Astra Thor氏による「ケルティック・ハープ」についての解説記事を、当店でおなじみの翻訳家・村上亮子さんの翻訳でお届けします。
原文:Celtic Harp History: The Story Of The Celtic Harp – Lark in the Morning
ケルティック・ハープの歴史
「天国に流れるのは黄金のハープの音色」と言われています。ハープには今も神秘的な雰囲気があります。普通の人はオーケストラ以外で本当のペダル・ハープを見たことがないだろうし、 アイリッシュ・ハープを聞いたことがない人もいます。Lark in the Morning楽器店で働き始めたころ、私の音楽の知識は表面的なものでしたが、ペダル・ハープについては学校で習ったことがありました。初めてアイリッシュ・ハープを見たのはLark in the Morning楽器店に来てからでした。様々な小さなハープに心を動かされ、私はケルティック・ハープを習い始め、やがてケーリー・バンドに参加し、古いハープにまつわる興味深い歴史を学びました。ハープが歴史から消え去ったこと、また復活したことなどです。歴史は繰り返し、アイリッシュ・ハープは今まさに復活しつつあるように思います。
ヘンリー8世以来何百年もの間、ハープはアイルランドの紋章に使われてきました。現在のコインにも14世紀のトリニティー・カレッジのハープが描かれています。昔、金属弦のハープはアイルランドの人々に最も愛された楽器であると同時に支配者階級の楽器でもありました。今日ハープは伝承楽器と呼ばれることもあります。長年の政治的混乱の中で作り方や弾き方が失われ、何年にもわたって関心が失われていたからです。最近になって金属弦のハープが再び注目されてきています。
古代、ハープ奏者は王の助言者であり、その職責に対して名誉の椅子、称号、財産が与えられていました。この恩恵は子孫に相続されるものではなく、一番優れたハープ奏者に引き継がれました。アイルランドでは、戦に際してハープ奏者は諮問を受け、楽人はハープと剣を携えて、敵を倒し、勝利の歌を歌い、軍隊の先頭に立って戦場に赴きました。そのハープは華麗に装飾され、人々に崇められていました。ケルトの人々は複雑な彫刻や水晶でハープを装飾することを好み、族長や王は素晴らしい金や銀の装飾や宝石を与えて、貴重な宝物に作り上げました。
古い時代のケルティック・ハープは今のペダル・ハープとは違うテクニックで演奏されていました。ハープを左の肩に当てて、左手が高い音域、右手が低い音域を弾きました。今日のハープは右の肩に当て、手の使い方も逆です。昔のハープは太い真鍮の弦が張られ、長く伸ばして曲がった指の爪で弾きました。大きく、ふくよかで豊かな鐘のような音色がしました。高音域の弦は細い鋼の弦で優しい軽やかな音色がしました。低い音域は吠えるような音です。古い時代のハープは残響が長く、時には弦を押さえて、音色をはっきりさせたり、速いパッセージで音が濁らないようにしたりすることもありました。
『アイルランドとハイランドのハープ』THE IRISH AND HIGHLAND HARPSという本の中でロバート・ブルース・アームストロングRobert Bruce Armstrongはハイランド・ハープの演奏法についてこう言っています。「金属弦の長く続く残響はすぐに止めなければなりません。それで弦を弾くとすぐに別の指で弦の振動を止めるのです。演奏に熟達した人だと爪が弦に当たる不快な音は聞こえません。」金属弦のハープをさすゲール語はクラルサッハClairseachで、アイルランド、スコットランドで使われていました。ハープHarpというのは腱を弦に使った楽器を表す言葉でした。
古代のハープ
有史以前から世界中には様々な形のハープがありましたが、その起源については何もわかっていません。しかし2000年から3000年前に中央アジアやシベリアに存在したハープの記録が残っていて、それは古いアイリッシュ・ハープを想起させるものです。紀元前2500年頃のメソポタミアのウルにある墳墓の石室にハープのような楽器が3台描かれていました。祝祭と宴会の場面で弦を張った楽器を演奏している人と歌い手の彫刻は、これがシュメール文化の日常的な営みであったことを物語っています。16世紀のアイルランドの吟遊詩人やハープ奏者は、キリスト教以前のアイルランドの伝統を引き継ぐだけでなく、青銅器時代の文明をも引き継いでいるのです。
ギリシャ、中国、アッシリア、ペルシャ、エジプトで見つかっているハープ風の楽器は大きくて持ち運びには適していませんし、初期のアイリッシュ・ハープに影響を与えたとは思えませんが、アイルランドにキリスト教徒が訪れるようになったのちの時代の変化には影響を与えたかもしれません。しかし小さな持ち運びのできるハープがアジアの辺境で作られていたようです。ケルティック・ハープはこれに最もよく似ています。
