ライター:大島 豊
さて何から聴こうか、とあれこれ考えてみたのだが、年をとって面倒臭いことができなくなっている。一番最近感動した歌のことをまず書いてみよう。
正直、この歌にこんなに感動するとは、自分でも意外だった。Daoiri Farrell の今のところ最新作《The Wedding Above In Glencree》ラストのトラックだ。このアルバム自体がまず意外だった。デイリ・ファレルの名前は知っていて、セカンド《True Born Irishman》2016 も聴いている。あまり良いと思わなかった。声は良いが、その良さに頼りきっていて、単調と聞えた。だからその後では追いかけることもしていなかった。しかし、かれの評価は高まるばかりである。アイルランド伝統音楽シーンでは歌の復権が著しい。その一角を担う逸材、というわけだ。なにせライヴには行けない。YouTube などの動画で見るのとは別の話だ。うーむ、そんなにいいのかー、と腕を組んでしまうしかない。
そこでとにかく一昨年出た《The Wedding Above In Glencree》を買ってみた。聴いてみた。仰天した、と言っていい。これはアンディ・アーヴァイン、ポール・ブレディ以来ではないか。
そりゃ、アイルランドに良い歌うたいは星の数ほどいる。男性に限ってみても、Len Graham、Tim Dennehy、ドロレスの弟 Sean Keane、John Spillane、Iarla O Lionaird、Frank Harte、Pat Kilbride、Jimmy Crowley などなど、ぱっと思いつくままにあげてみても、皆、個性的で一小節聞けば誰それとわかる。そういう中に置いても一頭地を抜いている。
マーティン・ヘイズが初来日したとき、鍋をつつきながら、アイルランド伝統音楽の男声シンガーで誰がいいかという話になった。かれは何といってもポール・ブレディが断トツと言って譲らなかった。あたしがあれこれ名前を挙げるのを、誰も彼も、いいシンガーだがポールにはかなわない、と退けた。そう言われて、あたしにも断固とした反論はできなかった。伝統音楽に限らず、こと歌うたいとして、歌のうまさにおいて、ポール・ブレディに肩を並べるのはヴァン・モリソンぐらいではないか。
デイリ・ファレルはそのポール・ブレディにも匹敵すると言っていい、と最新作を聴いてあたしは思った。何よりもほぼブズーキ1本を核とした伴奏の真向勝負。どの歌も小細工をせず、衒いもなく、歌の核心にまっすぐ向かい、しっかりと掴んで、聴き手にまっすぐ差し出す。そしてラストまで来て、ここでもみずみずしいブズーキのイントロから歌が始まって、あたしは思わずのけぞった。えー、今さら、これかよ。というのが反射的に思ったことであることは告白しておく。
というのもいわゆる耳タコの曲の一つだからだ。アイルランドの歌のアルバムを作ろうとすると、たいていの人がこれを入れる。なにもわざわざデイリ・ファレルともあろううたい手が、今のアイルランドで一、二を争うと言われるうたい手がとりあげなくてもいいだろう。
なお、ここで歌われているのは Canon Charles O’Neill による歌だ。同じタイトルの伝統歌は別である。Ye Vagavonds が《The Hare’s Lament》でとりあげているのは伝統歌の方だ。シャーリー・コリンズやイワン・マッコールが歌っているヴァージョンと近縁と思われる。
とまれ、名唱もまた少なくない。すぐ近くでは、奈加靖子の歌唱がピカ一だし、永田雅代を中心に、関島岳郎、中村大史、向島ゆり子とそろうバックには脱帽するばかり。ブルターニュのアラン・スティヴェールは時期的には古いが、時代を感じさせない。あたしが偏愛するのはパイパーでシンガーの Tomas Lynch のヴァージョン。メロディのアレンジがいい。この人はシェイン・マゴーワン&ザ・ポープスのアルバム《The Snake》でパイプを吹いている。それに、チーフテンズとの共演ではあるが、シネイド・オコナーのヴァージョンも忘れがたい。オデッタが歌っているのはゴスペルとして歌っている点で異色だ。アイルランドの伝統歌を唄おうというのなら、どこかで一度はうたっておこうという気持ちにさせられる歌なのかもしれない。
そしてデイリ・ファレルである。ここでのブズーキ、ギター、バンジョーの伴奏は、アンディ・アーヴァインやポール・ブレディの流れを汲んで、一見シンプルだが実はかなり緻密にアレンジしている。このバンジョーはテナーではなく五弦。ここでテナーでは音が強すぎる。フィドルではなくロゥホィッスルなのは、音に隙間を作ろうとしたとみた。ともに核である歌を、声を押し立てるためのものだ。
真向勝負、正面突破なのだが、ファレルはただ闇雲に猪突猛進するわけではない。正面突破するにはそれだけの備えが必要だ。まずそしてイントネーションの変化、均等に音を追うのではなく、伸ばし縮める。たとえば最初の2行を例にとろう。
It was down the glen one Easter morn to a city fair rode I.(あるイースターの朝、うるわしの都へむかう谷に馬をすすめていた)
down, glen, Easter, morn, city, rode, I 各々のアクセントのある音をわずかに伸ばしたり、装飾音をつけたりする。
