ダニー・ボーイ、もしくはロンドンデリーの歌

ダニー・ボーイ、強くアイルランドを連想させるメロディと、切ない別れの歌詞の両方で有名な曲です。

この曲にはもう一つ有名な題名があって、それが「ロンドンデリーの歌」です。

同じ曲なのにタイトルがふたつ?と不思議に思われるかもしれませんが、実はこんな歴史があります。

「どこかで聴いたことのある民謡」をカタチにして残したい、と考えて編纂された「The Ancient Music of Ireland(アイルランドの古典民謡)」という解説本の中で初めて紹介されたのが、1855年。

*その元を辿る研究はたくさんされていますが、今回は省略しますね。

当時のタイトルは、なんと「誰かしらの歌(Anonymos Air)」というえらく適当なものでした。

この本をまとめた人は、アイルランドの色々な町に赴き、その土地の人から伝統曲を教えて貰い、採譜して本にしたんですが、色んな人に取材しすぎたため、はたしてこの「誰かしらの歌」は、どこで誰に教えてもらったんだろう?となったそうです。

その20年後ぐらいに、そのメロディを気に入ったとある女性が「アイルランドのラブソング集」のひとつとして、この曲に歌詞をつけた時に、「もうちょっとましなタイトルがあるだろう」と調べてみたところ、「どうやらロンドンデリーで教えてもらったらしい」という情報から「ロンドンデリーの歌」にタイトルを変えたわけです。

さらにそのあと、当時イングランドでも人気の作曲家(兼弁護士!)でもあったおじさんが新たに歌詞をつけて発表しました。

そんなにパッとした歌詞じゃなかったようで、全然流行らなかったそうなんですが、彼のアメリカに住んでいる義妹が、その曲を偶然耳にすることがあり、試しに歌詞を変えてみたんです!

それが、現在まで伝わる「ダニー・ボーイ」の元になった歌詞でして、故郷に両親を残して新天地に渡った移民アイリッシュの人たちに大ウケ、一気に大流行したというわけです。

当時は、そんな感じで色んな人が「ロンドンデリーの歌」のメロディに歌詞をつけては違うタイトルで発表していたそうです。(すごい時代だなぁ)

ちなみにティン・ホイッスルの生みの親クラークさんは、手押し車で自作ホイッスルを実演販売する時に、このメロディを必ず吹いていたそうです。

現在は「ロンドンデリーの歌」は北アイルランドの国歌のひとつになっているみたいで、「ダニー・ボーイ」は移民たちアイリッシュ系の人たちを中心に今も人気の衰えない、永久に不滅のアイリッシュソングなんですね。

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