再びブズーキの話をしよう4:field 洲崎一彦


出典 Irish PUB field

ライター:field 洲崎一彦

前回は、2003年の秋口においでになった元アルタンのフィドラー、ポール・オショネシーさんと、その2ヶ月後においでになったエニスの名人フィドラー、パット・オコナーさんに打ちのめされて、この2人のフィドルに共通するものは何かを探し求めた結果、それが、我が道を行くぞという強力な圧力!エモーション!であるという所に行き着いたというお話でした。

当時の私は、ショックが大きかったこともあり、非常に極端な解釈をしたわけです。まわりの音に惑わされてはいけない!と。まわりの音なんか聴いててはだめだ!と。

2003年と言えば、ちょうど、fieldの上階にfield STUDIOが出来た頃です。このスタジオを作った経緯もまあいろいろエピソードがあるのですが、ここではそれは省略。とにかく、ロックバンドにも耐えられるスタジオが出来たのでした。そして、私は、極個人的な趣味で、ここでドラムの練習を始めるのですね。ちょうど、ロックバンドやってるスタッフがいたので、彼らに練習に付き合ってもらって、古いブリティッシュロックの中でも難曲とされる「21世紀の精神異常者」という曲をを練習曲にしていました。これが同じ時期に重なっている。これがマズかった笑。

まだ、手足も自由に動かない初心者が、上級者でも難しいとされる難曲のドラムにトライするのですから、まあ、ただの無謀なんですが、これが叩きたくてワシは自分のスタジオを作ったんや!ぐらいの思いがあります。当時のスタッフ君たちもよく付き合ってくれた。そして、ドラムと言う楽器の妙を自分なりに勝手に悟るのです。

「ちょっとでも回りの音を聴いたら遅れる。。。」

まだ手足も自由に動かないのだから、当たり前ですね。でも、この時の私はこのように痛感した。まわりの音を聴いてはいけない!と。

そして、前回書いたパットさんの足踏みの話。これ、簡単に融合しますよね。

そして、ブズーキという伴奏楽器を抱えてセッションに陣取る私は、まわりの音を聴かない!ということを実践し始めるのでした。ここで、もっと正確に言うとですね。聴かないというのはまわりで音が鳴っているのだから現実には難しいので。つまり、合わせようとしない、という事になるのです。合わせようとしない伴奏者。。。おー、怖わ!

セッションでこういうとこをすればどうなるか。こちらがまわりのテンポよりわずかに早い時は皆さんついてきてくれますね。でも、こちらが遅い時は皆さん私を置いて行きます。ということはですね。セッションで、自分目線で合っているという感覚を得る為には私は常にまわりの皆案より少し早いテンポで頑張らなくてはならなくなります。これはこれで楽しかった。頑張る感じが楽しかった。当時は私はこれでええんや!と思ってブズーキを楽しんでいました。

しかし、しばらくすると雲行きが怪しくなって来ます。パーティ等でもよく一緒にユニットを組んでいたフィドラーのMさん。お互いまあ忌憚なくモノを言い合う仲だったこともあるのですが、彼が「すーさんのブズーキはやかましい」と言い出すのです。

ちなみに、このMさんというヒトもなかなか凄い人で、彼は彼で独自にアイリッシュダンスチューンのノリを研究していた。この後年になると、彼は著名フィドラーのソロ音源をコンピューターに取り込んで波形を分析し、頭拍がちょっと早いとか3拍目がちょっと遅いとかの分析まで行っていたヒトです。

やかましいって。。。どうやかましいの?とか何とか私たちの間にもやりとりがありまして。彼が言うには、よけいな音が多すぎる、と。また、変なところで早くなって変なところで遅くなる、と。う!って感じですね。意識してそうなってるのでは無いのでどうして良いやら混乱してしまう。

このあたりからですね。私の大きな迷いと悩みがブズーキを弾くにあたってつきまとってくるようになったのは。迷路の始まり。

いろいろな試行錯誤がありました。もしかしたら、やっぱりまわりの音を良く聴かなければならないのか。と思いつくや、すぐにそれを実践してみます。するとどうなるか。慎重にまわりの音を聴いて合わせているつもりなのですが、どんどんもたって行く。つまり私だけが遅くなって行く。これって、あのドラムスを練習し始めた時のあの感じやん、あかんあかん聴いてはだめや、と。では、聴きすぎなのか?と、なりまして、聴いたり聴かなかったりの加減をいろいろ試してみるとか。その都度、Mさんの反応を確かめます。よけいやかましくなった。。。がびーん!  こんな事の繰り返し。

