでひとつ歴史の勉強をしてみようと思います。

ケルト音楽をする上で、ちょっとは歴史も知りたい!でも専門書とか読むのめんどくさいし…という方に、気楽にケルトの歴史を知りたい!という方に、かなりざっくりと、ふわっと、連載していきます!

それでは「ざっくりとしたケルトの歴史」お楽しみください~♪

【最重要!イースター蜂起】

今日4/24はケルトの歴史を語る上で避けては通れない「イースター蜂起」が起こった日。

ということで、ざっくりと、ふわっと、解説していきます。

※この記事は「最重要!イースター蜂起」の再掲です

第一次世界大戦だなんてスケールの大きな戦争が起こったものだから、英国はそちらにかかりきりになり爆発寸前のアイルランドを放置せざるをえなかった。

背景はこんな感じである。

①英国はアイルランドの自治を認めた・・・ところで戦争に突入。
②アイルランドは英国が自治を認めてくれた・・・ところで戦争に突入したので、気変わりしないよう英国に協力しよう。
③アイルランド国民は、自治が認められそうになった・・・らしいけど、とりあえず戦争に突入。あれ?なんかうちの政府、英国のご機嫌とってんじゃね??

そう、国民から見るとアイルランド議会がなぜ英国にヘコヘコしてる風にしか見えなかった。

そこで戦闘民族サイヤ人たちは一大集結して、1916年4月24日(復活祭週間の月曜日)に、首都ダブリンの公共建造物を占拠し、アイルランド共和国の旗を掲げるという蜂起を起こした!

さらにそこで、「ここにアイルランド共和国の樹立を宣言します!」と高校球児並のさわやかさで宣言してしまったんだ。

当然英国としては怒り狂い、ダブリンの超狭い川に軍艦までよこして、1週間で彼らを弾圧。

そして指導者連中は全員処刑にした。

一連のこの事件は「イースター蜂起」と呼ばれている。(イースターは復活祭)

これらの事件は、当時のアイルランド国民にとって、「アイルランド独立に向けての実質的な第一歩」として心に深く刻み込まれた。

時のリーダーの肖像画は各家庭で、革命の象徴として飾られていたんだそうだ。(バーダックだって反フリーザ勢力の象徴だよね!)

1910年ごろの、ついに動き出したアイルランド独立への道のり!なお話。