【最新号:クラン・コラ】Issue No.336

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クラン・コラ Cran Coille:ケルト・北欧音楽の森 Issue No.336

Editor : hatao
May 2022
ケルトの笛屋さん発行

音刺激への考察:field 洲崎一彦

さて、実はいろいろとプライベートな問題が重なって2ヶ月お休みさせていただいたこのクランコラ原稿を再開しようと思い立ったものの、最後に何を書いていたかと2月の原稿を読み返してみました。

ああ、何とまあ意味ありげな投げかけをしたままで止まってしまっていたのかと、我が事ながら目の前がクラクラしています。そうですね。2ヶ月前はああいうことを考えていたのですね、ふんふん、という感じです。

アイリッシュ音楽とそれ以外の音楽という2本立てで推移していた私自身の音楽脳をこの際1本にしてしまったら何か新しい景色が見えて来るのではないか、というお話しをしていたのでした。確かに、そんな事を考えていたなあ、と。

その後、いろいろな個人的な煩事に忙殺されながらも時間だけは経過してしまって、今、2月の原稿を読み直してみて思うのは、自分で書いたものとは言え、なるほど、うまいこと言ったもんやなと思うところもあります。

この2ヶ月間の具体的な音楽的体験はというと、当店で久しぶりのアイリッシュ音楽のライブを2本開催したこと。つまり、コロナ前では私の日常には当たり前の景色が復活したのですね。それが、やはりというか、何か以前とは違った微妙なものを感じたのでした。

とにかく、久しぶりのアイリッシュ音楽のライブです。これは、何と言っても、生演奏の音の力ですね。音刺激としてはスピーカーやイヤホンからのものとはまったく別のものじゃ!というのが第一印象。同じ音楽と言っても刺激としてはまったく違うものですね。特に、このコロナの2年間で、PCやスマホ画面と小さなスピーカーやイヤホンからの音楽に飽き飽きしている自分を思い知る気がしました。

そして、店内には久しぶりのアイリッシュ音楽のライブ目がけて駆けつけてくれたアイリッシュ音楽ファンの人々、また、ライブがあるなど知らずにご来店されていた一般客の人々が、それぞれにステージに釘付けになるその様は非常に美しい光景でした。

場内のオーディエンスが皆ステージに集中し、演奏が終わる毎に皆が拍手するのです。そりゃあ、これがライブの風景だと言えば風景なのですが。これまで、何度も何度も見て来たライブの風景なのですが。この時はこれが見慣れた当たり前の光景には見えなかったのです。

そこで思った事です。この景色になれている私ですら生演奏の音刺激にまずガツンとやられているわけで、オーディエンスの人達にしてもそこは同じインパクトを受けているに違いないと。つまり、これがアイリッシュ音楽であるかないかとかそういう次元を超えて、皆まずこの音刺激のインパクトにやられているのではないか。

そうですね。音楽というものの持つ刺激の多様性と申しますか。確かに絵画などでも展覧会で実物を前にするのと印刷物を見るのとは恐らくぜんぜん違う刺激でしょう。しかし、音と言う刺激は何かもっとダイレクトに、生物の根幹をゆさぶるような種類の刺激なのではないか。

例えば、人間を含めた動物は大きな音に対しては脳の思考回路をすっ飛ばして反射的に筋肉が警戒態勢を取ると言います。日常感覚でも、例えば大きな声の人にはその言葉の内容にかかわらず、どこか反射的に身構えてしまいますよね。

また、音の大小ではなくても、黒板をツメでひっかくような反射的に不快感を募らせる音というものもあるし、小川のせせらぎのように、安らいだ気分になる音もあるわけです。

音楽というものは、実は普段考えている以上に私達の生物としての根幹を刺激して、それに対する原始的な反応が意識上にフィードバックし、その人それぞれに快であったり不快であったりとそれぞれ勝手に解釈している。

つまり、アイリッシュ音楽ファンの人も、アイリッシュ音楽を始めて聴く人も、アイリッシュ音楽の生演奏から受ける音刺激は同じものなのですが、それへの反応が意識に登り、それぞれに快であったり不快であったりする意識上の解釈が違ってくるのではないでしょうか。そして、ライブ会場では、このような意識上での解釈がされる前に、1曲終わってざざーっと皆が一斉に拍手してしまうことになる。