こんな日々を繰り返している頃に、またまた大変なヒトが当店にやって来るのでした。それが、アイルランド音楽に最初にブズーキを持ち込んだとされる伝説のヒト、ドーナル・ラニー氏!彼は一時期京都にお住まいになっていたのでした。

そんなもん、ブズーキに四苦八苦している私にとっては神様!いや、神様以上のヒト。そのヒトが以前ここにも書いた私の変態ブズーキを見せてくれと手に取ってしげしげと見る。じゃらーんと軽く弾きながら「もっと太い弦を張った方がいい」なんて言う。そして、今度、自分のブズーキを見せてあげようと、数日後に本当に自分のブズーキを抱えておいでになった。ほんまかいな!

私のより少しネックが短い。確かに、弦は私のより太くて低音がごりごり出る。なのに、高音弦とのバランスが抜群に良い!とかなんとか、本当はこんなに冷静に観察することは出来なかったのです。ドーナルさんのブズーキを今手に持っている!というだけで、頭がぼうっとなっていた。おまけにこのヒトは「今日はセッションする奴らは来ないのか?」と。おおおお!ドーナルさんがセッションをしようと言うておるのか!!

あいにく、この日はセッションの日ではなかったけれど、上階のスタジオで練習している奴らが居たのを思い出して、キミらこんなとこで練習している場合ではないぞ!すぐに2階に降りて来るよろし!と、全員2階に引っ張って来て、セッションじゃ!セッションじゃ!

皆、あまりの事態に現実感を失いつつも、調子に乗ってボシーバンドがCDでやってるセットを繰り出す奴がいたりする。ドーナルさんはすぐに反応して、CD以上のバッキバキのブズーキをかき鳴らす。ボシーバンドというのはドーナルさんが昔主催していたアイルランド音楽に革命を起こしたとまで言われているバンドだ。それを、ドーナルさん本人と一緒に私らは今セッションしている!なんて!現実感など吹っ飛ぶで。

そんなセッションで、私はドーナルさんの真向かいに座って、自分の楽器を弾くのも忘れてじっと彼の演奏に釘付けになっていたのでした。ぐいぐい来る感じは確かにポールさんやパットさんの、とにかくワシは前に行くけんね!ぽい押しの圧と同じ種類のもの。が、それは、ただ、勝手に前に行ってるのではない?!ことが判ったような気がしたのでした。回りの音を聴くとか聞かないとかの次元の話ではない!と。

ボシーバンドのCDは私もすり切れるほど聴いた。他のドーナルさんの参加しているCDも聴いた。けど、この時目の前で彼が弾いているようなブズーキは、この時初めて聴いた。こんな伴奏があり得るのか!というブズーキをこの時初めて聴いた。

それは、20才そこそこの頃に、ジャズ喫茶で黒人ドラマーの演奏を生まれて初めて目の前で聴いた時の驚きに似ていた。なんと言うか、言葉にするのがすごく難しい。それは、空気を支配している!という感じとでも言いましょうか。

誤解を恐れずに言えば、うねっているのです。黒人ジャズドラマーのようにうねっているというか揺さぶられているというか。もっと言えば、うねりながら揺さぶられながらぐいぐい前に進んでる!

この時期の私に、果たして、この刺激は良かったのか悪かったのか。。。

今から考えると、この時期の私に、こんな事を意識させると、これまた大変な迷路に落ち込みますわな。この、うねりや揺さぶりというような感じはいったい何なのか!?今から思えば、これは、アイリッシュミュージックというワクを簡単に飛び越えてしまう、とても危険な罠でした。

ここから、また私は変態ブズーキを抱えながら、果てしない泥沼に落ちて行くことになります笑。2004年の秋も深まった頃でした。

初心者が、何の段階も経ずに名人達からの刺激をランダムに受けるというのも考えものですね。いやほんまに笑。(す)