【最新号:クラン・コラ】Issue No.341

クラン・コラはケルト音楽、北欧音楽に関する話題をお届けする国内でたったひとつのメールマガジンです。

毎月20日頃に読みもの号として各ライターからの寄稿文をお届けします。

この音楽にご興味のある方ならどなたでも寄稿できますので、お気軽にお問い合わせください。

読者登録はこちらから!

クラン・コラ Cran Coille:ケルト・北欧音楽の森 Issue No.332

Editor : hatao
August 2022 Issue No.341
ケルトの笛屋さん発行

記憶のなかの音楽:松井ゆみ子

記憶のなかの音楽:松井ゆみ子

わが音楽遍歴、または余はいかにして心配するのをやめて
アイリッシュ・ミュージックを聴くようになったか・その14:大島豊

ブリテン、より具体的にはイングランドとスコットランドの伝統歌にハマったのは、何よりもそのメロディでした。それまで聞いたことのない音の運びです。その違いを生んでいるのが音階の違いであることは、音楽理論をご存知の方にはおわかりでしょう。とはいえ、念のため、小生の理解しているところを書いておくのも、あるいは無駄ではないかもしれません。

我々が生まれてから耳にしている音楽のほとんどはいわゆる長調・短調の音階でできています。これまで書いてきたような、小生が生まれてから聞いてきた音楽、テレビ・マンガの主題歌や英語圏のポップス、ロック、クラシック、いずれもこの音階です。

わが国のわらべうたの音階は別である、というのはずっと後になって、沖縄音楽との関連で知ることになります。ちなみに沖縄の音階はアイリッシュ・ミュージックに多い音階と通じるところがる、というのはこれまたご存知の方も多いでしょう。そして奄美の音階は本土のものと同じで、沖縄の音階とは異なります。もっとも与論島では、言語と同じく、むしろ沖縄に近いようです。

イングランド、スコットランド、ウェールズ、そしてアイルランドやブルターニュの伝統音楽の音階は長調でも短調でもありません。モード、旋法と呼ばれる音階の一部で、ミクソリディアンが代表です。

ヨーロッパの音階では、 全音で上がっていく時、そのうち2ヶ所、半音で上がるところがあります。ドを基準(主音)としたとき、長調音階ならミとファの間とシと上のドの間です。短調ならレとミの間とソとラの間になる。これに対して、ミとファの間とラとシの間が半音になるのがミクソリディアンと呼ばれます。

乱暴に言ってしまうと、長調、短調の音階も旋法の音階の一種である。この半音間隔の位置をずらしていけば、理論上は7種類できる。けれどもその全部の音階が聞いて気持ちがよかったり、曲を作りやすいものではない。最も使い勝手が良く、気持ちがよくなる音階に実際の曲は集中します。それが長調、短調と呼ばれる音階であるわけです。

もっとも音階というのは文法と同じで、実際に演奏されている曲に使われている音を並べたものです。地域によって違いが出てきますし、7つの音全部を使わない音階もあります。沖縄は7つではなく5つしか使わない音階で、小生はどうもこのペンタトニックが好きらしい。ブリテン、アイルランドの伝統音楽の音階も旋法にあるはずの全部の音は使いません。むしろ、そこで使われている音を音階にあてはめてみれば、旋法、ここでは教会旋法の一部になり、中でもミクソリディアンが多いということです。

音階というのはけれども面白いもので、聞いて気持ちよい音が使われる、はずですが、地域により、人により、気持ちよい音は違ってきます。アドリア海の北端、クロアチアのイストリア半島の伝統音楽の音階はユニークで、小生にはなんとも無気味で、聞いているとおちつかない気分になります。

あるいは上記の奄美と沖縄の音階の違い。使われる楽器や演奏スタイルは共通するだけに、音階の違いが各々の歌の味わいの違いとなってくっきりと現われます。

音階が違うのは、言語の仕組みが異なることに相当します。語彙も文法のシステムも異なります。クラシック音楽はドイツやイタリアの伝統音楽から発展し、その地域では後に長調、短調と呼ばれるようになる音階が主に使われていた、とも見えます。イングランドは言語ではドイツ語と同じくゲルマン語族ですが、音階ではむしろゲルマン以前から使われていたものが残ったのかもしれません。ここは勉強不足ですが、音階は地域との結びつきが強いように思われます。地形や土壌、天候、動植物、風光などから成るローカルな環境との結びつきです。ブリテンとアイルランドで音階が共通なのは、ともに島であり、高い山のないなだらかな地形や穏かな気象、ヨーロッパ大陸との距離・関係が似ていることが大きいと見えます。

音階が共通であることから、イングランド、スコットランド、アイルランドの伝統音楽においてはレパートリィも共通する部分が大きい。同じ歌がヴァリエーションを生みながら、伝わっています。