初期の伝説の中のハープ
キリスト教伝播以前のいくつかの伝説に、クラフティンCraftineという名のハープ奏者兼制作者が描かれています。古文書研究者O’Curry教授によると、もう一人の伝説的人物Conaire Morは、詩人3人、パイプ奏者9人、ハープ奏者9人を召し抱えていたそうです。
これらの伝説が示すように、ケルティック・ハープの伝統は1,000年以上も遡ることができますが、記録として残っている最古のものはスコットランドの石に彫られたもので、8世紀から9世紀のものでした。
紀元1000年頃までに、初期のタイプのハープはアイルランド、ウェールズ、スコットランドに広まっていました。イギリス諸島でハープの音楽が栄えたことは、ヨーロッパ大陸の学者によって記録されています。これら初期の記録は数世紀にわたり、失われた素晴らしいい音楽についても触れています。例えば15世紀前半にイングランドに住んでいたPolydore Virgilは「…アイルランド人は日常的に音楽をたしなみ、また実に熟達している。彼らの芸は歌でも楽器でもこの上なく精妙であるが、大胆でかつ感情を揺さぶるものなので、素早い指の動き、ビブラートをかけた歌い方の中でどうやって芸術の規則を守ることができるのか不思議であるが、彼らは完璧にそれを守っている。」と述べています。(Cambrensis Eversus,Vol.i.P.311)
しかし栄光の時代もやがて終わりが来ます。アイルランドは長年にわたり、バイキング、ローマ人、ノルマン人、ムーア人などの侵略者を跳ね除け、あるいは吸収してきましたが、今度はイングランドがアイルランドとその文化にとっての大きな脅威になりました。アイルランド人は外国の侵略者に慣れていましたが、1395年には厳しい戦いの末に4人のアイルランドの王がイングランドに降伏したと古い記録に記されています。それだけでは終わりませんでした。アイルランドは「野蛮だから」イングランドの習慣を取り入れなければならないとイングランド人は主張したのです。例えば王が吟遊詩人、ハープ奏者や主だった臣下とテーブル、皿、カップを共にすることはアイルランドの習慣でした。しかしイングランド人はこの「野蛮な」習慣をイングランドのテーブル・マナーに置き換えようとしたのです。つまり音楽家は離れた席に座り、臣下はさらに引き下がりました。記録によるとアイルランド人は少なくともイングランド人がいるときには、これに従ったそうです。
ケルティック・ハープの暗黒時代
これに続く200年間、イングランドの圧力はますます強まり、これにはアイルランドをプロテスタント化する動きも含んでいました。アイルランドの王侯の力は徐々に弱まり、16世紀の末には吟遊詩人やハープ奏者を抱えることもなくなりました。
一方、同じ時期のスコットランド高地地方ではハープが繁栄していたと、王の宝物記録に書かれています。スコットランドの王侯の多くは音楽をたしなみ、宮廷に多くの音楽家を召し抱えていました。例えばジェームスⅣ世の治世について「王は音楽を愛し、ハープやクラルザッハや他の多くの楽器についてしばしば記述がある…」(アームストロングArmstrong、『アイルランドとスコットランド高地のハープ』THE IRISH AND HIGHLAND HARP、p142)とあります。記録によると特に音楽が好まれた時代は1494年から1503年で、ミュージシャンへの20件の支払いのうち、半分は新年の祝いの席で演じた大勢のハープ奏者や吟遊詩人にあてたものでした。ハープ奏者たちは16世紀末頃までその生活様式を維持することができました。もっともこの期間の後半は才能あるハープ奏者の養成は海外、ブルージュに頼らなければなりませんでした。ついにはマンソンMansonの『ハイランドのバグパイプ』HIGHLAND BAGPIPEによれば「スコットランドでは華やかな封建制の終焉とともに、ハープの歴史も終わりを告げた」そうです。
1500年代初めには、アイルランドのハープ奏者や吟遊詩人はイングランド王の迫害を受け、多くは暴徒として捕らえられ、処刑されました。赦されたものはわずかで、多くの人が命を落としました。実に皮肉なことですが、エリザベス1世はロンドンの宮廷でお抱えのハープ奏者に演奏させてアイリッシュ・ダンスを愛でながら、アイルランドのバリモア卿に「ハープ奏者は見つけ次第絞首刑にせよ。ハープは破壊せよ。」と命令書を出していたのです。しかし1603年に女王が死ぬと、わずか2か月後にバリモア卿は自らの城にハープ奏者を抱えたと記録にあります。
1650年から1660年、事態はますます厳しくなってきました。クロムウェルがカトリック、プロテスタント双方に対し、ハープとオルガンを破壊するように命じたのです。ダブリン市だけで500台のハープを没収し焼却しました。また別の例では2000台が破壊され、ハープ奏者が集まることが禁止されました。
