ライター:field 洲崎一彦
前回は、2004年の秋も深まった頃においでになった、ブズーキの神様ドーナル・ラニー氏からまたとんでもない刺激を受けてしまったというお話をしました。今考えてもここから始まる迷路は、まさに泥沼だったと言わざるを得ません。
私は、20代の中頃に初めて目の前で観た、黒人ジャズドラマーの揺さぶり、うねりのインパクトをドーナル・ラニー氏のブズーキに見てしまった。が、これはもしかしたら勘違いだったかもしれない。アイルランド音楽とアメリカのジャズは一見あまり共通点が無いと思われています。なので、当時の私はとんでもない誤解をしていたかもしれません。が、その時はそう思ったのだから仕方が無い笑。
そして、この誤解(?)から始まる道が荒唐無稽だった。
そうなのです。うねりって何やねん?揺さぶりって何やねん?ここからなのです。初めて目の前で観た黒人ジャズドラマー。それは1986年ごろで、私は、今で言う音楽専門学校のスタッフをし始めた時代でした。元々はジャズスクールの老舗だった学校。いきおい、校内の雰囲気はジャズ一色です。講師陣も京都ジャズ界でぶいぶい言わしていたややこしいおっさんばかり、いや、猛者ばかり。そんな雰囲気の中で、いつも、誰もが口にしていた謎の呪文「スウィング」。私はそれまでは完全にロック界の住人だったので、その言葉は聞いたことあるけれど、何を言うてるのかさっぱり判らない。それ、いったい何のこと?頭の中はいつも???でした。「スウィング」直訳すると「揺れ」なのですよこれが。こういう昔の記憶が急激によみがえることになります。思い出話の中の思い出話なので、ちょっとややこしいですが。。。。。
と、ある時、ややこし目のジャズのおっさん講師と雑談していたときに、唐突に、あのう、「スウィング」ってどういうものですか?と、きいてみた。そのおっさんは一瞬固まったような顔をして、それが少し怒りを含んだ表情に変わったかと思うと、立ち上がってノッシノッシと歩き始めます。そして歩きながら、これがスウィングや!と言って、さっとどこかに行ってしまった。あかん、なんで怒らはったんやろ。。。。きっと何か難しい意味があってんな。。。
その後も、ことあるごとに、特に同年代の怖くなさそうな若い講師に同じ質問をたずねたり色々するわけですが、人によって言うことはバラバラ。結局、リズムに関することなんやろうけど、もうひとつ良く判らない。。。。
という時期に、上記のジャズドラマーを目の当たりにするのです。このドラマー、実は名前も何も覚えていません。当時よく通っていたジャズ喫茶で時々生演奏ライブが行われていたのに偶然居合わせたのでした。そして、ん?これか?この感じが「スウィング」なのか?確かに揺れてる。。。。そして、音楽のすべてを支配している、と。言葉ではうまく言い表せないけれど、とにかくなんとなく納得したのでした。
では、ドーナル・ラニー氏は「スウィング」してたのか?となる所なのですが、頭の中ではアイリッシュとジャズは全く別物だという先入観がありますから、すぐに、このようには結びつかない。それで、当時の私はこう考えた。
ジャズの「スウィング」を生み出す仕組みと何か良く似た仕組みがアイリッシュ、特にドーナル・ラニー氏のブズーキにあるに違いないと。が、ドーナル・ラニー氏のどのCDを聴いてもあのような強烈な揺れを感じることが出来ない。あの時のセッションで彼がたまたまやっていただけの事なんやろうか。それにしては強烈なインパクトだったし。が、こればっかりは確かめる術がない。彼はブズーキの神様ですから疑ってはバチがあたる。と、完全に暗礁に乗り上げるのです。
次の刺激は、ソーラスでした。アメリカの有名なアイリッシュ・バンド、ソーラスのコンサートが滋賀県栗東市で開催されたのに駆けつけたのです。主催者側からの提案で、ロビーでの賑やかしに、わがアイ研が演奏するというようなおまけがついた。が、これはホンマに完全におまけ。
ソーラスの生演奏は驚きの連続。特に、「スウィング」とドーナル・ラニー氏の接点が焦げ付いていた私にはビシビシ来る刺激があり、新しいキイワードをつかめた気がしたのです。当時はそう思った。そのキイワードが「16ビート」。