ぼくが当初、イングランド、スコットランド、そしてアイルランドの伝統歌のうたい手たちを区別なく聴くことができたのも、音階が共通であることが大きかったのでしょう。スコットランドのディック・ゴーハン、イングランドのヴィン・ガーバットとニック・ジョーンズ、そしてアイルランドではクリスティ・ムーアでした。

そう、もう一つ、関心の持ち方に違いがあります。その頃はまだ地域ではなく、人で聴いています。スコットランドの音楽だから、イングランドの音楽だから、というのではなく、ニック・ジョーンズの歌とギター、ヴィン・ガーバットの歌とギターとホィッスル、ディック・ゴーハンの声とギター、そしてクリスティ・ムーアの歌とギターと太鼓(当時はまだバゥロンを知りません)を聴いていたのでした。

むろんその他にも共通の音階、メロディーをもち、共通のスタイルすなわちシンプルなバッキングによる歌を聴かせてくれるミュージシャンたちを少しずつ見つけていました。スコットランドのアーチー・フィッシャー、レイ・フィッシャー、イングランドのマーティン・カーシィ、マディ・プライア&ティム・ハート、A・L・ロイド、シャーリー・コリンズ、フランキー・アームストロング、ジューン・テイバー。アイルランドではアンディ・アーヴァインとポール・ブレディ。

こうした人たちの歌を、声をとにかく浴びていました。多少の優先順位はあるにしても、とりたてて好き嫌いはほぼ無く、むしろ何を歌っているかの方が重要でした。同じ歌のヴァリエーションでも見つけようものなら、鬼の首でも獲った気分です。タイトルが違うのに、聴いてみると同じ歌だったり、同じタイトルなのに、別の曲であることも往々にしてあります。初めは驚きますが、重なってくると、伝統文化の性格の一つであるとわかってきて、そうなると、今度はそういうものを探したりもします。

一方で、3つの地域の違いも感じてはいました。言葉でこうだとは言えないけれど、確かに違いは感じられるのです。発音であったり、メロディの味わいであったり、あるいは歌への姿勢であったりします。

たとえば明るさ。スコットランドの歌は陰鬱に傾きます。イングランドは暗くも明るくもない。そしてアイルランドは他の2つの地域に並べてみると、あきらかに明るい。陽気とか楽天的とかいうのとは違います。そういうものも含んでいますが、主要点ではない。またより軽くもあります。スコットランドの歌には沈んでゆく、下方に向かう傾向がありますが、アイルランドの歌は浮上します。イングランドの歌は大地に足がついていますが、それ以上沈んでゆく感じはありません。

こういう各々の性格は、たとえばディック・ゴーハンとニック・ジョーンズと、アンディ・アーヴァイン&ポール・ブレディ各々のアルバムを聴いて感じられます。あるいはまたバトルフィールド・バンドとアルビオン・カントリー・バンドとプランクシティ各々のアルバムにも現れます。

そういう違いはスコットランド、イングランド、アイルランドという地理的枠組みにあてはめてはいますが、各々の地域の物理的概念とはまだ結びついていませんでした。各々の集団のラベルにすぎませんでした。

そこに一筋の光が差込んで、各々の地域、ローカルの具体的イメージが立ち上がりはじめます。差込んだ光にあたり、レコードの群れの中から現れたのが、ドロレス・ケーンのアルバム《Broken Hearted I’ll Wander》でした。以下次号。(ゆ)

ガンダムに学ぶ2:field 洲崎一彦

前回は、突然アニメオタクについてを語ったわけですが、なんと、とあるベテランアニメオタクの方からの反響をいただきました。これまで、自分達、古くからのオタクがもの申したかったことが全部語られていて思わず涙してしまったという大仰な反響でした。ただ、今の若いオタク達にはこのような文化は継承されておらず、ネットへの個人の露出によって、やはり、競い合いやつぶし合いが横行している現状があり、平和なオタク村はもはや古き良き想い出になってしまっていますよ、とのことでした。

アニメオタクの世界もなかなか一筋縄ではいかない色々な歴史やら諸問題があるのだと知りました。私がちょこっと「ガンダム」からその世界を垣間見ただけで偉そうに語るべきものではなかったのではないかと、反省しきりです。

ただ、私が「ガンダム」を通して垣間見たアニメオタクの世界。この世界に横たわる平穏な村の光景。これをアイリッシュマニアの世界に重ね合わせて、アイリッシュ音楽愛好の分野にこの平穏な村を夢見る事はお許しいただきたいのです。前回、私が言いたかったことはこれなのです。私は自分のパブにこの平穏な村を作りたい。コロナを経て、これから復活再生させるアイリッシュパブにこのような村を出現させたい、という想いを表明したかったのです。

私が、平穏な村と名付けた集まりは、社会性というものに劣等感を持ちながら、ただコレが好きなのだ、という一点に自己の存在価値を封じ込めて、自分が社会的弱者であることを必要以上に自覚しているが故に、同好の人々が肩寄せ合ってこの社会の荒波を渡って行くのだという、一見、ヒガミ根性が見え隠れする暗い世界なのですが、その内部では、同好である下の絶対的平等と競争の否定が守られることで、一般社会での軋轢から一時避難できるシェルターの役割をも果たす安らぎの村です。

