
ライター:大島 豊
新年号なので、いつもから趣向を変えて、昨年のベスト・アルバムについて書いてみる。
ストリーミングの時代にアルバムつまりレコードについてとりあげるのもどうかとずっと思っていたのだが、ミュージシャンたちはあいかわらずアルバムをリリースしているし、ストリーミングもアルバム単位が基本だ。むろんシャッフルやプレイリストにもできるが、リリースそのものはアルバムとして出ている。我々が聴きたい伝統音楽やそこからの派生音楽、フォーク・ミュージック、ポピュラー・ミュージック、ジャズなどは、アルバムとして40〜60分ほどの再生時間になるように複数の曲をまとめるのが、出す方にも聴く方にも使い勝手が良いということなのだろう。アルバムという単位はSPレコードの時代に生まれたが、LP時代、CD時代を通じて使われ、ストリーミング時代にもなお使われている。
ともあれ、アルバムすなわちレコードのリリース数はあいかわらず大変な数で、とてもではないが個人でカヴァーできるような規模ではない。アイリッシュ・ミュージックだけ聴いているわけでもないし、音楽を聴くだけの生活をしているわけでもない。したがってたまたま何らかのきっかけで聴いてみての上でのベスト・アルバムである。あたしが聴いていない、聴けていない優れた録音はいくらでもあるはずだ。
昨年リリースされたアイリッシュ・ミュージック関連のアルバムとしてまず挙げなければならないのは、3枚の国産のタイトルだ。
みわトシ鉄心《Pray Wish Come True》1月
hatao & nami《The Happy Cabin》7月
G-old field《Declan》11月
みわトシ鉄心はギターの堀尾みわ、トシバウロン、イレン・パイプ&ホイッスルの金子鉄心のトリオ。全員が歌う。そのセカンド・アルバムが昨年元旦に出た。このトリオの特色は歌である。リード・シンガーは一応堀尾さんだが、トシさん、鉄心さんもリードをとることがある。ほぼすべてのレパートリィが歌で、ダンス・チューンはその歌につながる形。プランクシティの後継バンドはアイルランドではついに出ないままだが、21世紀、極東に顕われた、と言ってもいい。さらにかれらは英語やアイルランド語の歌を日本語に移して歌う。訳すというよりは、根幹はそのままに、日本語のうたとして歌いなおす。スコットランドのウォウキング・ソングもモノにしている。アイリッシュやスコティッシュの伝統音楽の範疇でここまで歌をとり入れ、しかもダンス・チューンとからめて演っているのは、プランクシティぐらいだ。そしてここまでユーモアのセンスを発揮しているのは、まずこのトリオくらいだ。できれば一度はライヴを体験するのがベストであることは当然だが、このセカンドはレコードとしての質も高い。まずはかれらの音楽をこれで聴いてほしい。
《The Happy Cabin》は hatao & nami の4作目になる。前作《5分間の魔法》からはパンデミックをはさんで6年ぶりの新作。ほぼ全篇アイリッシュの伝統曲とそのフォーマットでのオリジナル。1曲バッハをジグに仕立てている。アイルランド回帰が一つのテーマだそうだが、単にもどりましたではむろん無い。一周した着地点は確実にずっと先へ進んでいる。だてに一回りしていない。まずは nami さんのハープの上達がハンパでない。ここではリズムに、リードに縦横にハープを駆使している。ライヴではピアノの曲もあり、この人のピアノの良さをあらためて思い知らされた。それくらいハープに入りこんでいる。加えて hatao さんの笛の奔放なこと。フルートとホィッスルを持ち替え、多重録音を使ってハモったりもするが、遊びまくるアレンジが冴えわたる。聴きどころは満載で、数曲でサポートするバゥロンもいい。繰返し聴きこむに値する。
G-old field は本誌にたいへん面白い記事を毎号書いている京都最古参のアイリッシュ・パブ field のマスター洲崎一彦さんのブズーキと信州大にその人ありと知られ、今は京都在住のフィドラー金子綾氏のデュオである。基本は2人によるアイリッシュのダンス・チューン演奏だが、洲崎さんが数曲で歌う。これがいい。まことにブロークンな英語なのだが、歌のキモをつかんでいるから、まるで気にならない。むしろ歌の最も大事なところ、その歌が伝えようとしている感情はしっかり伝わってくる。実に味わいぶかい。洲崎さんの人生と人柄がにじみ出ている。ダンス・チューンの方も名手と達人が丁々発止と渡りあう。といって、拳を握り、息を呑んで聴くだけでもない。みわトシ鉄心ほど表には出ないが、ここにもユーモアが底に流れている。
