ライター:大島 豊
この連載の原稿をそろそろ書きはじめようと思っていたらジョニィ・デューハン Johnny Duhan 溺死というニュースが入ってきて驚いた。ゴールウェイ西部、スピッダルに近い海辺に住んでいた由。死んでいるのが発見された同じ朝、もう1人30代の女性がやはり泳ぎに来ていて遺体で発見されたが、二人は互いに知っていたわけではなく、警察は別々の事件と考えているという。ただ、どちらも普段からこの浜辺でよく泳いでいたそうだから、溺れた原因には何らかの共通要因があるのかもしれない。
デューハンは享年74歳。リマリック出身で、1960年代後半、アイルランド最高のビート・バンドと言われた Granny’s Intentions のメンバーとして名を上げる。このバンドの出身者としては後期のリード・ギタリスト Ed Dean がスティーライ・スパンを抜けて帰ってきた Gay & Terry Woods が組んだ The Woodsband に参加している。ここに詳しい記事がある。
https://www.irishrock.org/irodb/bands/grannysintentions.html
1970年代初頭にバンドが解散した後はデューハンは音楽産業とは一線を画し、シンガー・ソング・ライター、詩人として活動した。1980年代からソロ・アルバムを出しはじめ、1990年代から2010年代にかけて、手作りながら質の高いアルバムをリリースする。2015年の《To The Light》が遺作となった。
デューハンの曲をひとつ追悼にとりあげようと思ったのだが、アルバムは買っていてもロクに聴いていないといういつもの悪い癖が出てしまっている。迷っているうちにクリスティ・ムーアの3年ぶりの新譜《A Terrible Beauty》がやってきた。着いたばかりでまともに聴いている時間が無い。しかしそこで思いだしたのが、ムーア畢生の傑作《Ride On》1984 でデューハンの曲をとりあげていたことだ。
〈El Salvador〉はデューハンのやはり1984年のソロ《Current Affairs》で発表されている。あるいはムーアはレコードの前にライヴなどで聴いていたかもしれない。レパートリィに沿った半自伝 One Voice には書かれているかもしれないが、本がどこかに埋もれて出てこない。いつもながら困ったことである。
デューハンのアルバムは Discog で見るとタイトル通り、当時起きていたことへ反応した曲を集めている。エル・サルバドルは凄惨な内戦にアメリカのレーガン政権が介入して、世界の耳目を集めていた。米国内ではベトナムの二の舞いを警戒する声も出ていた。アメリカの特異な作家ルーシャス・シェパード Lucius Shepard の出世作「サルバドル Salvador」もこの内戦を背景としている。シェパードはジャーナリストとして現地に入ってもいた。
デューハンのレコードは当時見た覚えがない。この頃はアイルランド産のフォーク、伝統音楽のレコードは出ればほぼ全部国内にも入ってきていたし、漏れなく買っていた。タイトル数がそれくらい少なかった。あたしがデューハンとそのうたを知るのは1990年の《Family Album》だ。後にキング・レコードから国内盤も出たこのアルバムは珠玉と呼ばれるにふさわしい歌を、頬のふくらみを感じさせる声で訥々とうたっていて、シンガー・ソング・ライターの「大型新人」が現れたと喜んだものだ。グラニィズ・インテンションズのことは後から知った。
ムーアの《Ride On》はムーヴィング・ハーツを抜けた後、ソロ・アーティストとしてあらためて出発したムーアが独自の「声」を獲得し、アイルランドの「国宝歌手」への道を辿りはじめるアルバムで、こちらも後に国内盤が出た。ここでムーアはデューハンの曲やジミィ・マカーシィ Jimmy MacCarthy によるタイトル曲、あるいは実弟 Barry Moore の曲をとりあげて、アイルランドの新しいソングライターたちに我々の耳を開いた。マカーシィは後にメアリ・ブラックやモーラ・オコンネルたちもとりあげるが、ここでのムーアのカバーはその先駆けでもある。
プロデュースはドーナル・ラニィで、ドーナルとデクラン・シノットの3人だけで作っていて、最小限のバックにムーアの声がくっきりとたちあがる。デューハンの曲も、ドーナルがシンセでごく薄く水彩の背景を掃き、ムーアが終始ギターのアルペジオをくり返してうたう。小さく入る鈴の音は哀しみをぎりぎり耐える緊張を伝えてくる。
エル・サルバドルは内戦だったが、内戦であろうと対外戦争であろうと、現代の戦争は否応なく非戦闘員の市民を巻きこむ。「銃後」は存在しない。したがって戦争で殺されたくなければ、起きないよう、起こさないようにふるまうことが肝要になる。この歌は21世紀前半にあってそのことを改めて警告する。声高にではなく、ムーアの歌唱のようにひっそりとつぶやく。(ゆ)