【第16回:カナダとケルトの深めの関係】アメリカ・カナダとケルトのこじつけ旅行記

ライター:ネットショップ 店長:上岡

ケルトに関する話から遠ざかっていたので、このあたりでカナダとケルトの関係についてざくざく書いていきたいと思います。

アメリカにはたくさんのアイリッシュ系の人たちが住んでいまして、その理由はやっぱりアイルランド中がお腹を空かせて大変だった「ジャガイモ飢饉(1800年代ど真ん中あたり)」にあるわけです。

では、カナダとケルトの関係はどんな感じかな?まぁ似たような感じだよね、と思ってしまいそうなところですが、実はケルトとのお付き合いはカナダの方がずいぶん長いんです。

ジャガイモ飢饉よりも200年ちょい前に、カナダに「新スコットランド」というエリアを作り、そこに大きなスコティッシュコミュニティを築いて、まぁいわゆる「よその土地をうちの土地にしよう」計画が実施されました。

で、その初期メンバーに、なんとなくスコティッシュが選ばれたそうです。

はい、「なんとなく」とは言いましたが、英国のメインの人たちは英国国教会の信仰で、ケルトの人たちが信仰していたカトリックとは仲が悪めでした。

なので英国の王様たちも「言うこと聞かない子は、それなりに悪い待遇で生きていただきまーす」みたいに、過度な争いは避けつつ、嫌がらせを代々続けていたわけです。

そんなアンフェアな時代ですから、嫌がらせを受けたくないスコットランド系カトリックのみなさまと、植民地を確保したいけど体力のない英国トップの人たちの思惑が一致した、というような感じなんだとか。

「新スコットランド」をラテン語で言い換えてみると「ノバスコシア」となりまして、このお名前は今のカナダの州として、きっちり残っています。

また、その「ノバスコシア」を設立した地域は主に「ケープ・ブレトン島」という島で、現在もこの地域にはたくさんのスコットランド系の人たちが住んでいるんです。

とはいえ、誰かさんが一方的に「領地を広げたいぞ!」と意気込んでみても、世界には色々な国がありますから、良さげな土地を巡って戦ったりしがちです。(それがたとえ、本来どちらの土地じゃなかったとしても…。わかりづらければ、ひとまずディズニーの「ポカホンタス」を見てください)

事実、この界隈はフランスも目をつけていて、よく戦いが起こっていました。

で、そういういざこざがあると、当然戦うためにももっと人がいる!という風になりますよね。

ちょうどそんな時代に、スコットランドでは高地(ハイランド)に住むハイランダーたちが、国による「農業でお金を稼ぐんじゃい政策」によって、居場所を失っていました。(羊を育てたいから、立ち退いてくださいって追い出されるという事件)

そういった情勢の変化もあって、スコットランドのみなさんがカナダに移住していくのは、歴史的にかなり自然な流れだったみたいです。

ちなみに、一度はフランスにやられて、町全体がフレンチな感じになったそうですが、ほどなくして英国がフランスを打ち負かしてからは、スコティッシュの流入が本格化、カトリックを信仰して、ゲール語も話せちゃう人たちで町中が溢れかえり、商売も順調に栄えて行きましたとさ。

2016年の国勢調査では、カナダの人口の14%もの人がスコットランド系(カナダで3番目に多い)というケルト濃度が濃ゆい国ですから、実にたくさんのスコティッシュ・パブもあるんだそうです。

なので、もしカナダに行かれることがあったら、街で見つかる(かもしれない)ケルト由来の名前やそういったパブなどを探す、ちょっとした「ケルト旅」をしてみるのも楽しいかもしれません!

この内容には関係ないですが、カナダ旅行の映像をまとめたものを紹介していなかったので、さいごに貼り付けておきます!

こじつけ旅行記について
ネットショップ店長が2018年頃にアメリカ・カナダを旅した際のゆるーい旅行記です。文化的な面から見た現地のケルトについての小ネタを挟みながら少しづつ更新しています。