近頃はアイリッシュよりもジャズを聴いている時間の方が長い。その中で耳をそば立てたアルバムとして次の3枚を挙げておく。
Julie Fowlis, Éamon Doorley, Zoë Conway, John Mc Intyre, Allt, Vol. II: Cuimhne, 2024-12
Ciarán Ó Maonaigh, Lost In The Music/Caillte sa Cheol; 2025-06-27
Cormac Begley & Liam O’Connor, Into The Loam; 2025-08-02
《Allt, Vol. II》は一昨年末に出ていて、昨年になってからようやく聴けた。このカルテットによるセカンド。プロデュースにドーナル・ラニィが入って、ファーストからはレコードとして格段に良くなっている。ゾエ・コンウェイとジョン・マッキンタイヤはデュオとしても優れたアルバムを出している。コンウェイはすばらしいフィドラーになっていて、ひょっとすると今アイルランドで最もホットなフィドラーではないか。これはこの2人のアイルランド勢と2人のスコットランド勢の混成バンド。ジュリー・ファウリスの歌、エイモン・ドーアリィのギター、ブズーキ。コンウェイも歌える。アイルランド、スコットランドの混成バンドは意外にもごく稀なのだが、実現すると突出した出来になる。
Ciarán Ó Maonaigh はアルタンのマレードの、えーと、たしか甥のはずのフィドラー。Seán Óg Graham のギターを相手に、ドニゴール・フィドルをがんがんに弾いていて、とにかく気持ちがいい。タイトル通り、音楽に我を忘れることができる。キアランはフィドル・トリオの Fidil のメンバーとしてすでにレコードを出しているが、ソロとしては2枚目になる由。あたしはファーストは聴いていない。フィドラーはむろんだが、いやしくもアイリッシュ・ミュージックを演奏しようという人は聴くべし。
Cormac Begley & Liam O’Connor は対照的にすでにベテランの域の2人。だが、伝統音楽では年をとると過激になる人が多い。若いキアランがむしろオーソドックスな演奏に徹するのに対して、この2人は冒険をしまくる。コーマック・ベグリーはこれまでにも結構実験的なアルバムを出しているが、これはその彼にしてもかなり異色と思う。もっとも聴いていて、そう突飛なことをやっているとは聞えないのだが、聴きおわって、今のは一体何だ、と思い返すことになる。こういうこともできる、という見本だが、誰でもできるわけではない。
旧譜なのだが、昨年たまたま存在を知って聴き、仰天したアルバムを1枚挙げておく。
Eric Bibb, Tuva Livsdatter Syvertsen, Fraser Fifield, Ale Moller, Aly Bain, Knut Reiersrud, Jazz At Berlin Philharmonic VI: Celtic Roots; 2016
ヨーロッパのジャズ・レーベルに ACT Records というのがある。ECM ほど有名ではないが、やはりドイツ人が起こして同じくらいの歴史があり、ユーロピアン・ジャズの発展に計り知れない貢献をしている。その創設者で今なお主催している Siggi Loch が企画し、ベルリン・フィルの本拠のホールでジャズのコンサートを毎年1、2回やっている。出自の異なる様々なミュージシャンを組ませて、ユニークな音楽を生む企画だ。2016年3月に行われたコンサートの録音がこれ。なぜかアイルランド勢はおらず、スコットランド、ノルウェイ、スウェーデン、アメリカ出身のミュージシャンが集められた。これがとんでもなく面白い音楽をやっている。音楽の形としてはジャズになるだろうが、それぞれのルーツがしっかりと埋めこまれて、他では聴けない一期一会の音楽になっている。これについては別に書こうとは思っているが、「ケルト音楽」について考える際の、恰好の材料にもなる。伝統音楽は常に混淆音楽であることの、最高の証明でもある。これと、nami さんのもう片方のプロジェクト Shanachie & Anikor の新譜《Sielu》を聴いていると、うっとりするとともに、いろいろと考えさせられる。こういう録音を繰返し聴いて、音楽について、伝統について考えるのは愉しいことではある。(ゆ)
