
ライター:大島 豊
本篇に入る前にもう一つことわっておかねばならないことがあった。こういうものを書こうとしているあたしは何者か。何を根拠に書こうとしているのか。
あたしはこの春71歳になった。1970年代半ば、アイリッシュ・ミュージックを含むヨーロッパ北西部の伝統音楽、ルーツ・ミュージックに遭遇し、囚われて半世紀生きてきたことになる。ここでは一応アイリッシュ・ミュージックに話を限ることにする。この時、我々、というのはあたしを含めたごく少数、洗いざらい数えてもおそらく全国で数百人のオーダーだっただろう数の人間が、その存在を知り、好んで聴くようになるまで、わが国にアイリッシュ・ミュージックなる音楽は存在しなかった。アイリッシュ・ミュージックを聴いたことのある日本語ネイティヴがそれまでまったくのゼロだった、というわけではない。いや専門の研究者をはじめとして、何人かはいたはずだ。しかし、それに接した人間は個別の、個人レベルでの接触、遭遇であって、その接触、遭遇の報告や音楽の録音は世の中に知られてはいなかった。
1970年代半ばにあたしらがアイリッシュ・ミュージックに遭遇したのは偶然ではない。あたしが「アイリッシュ・ミュージックの現代化」あるいは「プランクシティ〜ボシィ・バンド革命」と呼ぶ動きがこの時期にアイルランドで始まり、アイリッシュ・ミュージック自体が活性化し、レコードが出始めた。その余波が、当時すでに始まっていたグローバル化によって遠く極東の涯まで届くことになった。あたしらはその恩恵を受けたのだ。
以来、半世紀、あたしは時期によって濃淡はあるが、ずっとアイリッシュ・ミュージックを聴きつづけてきた。それによって1970年代半ばに始まるアイリッシュ・ミュージックの勃興をリアルタイムで体験できたことになる。アイルランド本国でも田舎の爺婆たちがやっている時代遅れの、古臭い音楽とみなされていたものが、現代世界の最先端音楽の一つ、アイルランド文化を代表する、最も重要な活動の一つという地位に押し上げられるまでを目撃し、耳にすることになった。
この変遷はもちろん一朝一夕に起きたわけではない。アイリッシュ・ミュージックは1990年代半ばになって世界的にブレイクするが、それまででもあたしが遭遇してから20年経っている。初めは数枚のレコードを「すり切れるまで」聴いていたのが、レコードのリリースは多少の増減はありながらも、全体としては増えつづけ、1990年前後、CDの本格的導入によって爆発して、到底全部は聴けない、たとえ全部手に入っても、聴く時間が無いという事態になるまで、15年経っている。言い換えると、あたしは15年から20年という時間をかけてアイリッシュ・ミュージックに親しむことができた。あたしにとっては20代から30代いっぱいの時期になる。
親しむのに時間をかけることができたことの一番の恩恵は、アイリッシュ・ミュージックの全体像を持てたことである。アイリッシュ・ミュージックはあたしらの前にいきなりどーんと現れたわけではなかったからだ。1990年代半ばまで、アイリッシュ・ミュージックを聴こうとすれば輸入されるレコードを聴くしかなかった。インターネットなど片鱗すら無かった時代である。テレビや映画はおろか、ラジオでかかることもまず絶対に無かったし、実演者もいなかったし、セッションなどはそういうものの存在すら知られていない。情報もひどく少なかった。アイリッシュ・ミュージックについての専門雑誌や本も、本国でもほとんど無かった。アイリッシュ・ミュージックを含むヨーロッパ北西部の伝統音楽、フォーク・ミュージック、ルーツ・ミュージックをカヴァーする少数の紙媒体だけが頼りだった。
そうした中でとにかく細々と入ってくるレコードを買って聴き、ライナーを読み、断片的な情報をかき集め、少しずつできあがっていったのが、あたしにとってのアイリッシュ・ミュージックの全体像である。もちろんバイアスはまぬがれないが、こうしてできた全体像は全体像としては比較的バランスがとれている、とあたしは思っている。というのも、インプットする際にフィルターが働かなかったからだ。
1990年代までは、アイルランドに関するレコード、情報は、どんな断片でも貴重であって、どれがより重要かという判断をして取捨選択をする余裕など無かった。同時にアイルランドで出たレコードは、LPという形であるかぎり、ほぼ全部わが国に入っていたことも後にわかる。そうして入ってくるレコードは現代化の最先端であろうが、ローカルなフィールド録音であろうが、区別なく聴いてみたし、紙媒体による情報も、学術的な研究だろうが、ゴシップの類であろうが、おかまいなくむさばり読んだ。録音されている音楽の出自にも頓着しなかった。そもそも、アイリッシュ・ミュージックのローカル性が強調されるようになるのも、1980年代後半以降だ。アイリッシュ・ミュージックは直接間接に膨大な背景を抱えていることもわかってきて、歴史や文化にも網は広がった。こういう作業を20年も続けていれば、あたしのような鈍い人間でも、否応なく、それなりの全体像はできてくる。このことは、アイリッシュ・ミュージックが爆発した後でこれに遭遇し、親しんでいる人たちに比べると、多少とも有利に働くだろうとも思う。出会った時にすでに巨大な存在として目の前にあれば、その全体像を把握するのはなかなか難しくなる。
時間をかけてアイリッシュ・ミュージックに親しみ、あたしなりの全体像を摑むことができたのは、まったくの幸運だったという他はない。たまたまあの時、あの場に居合わせるという幸運を共にした少数の同志たちのうち、未だにアイリッシュ・ミュージックについて何ごとか書いているのは、どうやらあたししか残っていないようだ。であれば、あたしが書いておかなければ、この全体像は消えてしまう。幸運は分かち合わなければ逃げてしまう。幸運は共有して初めて幸運として定着する。その共有の試みをあたしはやはりずっと続けてきた、続けているつもりだ。まとまった形としては『アイリッシュ・ミュージックの森』とその改訂版『アイルランド音楽 碧の島から世界へ』だった。そして、もう一つ、これを補完する、別の形での試みとして『アイリッシュ・ミュージックの百枚』を書いてみようというわけである。だから、もちろんこれを読む誰かの『アイリッシュ・ミュージックの百枚』を見せてもらえるのではないかと期待してのことでもある。
一度に百枚分の原稿は書けないので、連載の形にするが、百枚のリストは一応できている。ほとんどは動かないだろうが、2割くらいは流動的だ。その一応のリストを後日ブログの方にあげておく。(ゆ)