この安らぎを得るために、村内の個人という価値がより軽いものとなり、私と貴方の境界線が曖昧になって行くのです。そして、私と貴方が協力してこの世知辛い社会を泳ぎ渡ろうとする、まさに互助の精神での生き残りを指向するのです。

これが、上記のベテランアニメオタクの方が指摘するように、ネットへの露出、恐らく具体的にはSNSというツールによって、個人の発信が無名の人々に開放されたことで、オタクも個人個人に回帰して行って互いに主張を発信するようになる、ひいては、ここに比較や競争が生まれて行き、集団弱者の幻想がほころびをきたして、もしかしたら自分ひとりは社会に受け入れられるかもしれない、自分ひとりは弱者ではないかもしれない、という幻想を獲得するのです。そして、互助の村は一瞬のうちに消滅します。

この、自分ひとりは弱者ではないかもしれない、というのは、考え方によれば希望です。角度を変えれば、これは個人的な生きる希望につながります。故に、この希望を持つこと自体をこの社会は全面的に受け入れるのです。そこで、社会はささやくのです、意識を高く持てば貴方は救われる、と。。。

そうです。この意識高い系と言われる人達こそ、オタク村から見れば明らかに裏切り者なのです。また、裏切り者をひとりでも出した村は次第に疑心暗鬼の空気に包まれて、裏切るつもりの無かった人々もいづれは村を去らねばならなくなります。そして村は消滅するのです。

アニメオタクの村が持つこのような脆弱性には、すでに、アニメという本体からの処方箋が提示されていることに、今回、私は気づきました。

「ユニコーンガンダム」の、このままでは将来人類が滅亡してしまうという危機を高い意識で分析して論理的だがかつ残忍な解決策を導き出す「フルフロンタル大佐」に対して、目の前の愛情と情熱にこだわる若い「バナージ」と「ミネヴァ姫」が勝利を収める、という物語。ここには、意識は低くとも弱者が愛情と情熱により協力し合って危機を乗り切るべし、とする教訓が秘められているのではないかと思われるるのです。

あ、つい話をまた「ガンダム」に話を寄せてしまいました。すみません、本題は、ここからです。

アイリッシュ音楽同好の士による優しいオタク村を実現させるにおいてのキーワードをここに見いだすことが出来るのではないかと、私はふっとヒザを打った次第です。

つまり、「意識を低くする!」これです。

これにより、私と貴方の境界線を曖昧にする。つまり、私より貴方の方が楽器が上手い、とか、たくさんの曲を知ってる、いや、私の方が上手い、よりたくさんの曲を知ってる、あるいはその逆で、私なんかまだまだヘタで知ってる曲も少なくてセッションには入れない、とかの謙遜や卑下も含めて、そういう発想には考えも及ばないぐらいに、ただアイリッシュ音楽が好きなことのみに、私と貴方の存在価値を同等に置くこと。

では、これは具体的にはどういう話になるのか。「ユニコーンガンダム」を教訓とするならば、、、

先輩「こうすれば、もっと上手く弾けるようになるよ」
後輩「いや、上手く弾けなくてもいいんです。僕はこの娘の横でただ楽器を弾きたいのです」

そうです。これが、これから、fieldが目指すセッションの世界のひとつのモデルになることでしょう。

ほんまかいな笑。しかし、「人類は、論理的にはこうなることを知っておいた方が良い(フルフロンタル口調)」。す

ケルティック・ハープの歴史:村上亮子

ケルティック・ハープの歴史

編集後記

原稿が不足しがちな本誌に、寄稿してやっても良いぞという愛読者の方はぜひご連絡ください。

ケルト音楽に関係する話題、例えばライブ&CDレビュー、日本人演奏家の紹介、音楽家や職人へのインタビュー、音楽旅行記などで、1000文字程度までで一本記事をお書きください。

頻度については、一度にまとめてお送りくださっても構いませんし、毎月の連載形式でも結構です。

ご相談の上で、「ケルトの笛屋さん」に掲載させていただく場合は、1文字あたり1円で買い取りいたします。

ご応募は info@celtnofue.com までどうぞ。

★全国のセッション情報はこちら

★全国の音楽教室情報はこちら

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=
クラン・コラ:アイルランド音楽の森(月1回刊)
発行元:ケルトの笛屋さん
Editor :hatao

*掲載された内容を許可無く転載することはご遠慮ください。
*著作権はそれぞれの記事の執筆者が有します。
*ご意見・ご質問・ご投稿は info@celtnofue.com へどうぞ。
*ウェブ・サイトは http://www.celtnofue.com/

*バックナンバーは最新号のみ、下記URLで閲覧できます。それ以前の号をご希望の方は編集部までご連絡下さい。

まぐまぐ http://www.mag2.com/m/0000063978.htm
=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-

関連記事

メルマガ「クラン・コラ」