【クラーク・ティン・ホイッスル社】ネット店長の楽器メーカー物語1

たった4回書いただけですっかりブログのネタがない店長の淳平です。

なので、何かテーマを決めて書きたいなと思いまして、しばらくは笛屋さんで扱っているメーカーの話をざっくりまとめて紹介していけたらなと思っています。

クラーク・ティン・ホイッスル社(英国)

こちらは、世界で初めてティン・ホイッスルを生み出した、まさに生みの親。

時は1843年、チャールズ・ディケンズがかの有名な「クリスマス・キャロル」を発表し、ワーグナーのオペラ「さまよえるオランダ人」が初演された年に、英国の片田舎に住む27歳の青年が世界で最初のティン・ホイッスルを作ったのです。

ロンドンの北、ケンブリッジ(大学で有名)からほど近いところにある小さな村、コーニー・ウェストンがティン・ホイッスル誕生の舞台。

そんな村の農場で働いていたロバート・クラークさんは、当時話題になっていた「加工しやすいブリキ板が発明された」という噂を聞きつけ「この板を使って木製のホイッスルに似たものが作れるんでねぇの」と思いついたことから、全てが始まります。

近くの鍛冶屋さんでブリキ板を仕入れて、マウスピース用の木材を加工するために自作ののこぎりを作って(のこぎりを持ってなかったので、奥さんのコルセットの部品で急造したんですって)、ティン・ホイッスル 第1号を作ったんだそうです。

さて、そのホイッスルがなかなかにいい感じで、手応えを感じちゃったロバートさんは、これを売り出すことに決めました。

とは言え、彼が住んでるのは小さな村。

この村だけで商売するのは無理だわさ、ということで、当時、手づくり市が盛んでそういったものを売るチャンスが転がってると噂されていたランカシャーという大きな町界隈に笛を売りに行くことにしましたとさ。

1ペニーで買えちゃうペニー・ホイッスル

約330キロの道のりをロバートさんと息子さんの2人、材料と道具をたくさん積んだ手押し車をお供に、がんばって歩いんたんですね。

目的地に着くまでにもいくつかの市場を通るので、その都度笛を作っては販売する、ということをしていたら、これがまた飛ぶように売れたんだそう。

それまで縦笛(横笛もかな)ってのは木で作られた高級楽器、メンテナンスも必要だし「お金持ちしか嗜めない系」の楽器だったわけですが、こちら激安金属ブリキと、なんちゃってのこぎりでも作れちゃう楽器ってなわけで、価格も安かったのが人気の秘密。

1ペニー(1ポンドの100分の1、日本で言う1円玉)あれば買えちゃう楽器、ということで「ペニー・ホイッスル」という愛称がつくぐらいの人気ぶりでした。

さて、英国にもアイルランド(当時は英国連合王国の一部)から出稼ぎにやってきた労働者はたくさんいます。

ロバートさんが笛を販売した中にもたくさんのアイルランド人がいたようで、彼らが「お、これ超いいんじゃね」と祖国に持ち帰った結果、瞬く間に伝統音楽家の間でも人気が広がったわけです。(ありがとう、ロバートさん)

小さな村を出発して、目的地のランカシャーに向けて歩いていたわけですが、道中信じられないぐらい売上を伸ばしたことで、ランカシャーに着く前に(すぐ近くのマンチェスター)サクッと工場を設立、笛づくりを本格化させて一気に人気の笛メーカーとして名を馳せたわけです。

そんなロバートさんは自分の作ったティン・ホイッスルを「メグス MEGS」と呼んでいたんです。MEGってのは1ペニーの半分、つまり日本で言うところの「50銭」という意味だったんですな。(今でもMEGはクラーク社の人気ホイッスルです)

そんなティン・ホイッスルの生みの親ロバート・クラークさんは、そこで稼いだお金を元に地元に帰り、先日まで働いていた農場ごと買い取って、笛づくりをさらに本格させましたとさ。

現在はロンドンよりも少し南東にあるトンブリッジという町に工房を抱える大会社となっています。

そんなクラーク社のお話を雑目にお届けしました。

では、また次回。

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