史上最高のC#/Dボタン・アコーディオン奏者たち


出典 https://blog.mcneelamusic.com/

アイルランドの楽器メーカーMcNeelaが公開しているブログの中から「おすすめのC#/Dボタン・アコーディオン奏者」についての記事を許可を得て翻訳しました。

原文:The Greatest C#/D Accordion Players of All Time

史上最高のC#/Dボタン・アコーディオン奏者たち

現代のアイルランドの伝統音楽の世界ではB/Cチューニングが人気ですが、実はC#/Dプレス&ドロー・システムの方が先に普及していました。アイルランドの伝統的なボタン・アコーディオンの演奏スタイルは、10鍵1列のシンプルなメロディオン・システムに基づいています。ですから、アイルランドでのメロディオンの人気を考えれば、C#/Dアコーディオンがその流れを汲むのは理にかなっていると言えます。B/Cシステムと同様、長年にわたり優秀なプレス&ドロー・スタイルのアコーディオン奏者には事欠きません。しかし、あなたが知っておくべきC#/D奏者は誰なのでしょうか?

B/Cボタン・アコーディオンの3人のレジェンドについてはすでに書いたので、C#/Dボタン・アコーディオンの3人のお気に入りの奏者について、別の記事を紹介するのがふさわしいと思いました。彼らの象徴的な演奏は、何世代ものミュージシャンに影響を与え、これからもずっとそうあり続けるでしょう。

ジョー・クーリー

ジョー・クーリーを形容するのに、誰もが使った言葉は“マジカル”だった。
トニー・マクマホンTony MacMahon

アイルランド西部のゴールウェイ州出身のジョー・クーリーは1924年生まれ。音楽一家に生まれ、ジョーの両親と兄たちのほとんどがミュージシャンでした。当然、ジョーも彼らの跡を継ぎ、10歳のときに母親の手ほどきでアコーディオンを習い始めました。しかし、ジョーがその後、伝統音楽の世界で最も影響力のあるボタン・アコーディオン奏者になるとは、一家は知る由もありませんでした。ご想像の通り、クーリー家はダンスを開催する人気スポットで、毎晩のように音楽が演奏されていました。この伝統に早くから慣れ親しんだことで、ジョーのイースト・ゴールウェイを象徴する演奏スタイルが確立されました。

ジョーは、フルートの兄シェーマスとともに、有名なトゥーラ・ケーリー・バンドTulla Céilí Bandの初期メンバーとなりました。バンドとともに、1946年のFéile Luimníでの初優勝や、1948年のRaidio Éireannでのデビュー演奏に参加しました。1953年にアメリカに移住する前、ジョーは伝説的なアイルランドのボタン・アコーディオン奏者ソニー・ブローガンSonny Brogan(彼自身が「ボタン・アコーディオン演奏の祖父」と呼ばれる)やパディ・オブライエンPaddy O’Brienなど、アイルランドの優れた伝統音楽家たちと出会い、一緒に演奏しました。

アメリカの遺産

ジョーはニューヨーク、ボストン、シカゴと移り住み、最終的にサンフランシスコに落ち着きました。現在コールタスComhaltas(アイルランド音楽家協会)のサンフランシスコ支部は名誉を表すためにジョー・クーリーの名前を冠しています。アメリカでは、ジョーは何世代ものミュージシャンにインスピレーションを与える人気教師でした。彼の影響により、多くの著名なアメリカ人ミュージシャンが、イースト・ゴールウェイの演奏スタイルを顕著に持つようになりました。最愛の教師としての役割に加え、ジョーは情熱的で陽気な演奏を聴く者すべてを喜ばせるカリスマ的存在として崇拝されていました。彼の演奏は一見シンプルでわかりやすいですが、ジョーの象徴的なスタイルは「音と音の間の陽光」に焦点を当てたものでした。ダンサーたちは、彼の音楽の生き生きとしたリズムと安定した流れに特に惹かれました。ゴールウェイの幼少期のハウスダンスで培われたスキルであることは間違いないでしょう。

早すぎる死

彼は1972年、健康状態が悪化したため、愛する祖国アイルランドに戻りました。残念なことに、ジョー・クーリーは1973年にわずか49歳で早すぎる死を遂げました。彼の人気は高く、死の前年には、彼の演奏を聴くために全国からファンが集まったほどでした。しかし、彼がこれほどの人気を得たのはアイルランドだけではありません。ジョーに関する私のお気に入りの一節を紹介しましょう。

クーリーは幅広い層の音楽ファンにアピールした。彼のリラックスしてすっきりした性格は、1960年代後半にカリフォルニアの文化的モザイクの一部を形成していた自由を求めるヒッピーたちに絶大な魅力を持っていた。
― GÓH/Fintan Vallely

今日に至るまで、ジョーはアイルランドのボタン・アコーディオン奏者の中で最も熟達した一人として尊敬されています。ジョーは美しいC#/Dパオロ・ソプラーニ のボタン・アコーディオンを演奏していましたが、D/D#の楽器も演奏していました。どちらの楽器も古い「プレス&ドロー」スタイルを採用しています。ジョーの象徴的なパオロ・ソプラーニの楽器は現在、もう一人の伝説的なアイリッシュ・ボタンアコーディオン奏者、トニー・マクマホンの手に渡っています。
ジョーの思い出がこのような形で受け継がれるのは、まさにふさわしいことです。

ジャッキー・デイリー

1945年生まれ、コーク出身のジャッキー・デイリーJackie Dalyは、アイルランド伝統音楽のシュリーブ・ルクラSliabh Luachra スタイルの最も著名な一人です。父親はメロディオン奏者、母親は歌手でした。ジャッキーが音楽の道を歩み始めたのは7歳のときで、ハーモニカとティン・ホイッスルを習い、その後メロディオンを弾くようになりました。C#/Dプレス&ドロー・アコーディオン・スタイルの模範であったにもかかわらず、1974年、ジャッキーはB/Cアコーディオンでオール・アイルランド・フラー(全国競技会)で優勝しました!