17、18世紀、アイルランドの人々の生活に大きな変化が起こりました。古いタイプの音楽や詩は人々の関心を失い、かつてのパトロンは追放されたり、富を失ったりしました。クロムウェル以降、意図的にハープを破壊したりハープ奏者を追放したりすることは無くなりましたが、一時は王侯の耳を楽しませていたハープ奏者や吟遊詩人は、国中を放浪し、行った先々でわずかな金を得なければなりませんでした。
ハープの消滅
アイルランド人以外の多くの人々、例えば国へ戻らなかった兵士などがアイルランドに定住しました。彼らの音楽も持ち込まれ、アイルランド音楽と混ざり合いました。ヨーロッパ大陸では、新しい音楽の知識が広まりテクニックが開発され、イギリス諸島に持ち込まれ、その中にはガット弦で柔らかな音色のペダル・ハープも含まれていました。音楽の好みも徐々に変わり、金属弦の伝統的な音色やスタイルは似合わなくなってきました。多くの曲がフィドル等の楽器に合うように書き換えられました。人々が新しい音楽を求めたのです。
1700年台後半、アイルランドの人々は長い間見向きもしなかった民族の遺産に関心を高めていきました。この頃にはハープ奏者もほとんどいなくなってしまっていましたし、伝統的なスタイルで演奏される曲もほとんどありませんでした。1790年、古い音楽を復活させるためにベルファスト・ハープ・ミーティングが開かれました。ハープ奏者を招待してコンクールを開きましたが、参加したのは15歳から97歳の10人のハープ奏者だけでした。指の爪を使った古い奏法で演奏をしたのは、97歳最高齢のデニス・ヘンプソンDennis Hempson ひとりでした。ほかの人たちは指先で弾きました。おそらくガット弦のペダル・ハープの影響でしょう。ハープ・ミーティングでは、演奏された古い曲を書き留める機会も利用されましたが、記譜をしたエドワード・バンティングEdward Bunting は伝統的な奏法の訓練を受けていませんでしたので、実際に行われたことを正確に再現することができませんでした。それで古い曲を残す最後の機会は失われてしまいました。
伝統的な金属弦のハープは長い間作られていませんでした。社会的、政治的に不遇な状態が長く続いて、ハープ奏者の生活は厳しく、新しいハープの需要はほとんどなかったのです。それで制作の技術は失われていきました。1800年台初めごろから、アイルランドでハープが演奏されることはほとんどありませんでした。社会の状況も悪く、アイルランドの人々の関心や財力はもっと現実的な方面に向けられねばなりませんでした。1800年代初め、ダブリンとベルファストで貧しい盲目の少年にハープを教える学校が始まりましたが、うまくいきませんでした。古い演奏法は絶えて久しく、指先で弾く奏法に代わっていました。
ネオ・アイリッシュ・ハープ
1890年台から1900年台初め頃に、アイルランドで小さなハープが幾つか作られましたが、それは大きな豊かな音色の古い時代のアイリッシュ・ハープにあまり似ているとは言えませんでした。Joan Rimmer は著書『アイリッシュ・ハープ』The Irish Harpの中で「まるで昔のアイリッシュ・ハープのひどいパロディーだとしか言いようがない。音色はひどいものだ。まるで古いガタガタのピアノのようだ。」と書きました。数年のうちにペダル・ハープのほうに関心が集まり、小さなハープもアイルランドで作られ、演奏されてはいましたが、素晴らしいよく響く音を得ることはできず、弾く人もあまりいませんでした。このみじめな状況はおよそ200年続きました。
金属弦ハープの復活
10年ほど前、近代的技術を使って響きのいい小さな金属弦ハープを作ることに成功しました。(訳者注:寺本圭佑氏によると1980年頃にアメリカのアン・ヘイマンが古い金属弦ハープの演奏法を復元することに成功した。https://ameblo.jp/telyn/entry-10285784409.html )これは古代の伝統的アイリッシュ・ハープの伝統を引き継ぐものです。
基本的に大きさは2つあります。一つは膝に乗る本当に軽くて持ち運びに便利なものです。車の中でも演奏できますし、子供が初めて弾くハープとして適切です。ペダル・ハープと同じ弦の幅の小さなナイロン弦のハープもあります。これはプロのハープ奏者にとっても、持ち出し用または練習用にふさわしいハープです。最近は金属弦、ナイロン弦共に、進化したモデルは大きさの割には驚くほど豊かな響きを持っています。中ぐらいの大きさのハープ、(高さ90㎝~120㎝)も金属弦、ナイロン弦共に作られています。重さは15㎏~20㎏で一般的な車のトランクや後部座席に乗せられます。低音部もあり、プロの演奏にも適しています。
新しく素晴らしい音色が得られるので、小さなハープをアレンジに取り入れているバンドもあります。もしかしたらハープの新しい黄金時代の幕開けかもしれません。