このコンサートには、アイルランドからジーン・バトラーという著名なアイリッシュダンサーが帯同していてプログラムの中で何曲か踊った。この名手とされるダンサーの床をタップするポイントが何度かずれるのです。端的に言うと、ダンスがソーラスの演奏に合わない、もしくは、ソーラスの面々がダンスに合わせるのに苦労している。そんな感じがしたのでした。
また、リーダーのシェイマス・イーガン。彼は基本的にロウホイッスル、バンジョー等を駆使する人なのですが、この日はこられに加えてガットギターを多用していた。ギタリストが、あの有名なジョン・ドイルから代わって新人の人(名前忘れた)になっていたというのに関係あるのかと思って興味深く観ていて、気がついたことがあったのです。シェイマスがガットギターを弾いた時だけバンドの雰囲気ががらっと変わる!特にjigの時のそれが顕著だった。
当時の私の感想は、シェイマスとジーンのリズム感だけが何か違うみたい。が、シェイマスがガットギターを持てば他のメンバーはすっとそれに寄り添う、そんな印象が残ったものです。ダンスのジーンさんはそりゃあ混乱するだろうと。あくまで、想像ですが。
ここからの私の当時の分析は昔のクランコラのコラムに書いた記憶があります。今読み返すと、よくもまあ当時こんな分析をしたものだという文章が残っていて非常に恥ずかしいのですが、そうか、、、「16ビート」がキイワードやったか、、、と色々思い出すことも多いのです。シェイマス&ジーン vs ソーラスの他のメンバー、のリズム感の違いは、シェイマスさん以外のソーラスのメンバーは全員放っておくと「16ビート」になってしまうんや???と。
つまり、私はドーナルの「うねり」から、「スウィング」との出会いの記憶をたどっていたわけですが、記憶はもっとさかのぼらなければいけないということになるのです。
ジャズが1970年代後半にクロスオーバーとなりフュージョンになって行く過程で「16ビート」なるものが出現した。つまり、私は、上記のジャズスクール時代よりもさらに以前の大学軽音時代の記憶までさかのぼって迷路の中をさまよっている。今読み返すと、そんな私が、リアルにこのクランコラの駄文に表れているのでした。
私が、大学軽音に入った1970年代終盤。ロックの世界はそれまで隆盛を極めていたブリティッシュ・ロックが影を潜め、アメリカ西海岸の明るいサウンドが台頭しつつ、東海岸のニューヨークを席巻していたソウルミュージックが異彩を放って日本の軽音界に押し寄せてきた時代でした。そこに、ジャズからの辣腕ミュージシャンが参入して演奏面での技巧を誇示しはじめ、新しく「クロスオーバー」と呼ばれる波が出来て、さらに、歌が入らないインストルメンタル曲で押し通す「フュージョン」というジャンルが成立して来るというような、めまぐるしい時代でした。
その後、この「フュージョン」はTVのCMはもとより天気予報やドキュメンタリーのバックで頻繁に流れたり、有名な所ではちょっと後年になりますがフジTVのF1番組のテーマ曲になったりするぐらいの勢いで日本中を席巻するのです。
ネットが無い時代、音楽雑誌では、このような新しい音楽の流れに対しての、いろいろなコメントや、国内ミュージシャンの具体的な楽器の奏法についての解説が毎月毎月掲載される。軽音界に首を突っ込んだばかりの私たちは、このような情報に毎日右往左往する。
そんな中で初めて耳にする「16ビート」という語。私たちの軽音時代は、まさにこの語に翻弄されて終わったと言っても過言ではありませんでした。
このお話は、さらにアイルランド音楽から離れ、もっと私の記憶をさかのぼって、「スウィング」から「16ビート」の世界に踏み込んで行かなくてはならなくなってしまった。。。。そろそろ、ここまで読んでいただいている皆さんもしんどくなって来たかもしれませんね。
どうしたらええやろうか。。。このまま、このお話を続けていいものでしょうか。。。
大いなる迷いの内に、今回はここまでとします。
ああ、思い出すのも大変やけど、思い出してみると自分でも、あ、そうか、みたいな発見があって面白いと言えば面白いわけで。。。笑。(す)