過去が書き換わるというお話:field 洲崎一彦


出典 Irish PUB field

ライター:field 洲崎一彦

今回は音楽の話から入ります。最近、ちょこっと軽いレコーディングをする機会がありました。私がブズーキで先に伴奏を録音したものに後から違う人がフィドルを重ねて録音するという手順の作業です。こういうのは、普通、メトロノームを聴きながら個々に演奏するわけで、このメトロノームがガイドとなってミックス作業でぴったり合わせることが可能になるのですが、今回はどうもうまくいかない。

うまくいかない時は、どちらかがメトロノームの拍からずれた音を出していることが大半なのですが、あとで確認しても双方がメトロノームにきちっと合っているのです。明らかにずれた音が見つかるのではないのですが、個々で聴くより合わせて聴いた時の方がぐっと音の流れが悪くなる感じ。これなら伴奏なんて無い方がええでしょうみたいな事になる。

色々と録った音を分析しつつ考えあぐねた結果、私とこのフィドラーはメトロノームの聴き方が違うという結論に達しました。そして、この分析を手伝ってくれた録音エンジニア氏の言うには、私のメトロノームの聴き方にひどいクセがあるというのです!

ガーン!ガーン!

10数年前には、私は音楽のリズムやノリという部分の謎に大きく惹かれて、自分なりに悩み、考え、分析し、勉強して、当時のfieldアイ研の面々、あるいは、セッションに集まる若者たちを募って、この問題を一緒に考えよう!という練習会を主催していたわけです。その私が、、、、メトロノームの聴き方にひどいクセがあると?!

私がメトロノームを聴きながら弾いたブズーキに合わせて、フィドルの人がこれに沿って合わせて弾くのが弾きにくいのではないかということをこのエンジニア氏は言うてるわけです。

そう言われて見れば、、、それこそもう10年以上前になりますか、当時よくセッションに来てくれて、かつ何度か一緒にユニットを組んだこともあるとあるフィドラー男子。彼は、いつもいつも、すーさんのブズーキはうるさい!と私に注文を付け続けていたものでした。また、とある英国人ボーカル、ウッドベースと3人ユニットを組んだ時には私のブズーキだけが浮き上がってしまって、どんなに試行錯誤をしてもそれが解決できなかった。等々、あまり思い出したくないような事を色々思い出してしまいます。その時はたぶん、いや、キミらの方がおかしいんや。。。とかなんとか無理やり思うようにしていましたが、その後しばらく私はブズーキを持ってセッションに参加することに足が遠のき、ほぼ1年以上、まともにセッションに参加しないような日々が続きました。いや。思い出したくない。

アイリッシュだけではありませんね。その昔は、私は大学軽音からの流れで社会人になった後でも機を見てロックバンドを組んでギターを弾いていました。でも、その多くは長く続かず、1度もライブの機会も持たずに解散していったバンドも多かったのですが、そのほとんどが、私とドラマーがぶつかることが原因でバンドが空中分解してしまうパターンがほとんどなのでした。つまり、リズム楽器の人とことごとく意見が合わなかった!!これもあまり思い出したくないなあ笑。
 
10数年前の、アイ研練習会の頃は、私は非常に意欲的にリズムやノリのことを研究し、分析し、勉強もしていたという自負心のようなものがあったので、私の考え方感じ方が標準的であるはずだと思い込んでいましたし、そういう態度で若い参加者にも接していました。この記憶が、今、音を立てて崩れて行くかのようです。

私の方がちょっとおかしかった?   そうかもしれないの???  そうなの??

あの頃のみんなー!ごめんなさいー!

いやはや、最近多いですね。この、あの頃のみんなごめんなさい気分。。。

現在のちょっとしたモノの見方の変化が過去の記憶まで塗り替えてしまうこの感じ。。。

音楽以外のことでもすごい多いんですよ。

これ。これも老化なんでしょうか。老化ってもっと頑固ジジイ的なイメージがあったのですが、これはその真逆で、どんどん、気弱で卑屈になる方向ですよね、これ。

が、上記のメトロノームの話でずしーんという気分になった時に気が付いたのですが、これは、今、これから私が楽器を弾く、あるいは、音楽に関わる時の私自身がこれまでとはちょっと違ったスタンスになるかもしれないことを示唆しているわけで、実は、どこか慣れた作業というか習慣的というか、悪く言うとマンネリの要素も多かった部分にちょっとした光を当てる雰囲気に思えて来る部分があることに気づくわけです。

これ、今回、音楽という限られた範囲の話なので私もより具体的にイメージすることが出来たわけですが、例えば、これまで私は不遜にも自分の音楽感が標準的なものだと思い込んでいて、自分と意見が合わない人たちに対して常に、何で?何で?とやきもちするというかイラついているというかそんな状態だったわけです。が、ここに来て、自分が標準的なのではなくて人々の方が標準的だったのかもしれないということになれば、この何で?何で?の答えがすっと出る。そんなん当たり前やん、と。

すると、音楽というのはまあ基本的に人との共同作業が多いわけですから、自分のこの部分をこうすれば摩擦なく進むことが出来るかもしれないという工夫の心が涌いて来るというものですね。また、自分が譲れなかった部分が標準的なものではなくて不正解だったとまでは言わなくても、なんせ、表現云々の話ですから、これは自分の個性だと思えば、もっと良きに解釈して、オリジナリティだ!いざと言う時の武器だ!と考えれば、また違ったいろいろな作戦も涌いて来る、というように目の前が開けた気分になったわけです。

最近、こういうことばかりぶつぶつ言いがちな私に、field店長S氏が、まあそんなに卑下しなくてもいいじゃないですか、と慰めてくれるのですが、そういう風に慰められると、ちょっと違うねんけどなあという違和感が付きまとっていたのですが、これだったわけですね。どこかが書き換わりつつある自分への好奇心と申しますか、楽しみと申しますか。そういう気分が伴っていた。音楽以外の事柄に対しても。。。

なんて思うと、老け込んでいる場合ではありませんね!なんか、無性に楽器が弾きたくなってきました!はい!

とかなんとか言いながら、現在、右手親指がバネ指になってしまって、楽器弾くと痛くてしょうがないのですわ笑。(す)