
ライター:ミオール
マーティン・ヘイズが公演のため来日したとき(2000年)、開演前に会場でかけた音楽として Darach O Cathain の ‘Darach O Cathain’ というアルバム(Gael Linn CEFCD 040; ‘Traditional Irish Unaccompanied Singing’ Shanachie 34005)は上陸した。そのことの意味を考える。
その後、日本で出たディスク・ガイドに書いた、同アルバムについての小文を取敢えず再録する。
〈男性シャン・ノース歌手のもっとも力あふれる、もっとも深みのある歌唱を奇蹟的にも捉えることができた録音があるとすれば、それにもっとも近いのは、コナマーラ生れのダラフ・オカハーン(オコイン)のこの盤だろう。録音時間がやや短いが(たとえば通常4行10連ある名歌⑨は5連分しか唄われていない)、②の終わりを唄わずに語るのは、シャン・ノースの終わり方だ。聴衆はこれでシャン・ノースの別世界から現実に帰ることができる。〉(『アイリッシュ・ミュージック・ディスク・ガイド』音楽之友社、2002年、88頁、一部改変)
この感想は今も変わらない。何かつけ加えるとすれば、ヘイズが〈フィドルにもシャン・ノースがある〉と自著 ‘Shared Notes’(2022年)で述べたことだ。そう、アイルランド伝統音楽には、商業的にスポットの当たる音楽とは別に、シャン・ノースの音楽があると、彼は考える。
ヘイズはそれを日本に伝えようとしたのだろう。本物のシャン・ノース歌唱の音源をかけることによって。
シャン・ノースの音楽言語とは何か。現代人の耳に明瞭にくっきりと分るかどうかに関りなく、現代の理論で明解に分析できるどうかに関りなく、アイルランドで静かに受継がれてきた、あの一種名状しがたい音楽言語のことをシャン・ノースと彼らは呼ぶ。それを、コマーシャリズムの手の届かないところで守ってきたのだ。
その良い例が、上の盤で第11トラックに収められた有名な歌だろう。多くの歌い手が唄ってきた歌だ。例えば、かのジョー・ヒーニ(ショーサヴ・オヘーニー)やシーリア・ニアールタやナン・トム・タミーンらの歌唱と、Darach の歌唱とを比べてみよう。
もちろん、ジョーやシーリアやナンらはシャン・ノースで第一級の歌い手としてよく知られている。彼らの本歌の歌唱は非の打ちどころがない。
だけど、Darach の歌い方は彼らとは、はっきりと違う。分析不能な深みを有すると言えばよいか。言葉はシーリアやナンほどの明瞭さをもって聞こえない(アイルランド語伝統歌集の定本の一つ ‘Leabhar Mor na nAmhran’ ではナンのヴァーションが採られている)。節回しはあの高度なジョーのそれを超えた何かを含む。かつて、ショーン・ウィリアムズがヒーニの装飾音について行った鋭い分析(Sean Williams, ‘Melodic Ornamentation in the Connemara Sean-nos Singing of Joe Heaney’, New Hibernia Review誌、8巻1号、2004年)でさえ汲取れぬような何かなのだ。
これが、ヘイズの観じるシャン・ノースの一つのあり方に通じるところがあるのだろう。
パダル・オリーアダは Darach がその精華ともいえるシャン・ノース歌唱と韻律との深い関係を、Darach が20世紀の最高のシャン・ノース歌手の一人であることを説明する中で、自著 ‘Ceoltoiri Chualann: The Band that Changed the Course of Irish Music’(2024年)で述べている(パダルの父ショーン・オリーアダが率いたキョールトーリー・フアランに Darach が加わったアルバム ‘Reacaireacht an Riadaigh’ がある)。
シャン・ノースはフォークソングやバラッドとは違う形式を有する。芸術音楽としての歌を正確に次の世代に伝えることを口承文化の枠内でおこなうために、韻律という装置を用いる。
そのため、フォークソングやバラッドの場合のように、聴衆に合わせて言葉を変えることはしない。そうすると韻律が乱れ、正確な伝承ができなくなるからだ。ここから分るのは、シャン・ノースにおいては、まず詩の韻律が歌のほぼすべてであることである。歌唱はその詩を唄うのである。
もしも、現代において、そういうシャン・ノース歌唱に興味を持って(韻律を含めて)調べたいと思う人が出てきたらどうするだろうか。筆者が調べようとしたら自分の書いた文献しか出てこなかったので、これはいけないと思い、このほどシャン・ノース歌唱で唄うアイルランド語歌の韻律を扱う動画チャンネルを始めた。ご関心の向きは、ぜひご覧あれ。YouTubeで「@michealeh」と検索すれば出てくる。
Darach の上記アルバム第11トラックのタイトルについて書いておきます。
タイトルは ‘Tá na Páipéir á Saighneáil’ で、英語で言えば ‘The papers are being signed’ の意味になります。発音は Darach の歌を聴けば分るので文法の話をしましょう。そのあとで韻律の話もします。文法の話は、アイルランド語文法をご存知の方は読む必要はありません。
tá はアイルランド語の存在動詞。na は定冠詞複数形。páipéir は男性名詞 páipéar「紙、書類」 の複数形。
á はコナマーラのアイルランド語では dhá と綴られるところを、ここでは公式標準アイルランド語の綴りで書かれています。この dhá は前置詞 do「〜へ」と所有代名詞 a「彼らの」とが合わさった形です。後続の動名詞 saighneáil「サインすること、署名すること」との組合せで再帰構文または受身構文をつくります。ここは受身で「サインされる」の意味です。
英語でこの部分を直訳すると to their signing となります。この構文において所有代名詞は他動詞の目的語の代名詞を表します。その代名詞が主語と同じ場合には、再帰的な意味または受身の意味のどちらかになります。
いづれにせよ、通常4行6連ある本歌は前半の3連分しか唄われていません。これでは最終連の美しい比翼連理の世界を味わう域には到底達することができません。
韻律について一言述べておくと、本歌は、いわゆる〈歌の韻律〉amhrán metre で出来ています。
タイトルを展開して第1連第1行(Tá na páipéir á saighneáil is tá na saighdiúirí ag dul anonn)は唄われますが、saighneáil と saighdiúirí とが母音韻(comhfhuaim)を成します。ここにおいて、この文書署名(saighneáil)と派遣される兵士たち(saighdiúirí)の運命が分かち難く結ばれます。出征の目的地は本歌では Tír na Long (船の国)と唄われますが、これは ‘Amhráin Chlainne Gael’(後述)の注によればイングランド(Sasana)のことです。
本歌の注釈つきテクストが Micheál and Tomás Ó Máille, ‘Amhráin Chlainne Gael’, ed. William Mahon (Cló Iar-Chonnachta, 1991) にあります。