Their armoured lines of marching men in squadrons passed me by.(武器をもった男たちが隊列を組んで私の脇を過ぎていった)
armoured, lines, marching, men, squadrons, passed, by も同様。一行目の I と韻を踏む by も強調される。
この行では ar, li, mar と頭からあ行の韻が踏まれ、行の最後も pa, by とあ行でまとめられている。そのためアクセントを強調することでスイングするビートが生まれる。
次の行、
No fife did hum nor battle drum did sound it’s lowly tattoo.(横笛も、戦鼓も鳴らさず、秘そやかに音もなく行進していった)
も同様だが、この行にはもう一つ仕掛けがある。ラストの it’s lowly tattoo で、ぐいと音を高くするのだ。通常のメロディからは外れるところだが、ちょっとやそっと高くするのではなく、ぐいいと上げる。これには高揚させられる。否応なく、熱くなる。同じ仕掛けは各連3行目で繰返され、そのたびにあたしは胸が熱くなる。熱がだんだん上がってゆく。
同じ手法が第3連2行目
Through the laden rain seven tongues of flame they rang out over lines of steel(篠つくような雨をついて、炎の舌が七度、鋼の線の上に轟いた)
の行頭で使われる。
第4連2行目の終りの方 the grey north sea の north で音がわずかに引き上げられるのは強調。通常、アイルランドから見た第一次世界大戦の戦場は南になるが、北で死んだ兵士たちも忘れるな、の気持ちを籠めているだろう。
大胆で緻密な仕掛けはこの他にもいくつもある。細かく聴いていけば、ほとんど一節ごとに見つかると思われる。あたしにはわからない楽理的な工夫もあるにちがいない。聴きなおすたびに新たな発見があろう。
こうした配慮を生かすのが、うたい手自身の歌唱だ。明晰な発音で、音の一つひとつ、言葉の一語一語をていねいに歌う。貫通力と浸透力をともに備えた中身の詰まった声が、その詞を聞き手の耳に、胸に打ちこんでくる。もう声に頼ることもない。この歌をうたうことに全身全霊をかけている。聴く方も可能なかぎり集中して耳をかたむけようとする。そうせざるをえなくなる。一節ごとに引きこまれてゆく。名づけようのない熱い感情と、なぐさめようのない哀しみが湧いてくる。
この歌は1916年のイースター蜂起で斃れた者たちと、同じ時期、第一次世界大戦の戦場で死んでいった者たちの鎮魂の歌として生まれた。あなた方の死は無駄ではななかったと呼びかける。そこからこの歌はアイルランド共和国の愛国歌とされてきた。その側面を否定するつもりはない。しかし、それだけの歌でもない、とあたしは思う。少なくともデイリ・ファレルがここでこの歌をこのように歌ったのは、アイルランド共和国独立万歳だけのつもりではないと思う。
イースター蜂起の際にアイルランド独立をめざして蜂起した人びととこれを叩き潰した英軍の対比は、たとえば今のガザの人びととイスラエル軍の対比に匹敵しよう。あるいはイースター蜂起の時の彼我の差の方が遙かに大きいかもしれない。ガザの状況はリアルタイムで全世界に公開され、直接間接様々な形で支援もされている。イースター蜂起とそれに続く英軍の措置を当時リアルタイムで知っていたのは、最大限に見てアイルランドとブリテンの一部、それもダブリンとロンドン周辺に限られた。スコットランドやイングランドの田舎では、まったく知らない人びとの方が多かったかもしれない。アイルランド島内ですら、まるで無縁の人びとは多かっただろう。アイルランド独立を宣言した人びとは孤立無援だった。武器といえばせいぜいが旧式の小銃とビストル。それに対し英軍は歌われているように、軍艦をリフィー川に入れた。
しかし、彼我の差の大小にかかわらず、圧倒的に強大な力によって、人間として最低限の生存を脅かされる点では、イースター蜂起の際のアイルランドと、ガザ、パレスティナ、ウクライナ、その他、世界各地で現在起きている、進行している事態の対象とされている人びととは同じである。
この歌はこれまでも起きていたし、現に起きているし、これからも起きるだろう抑圧や搾取の対象とされた、されている、されるだろう人びとへの連帯と支持を表明し、そして激励するものとして歌われている、とあたしは聴く。あくまでもこのデイリ・ファレルの歌ではということだ。それはまた伝統歌謡、フォーク・ソングを伝えてきた人びとの姿勢でもある。
ファレルのノートによれば2019年に『アイルランド人お気に入りのフォーク・ソング』というテレビ番組でこれを歌ってくれないかと頼まれ、その年の春、オーストラリアをソロ・ツアーしていてこのアレンジを思いついたという。だからロシアによるウクライナ侵攻開始が直接のきっかけとなったわけではない。とはいえ、今この歌を聴くと、やはり今起きていることを思わずにはいられない。あたしらにもまた、この歌による激励を必要とする時が来ないともかぎらないと思わずにはいられない。すぐれた歌はこういうしかたで作用する。(ゆ)
<編集部から>
機種依存文字の使用ができないため、原文の人名に使用されている特殊アルファベットを標準的な英文アルファベットに変更したことをおことわりいたします。