では、しばしば、拍手が少ない演奏もあるではないかということになりますが、それはその刺激の大きさが足りない時にはすぐに意識上での解釈が始まってしまい、意識の上でこれは快ではなかったという答えが素早く出ていってその反射による反応にブレーキをかけてしまうということではないでしょうか。

そこで、しばしば、音楽鑑賞には情報という要素が深く複雑にからんで来るのですね。情報はここで言う意識上の中に常に待機しています。ある音刺激に対して反射的に反応したものを意識上に上げ、そこに待機しているさまざまな情報との照らし合わせが行われながら、意識上の解釈が始まる。

これなのかもしれません。私がアイリッシュ音楽にもう1本別のレールを用意してしまった要因は。

私が最初にアイリッシュ音楽を耳にしたのはほんの偶然のことなのでした。そして気になったその音楽のことを一緒に語る友人もほとんど居なくて、まして、ネットも普及していない時ですから、書籍関係の探し方もわからない。ただ、手にしたCDだけが全てという状況だったのです。

そして、私は自分の店をアイリッシュパブにリニューアルしてセッションを主宰するようになりました。すると、今度は、次から次へと楽器を持った人々がやって来る。それはいろいろな知識を持った人達や実際にアイルランドで学んで来た人が大勢いて完全に圧倒されっぱなしで、一種のカルチャーショック状態に陥ってしまいます。つまり、実際の音刺激に比べて情報の方がどんどん膨れあがって行くのです。

私たちの世代が音楽を聴き始めた頃は音楽に対する情報というものは今に比べると非常に乏しかったのです。そのような情報はレコードのライナーノートぐらいしかありません。それも輸入盤にはありません。

実際に、私が40年前に聴いた音楽の詳しい解説をネットで見かけてやっと疑問が解けたという事もごく最近ありました。つまり、私達の世代の音楽ファンは目の前にある音楽の、単にその音刺激に反応することだけを楽しんでいたと言えるでしょう。

そういう私が、アイリッシュ音楽の世界をのぞいた瞬間に、一気に膨大な情報の洪水に圧倒されたわけです。これはもう、別にレールを敷くぐらいのことをしなくては、これまでの自分の音楽脳がとてつもない混乱を起こしてしまう。私はおそらく無意識のうちにこの音楽脳の複線工事にいそしんで行ったに違いありません。

ここで、やっと、前回2月の私の原稿につながります。私はこれまで2本のレールで推移していた私の音楽脳を1本にすることを思い付いたというわけです。そして、ここに、上記に述べたことを考慮すれば具体的にどのような話になるか。

音楽からあらゆる情報を排除して純粋な音刺激としてこれを取り扱う。これです。

言うは安しなのですが。。。これはもはや修行の域に突入してしまう危険がありますか。。。(す)

サリーガーデン:松井ゆみ子

サリーガーデン:松井ゆみ子

わが音楽遍歴、または余はいかにして心配するのをやめてアイリッシュ・ミュージックを聴くようになったか・その10:大島豊

トラフィックの〈John Barleycorn〉に初めてでくわした時、良い曲とも好きだとも思わなかったと書きました。それまで聴いていたものとはあまりに違っていたので、好きとも嫌いとも、良いとも悪いとも、まったく判断がつかなかった、というのがおそらくより正確なところだったでしょう。一方で、二度と聴きたくない、あるいは聴こうとは思わない、というわけでもありませんでした。どこか引っかかるところがあり、くりかえし聴かずにはいられなかったのです。

その引っかかるところというのをさらに突込んでみると、メロディ・ラインが予想している範囲に入ってこない、ということのようでした。次の音がこうくるだろうと思っているところへ来ないで、予想外のところに落ちるのです。そして、そのこと自体、予想を裏切るメロディ・ライン、意外な音が並ぶこと自体は、ぼくにとっては快感なのです。

ぼくには将来天邪鬼なところがあります。期待されることとは反対のふるまいをしたくなったり、当然とされていることを疑ってみたりする性格です。これは論理的なものではなく、おそらく先天的な要素で、自分でコントロールできるものではありません。この性格が音楽や読書の趣味に反映されると、まずマイノリティ志向になります。マジョリティであることを拒否する姿勢です。ベストセラーというだけで、好きな作家の面白そうな作品でも聴いたり、読んだりする意欲が失せます。