当時、C#/DアコーディオンはまだコールタスComhaltasの運営団体から競技用として認可されておらず、ジャッキーはB/Cアコーディオンでの出場を余儀なくされました。それにもかかわらず、彼は成功し、タイトルを獲得した後、すぐに好みのC#/Dに戻りました。

1977年、ジャッキーはフィドル奏者シェイマス・クレイ Séamus Creaghとのデュエット・アルバム“Jackie Daly agus Séamus Creagh”をレコーディングしました。このアルバムは、アイルランドの伝統音楽の世界で最も影響力のあるレコーディングのひとつとなりました。
Sliabh Luachraのスタイルが地域外で人気を博したのは、この象徴的なデュエットのおかげです。

ジャッキーはそのキャリアを通じて、多くの象徴的な音楽的パートナーシップを築いてきました。ケヴィン・バークKevin Burke、デ・ダナンDe Danannアンディ・アーヴァインAndy Irvine、アーティ・マクグリンArty McGlinnなどとの共演やレコーディングも多いです。

デイリーの影響

1970年代半ばから、ジャッキーはアイルランドの伝統音楽に多大な影響を与えてきました。彼は、アコーディオンのイメージを刷新し、伝統の中でアコーディオンを「受け入れられる」楽器、つまり、古い伝統的なケーリー・バンドだけでなく、現代のグループにも取り入れられる価値のある楽器として確立させたと広く評価されています。

ジャッキーはまた、1950年代から60年代にかけてのミュゼット・チューニング(またはウェット・チューニング)から、トレモロの少ない明るく甘いサウンド(スウィング・チューニングまたはドライ・チューニング)へと移行したことにも大きく関わっています。

それだけでなく、C#/D奏者としての初期の経験に後押しされ、彼はプレスとドローの演奏スタイルを支持し続け、C#/Dアコーディオンの人気に著しい上昇を促しています。

マーティン・オコナー

ジョー・クーリーとジャッキー・デイリーが残した遺産は広範囲に及び、伝統的なアイルランドのボタン・アコーディオン演奏の保存に極めて重要な役割を果たしてきました。しかし私は、20世紀後半から21世紀まで、プレス&ドロー・スタイルのアイリッシュ・アコーディオン演奏を引っ張ってきたのは、マーティン・オコナーMáirtín O’Connor だと主張したいです。

ゴールウェイの名手マーティン・オコナーのアコーディオン演奏と作曲の幅は、30年以上にわたって聴衆を魅了してきた。
― アイリッシュ・エグザミナー

1945年にゴールウェイで生まれたマーティン・オコナーもまた、先人たちと同様、音楽一家の一員でした。メロディオン奏者だった祖父母から音楽的な薫陶を受け、9歳で音楽を習い始めました。何か共通点にお気づきでしょうか?

若いアコーディオン奏者なら誰でもそうであるように、彼はまず、ジョー・バークJoe Burkeフィンバー・ドワイヤーFinbarr Dwyer,、トニー・マクマホンTony Mac Mahon、そしてジョー・クーリーJoe Cooleyといった偉大なアコーディオン奏者の演奏を聴くことから始めました。電気業界でのキャリアを計画していたマーティンは、1970年代に偉大なシンガー・ソングライター、トム・ムーアThom Mooreに誘われ、彼のバンド、ミッドナイト・ウェルMidnight Well.に参加します。そして伝説的な音楽キャリアが始まりました。

それ以来、マーティンはザ・ボーイズ・オブ・ザ・ロックThe Boys of the Lough、デ・ダナンDe Dannan(ジャッキー・デイリーからバンドを引き継いだ)、スカイラークSkylarkなどで演奏、ツアー、レコーディングを行ってきました。1978年に録音したソロ・デビュー・アルバム“The Connachtman’s Rambles”は大きな成功を収めましたが、1990年に発表したアルバム“Perpetual Motion”では、アイルランドの伝統音楽の枠にとらわれないエキサイティングな新しい音楽を追求し始め、大きな衝撃を与えました。

音楽の探求

ジョー・クーリーとジャッキー・デイリーが伝統の典型であったのに対し、マーティン・オコナーはその演奏で境界線を押し広げ続けてきました。私がいつも言っているように、このような音楽の融合は、マーティンのように伝統にどっぷりと浸かり、そのニュアンスを理解して初めて成功するのです。

その多彩な演奏スタイルと遊び心にあふれた音楽的冒険心にもかかわらず、マーティンはおそらくリバーダンスRiverdanceでの活躍で世界的によく知られています。彼は1995年、リバーダンスのオーケストラの最初のアコーディオン奏者であり、ビル・ウィーランBill Whelanの「セビリア組曲」Seville Suiteにも参加しています。

また、興味深い事実としてアイルランドの人気ソープオペラ“Ros na Rún(秘密の森)”のサウンドトラックにも参加しています!マーティンは成功に成功を重ねて、アイルランドのボタン・アコーディオン演奏に大胆な新境地をもたらしました。2015年にはTG4 Gradam Ceoil AwardsでTraditional Musician of the Yearに選ばれました。

現在、アイリッシュ・フィドルの名手ゾーイ・コンウェイZoe Conwayと伝説的なドーナル・ラニーDonal Lunnyとの大胆でエキサイティングなトリオの一員として演奏しています。