そもそも「ケルト」って何?
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「ケルト」という言葉を耳にしたことはありますか?
ケルト人、ケルト紋様、ケルト音楽……。
ケルトとは一体何でしょうか。
ケルト人とは、青銅器時代の末期にボヘミア周辺に誕生し古代のヨーロッパを席巻した、インド・ヨーロッパ語族ケルト語派の言葉を話す共通の文化や宗教を持った集団です。
「ケルト」の語源は、古代ギリシア人がアルプス以北の異言語の部族をまとめてケルトイと呼んだことに由来すると考えられています。彼らは自然を崇拝する多神教を持ち、輪廻転生や精霊を信じ、文字を持たない代わりに渦巻紋様や組紐文様を駆使した装飾美術を持っていました。
▲紀元前400年頃のケルト人の分布
やがてケルト人は、東はバルカン半島から西はアイルランドにまで広がり、中でも地中海へ南下したケルト人はローマ人を脅かす存在になりました。ローマ人は彼らをガリと呼び、彼らの住む土地をガリアと呼びました。
ガイウス・ユリウス・カエサル(シーザー)が記した『ガリア戦記』には、ローマ軍人カエサルによる、紀元前58年から8年間にわたるケルト人との戦いが描かれています。
ケルト人は常に部族単位で活動していたため、国家を形成しませんでした。そのため戦士としては強靭で優れていたにも関わらず、ローマ軍の組織力の前に衰退し、西へと追いやられました。
彼らはローマ時代にヒベルニアと呼ばれ、不毛の地とされていたブリテン島とアイルランド島に安住の地を求めました。
▲現在のケルト文化圏
その後1世紀にブリテン島はローマの侵攻を受けてローマ化し、さらにアングロ・サクソン族にブリテン島を侵攻され、西へ逃れたものはウェールズに、南西に逃れたものはコーンウォールに、海を渡ったものはブルターニュに移住して王国を築きました。しかし、やがてはイングランドやフランスといった大国に征服されていきました。ケルト人は国を持たず様々な民族と接触し交じり合ったため、純粋なケルト人による国家は存在しませんが、ケルト語派の言語が残っているアイルランド、スコットランド、マン島、ウェールズ、フランス北部のブルターニュ地方、スペインのガリシア地方がケルトの文化圏とされています。
ケルト人の存在は歴史の表舞台からは忘れ去られていましたが、19 世紀にオーストリア でハルシュタット遺跡が発見されたことをきっかけに、ヨーロッパにおけるキリスト教的史観とは異なるストーリーとして注目され始めました。
現在、ケルトはその神秘的なイメージから、ロマンチシズム、癒しの対象としても注目されています。
「ケルト音楽」って?
ケルト人は文字を使わなかったために歴史的にも不明な部分が多く、彼らがどんな音楽を奏でていたかについては手がかりがありません。それにも関わらず、ケルト音楽というカテゴリーは国内外を問わず認知されています。
このケルト音楽というカテゴリーは近年、音楽産業によって「ケルト地域から発信される様々な異なった音楽」をくくる言葉として生まれた概念です。そのためケルト音楽のはっきりとした定義はなく、伝統的なものから、伝統とはほとんど無関係なポピュラー音楽までを含む場合があります。
▲ケルト音楽の分布
ケルト地域の音楽とは、先述した地域の音楽のほかに、スコットランド人が多く移民したカナダのケープブレトン島や、アイルランド人が多く移民したアメリカの伝統音楽が含まれます。また、ケルト文化圏とは言いがたいものの、アイルランドのフォーク・リヴァイバルに影響を受けたスペインのバスク地方やアストゥーリアス地方の音楽も含まれることがあります。
ケルトの諸地域には、それぞれに個性的で異なった伝統がありますが、。ケルト地域からの音楽といっても、マン島やウェールズから商業ベースで伝統音楽が世界に発信されることはほとんどないため、その中心はアイルランドとスコットランドとなります。つまり「ケルト音楽」と銘打って輸出・消費される音楽の大半はこの2つの地域の音楽です。
アイルランドで伝統音楽がフォーク・リヴァイバル運動を経てポップス的に再生されたことに刺激を受け、他の地域でも同様のアプローチで伝統音楽を現代的なものに作り替える動きがあります。
また、ブルターニュのハープ奏者アラン・スティーベル(Alan Stivell) やガリシアのガイタ(バグパイプ)奏者カルロス・ヌニェス(Carlos Nuñez) のように、アイルランドやスコットランドの音楽を取り入れた汎ケルティック的な音楽スターも誕生しました。
スコットランドのグラスゴーでのケルティック・コネクション・フェスティバル、フランスのブルターニュ地方ロリエントでのインターケルティック・フェスティバルが好評を博すなど、ケルト地域の相互交流は近年ますます盛んになっています。
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身近なケルトの旋律
日本とケルトの文化圏はユーラシア大陸の正反対に位置し、地球の真裏と言っていいほど離れています。しかし、日本が近代化をした時に、アメリカを通じてケルトの民謡が紹介され、私たちに身近な曲がいくつもあります。