天邪鬼が現れる引金になるのは、自分は当然こうふるまうだろう、こう考えるはずだ、という外部からの期待です。その期待はまったく故なきものではなく、ぼくの土台にはそういう期待を引き出すものが厳然としてあります。つまりはこの国に生まれ育ったことによって生成された基本的な性格です。その基本的な性格に対して自分自身が反発し、その発現を阻止しようとして天邪鬼が現れます。基本的な性格と天邪鬼はどちらも先天的なもので、おそらく両者相俟ってぼくという人間ができているので、どちらか片方だけなら、まったく別の人間になるはずです。

プログレにハマっていったのも、当時はプログレが少数の風変わりな人間が聴くものとされていたことも動機の一つでした。クラシックにハマりこんでいた時も、ベートーヴェン、シューヴェルト、ブラームスという、いわば王道はあまり聴かず、周辺のロシアや北欧、東欧、そしてフランス、イングランドの作曲家たちに傾いていきました。まずマーラーに溺れたのも、今のように猫も杓子もマーラーというわけではなく、むしろブルックナーの方が評価も人気も高いくらいで、マーラーなどは物好きが聴くものとされていたところがあったからです。

〈John Barleycorn〉の不可思議とも思えるメロディ、音の響きは、思えばぼくにとっては先達がいました。アメリカ音楽への導きとなった《4 Way Street》での、オープン・チューニングのギターの響きです。あれがたとえばジェイムズ・バートンのエレキ・ギターの音だったならば、あそこまで惹かれることはおそらく無く、アメリカ音楽との出逢いはずっと遅れていただろうと思います。

こうした天邪鬼な反応を引き起こすあり様をぼくは「エキゾティズム」と呼んでいます。基本的な性格、基本的な基準からは外れているのに、魂の一番奥に響いてくる。その感覚を与えてくれるものがエキゾティズムを備えていて、その感覚こそが快感、音楽を聴く、本を読む際の快感の源泉です。

外れながら強く共鳴するという快感は、その外れ具合、外れているズレの大きさと角度によって強弱があります。一般的には外れる度合いがより大きいほど快感は強くなりますが、最も快感の強い角度ないし方向が定まっています。〈John Barleycorn〉を繰返し聴くうちに、そのメロディ、音の響きがだんだん快くなっていきました。そして、ある時期から、これこそは外れ具合と方向が最も適切で、快感が最も強いと思えるものになったのでした。〈John Barleycorn〉がその一部であるブリテン、アイルランドの伝統音楽こそが、自分にとって最も快いものだと発見したのでした。

ですが、〈John Barleycorn〉とブリテン、アイルランドの伝統音楽の関係はまだその時にはわかりませんでした。ブリテン、アイルランドの伝統音楽というようなものの存在すらわかりませんでした。まずはとにかく〈John Barleycorn〉に似たもの、聴きなれた音楽からは同様の角度で同じくらい外れたメロディと響きを持つ音楽を、もっと聴きたいと思ったのです。

「ブラックホーク」に通いはじめてまず近いと思ったのがリチャード&リンダ・トンプスンの《Pour Down Like Silver》でした。1975年のリリースで、おそらく新譜としてかかったのでしょう。ここに収められたリチャード・トンプソンの楽曲は、イングランドやスコットランドの伝統音楽のメロディ、音階、リズムを土台にしています。が、この3作目になると、リチャードの曲作りはよりパーソナルな、より広い音楽的影響を受けたものになっていて、土台の伝統音楽の性格は薄れています。そのことは、こういう明確な形ではないにしても、すぐにわかりました。似ているけれども、求めているほど外れていない、と感じました。それでもとにかくこのアルバムを買って、繰返し聴いてもいました。

そして、それからどれくらい経ったか、もうまったく覚えていませんが、そんなには時間はたっていなかったはずです。2度目の、トラフィックのアルバムに続く決定的な出逢いが起きます。その相手がニック・ジョーンズ Nic Jones の《Noah’s Ark Trap》でした。(以下次号)(ゆ)

バグパイプの世界:村上亮子翻訳


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アイリッシュ・アコーディオンの購入ガイド:hatao翻訳


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編集後記

原稿が不足しがちな本誌に、寄稿してやっても良いぞという愛読者の方はぜひご連絡ください。

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クラン・コラ:アイルランド音楽の森(月1回刊)
発行元:ケルトの笛屋さん
Editor :hatao

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