【バックナンバー:クラン・コラ】Issue No.292

アイリッシュ・ミュージック、ケルティック・ミュージックを中心としたヨーロッパのルーツ音楽についての情報、記事、読物、レビューをお届けする月2回発行のメールマガジン「クラン・コラ」。

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クラン・コラ Cran Coille:ケルト・北欧音楽の森 Issue No.292

アイリッシュ・ミュージック・メールマガジン 読み物編
April 2019

hatao & namiコンサートレビュー:大島 豊

【日時】4/21(日) 13:30スタート
【会場】ギャラリー 無有齋(むうさい) 東京都江東区

nami さんに言われてようやく気がついたが、このデュオを生で見るのはこれが三度めなのだった。このところ、二人のアルバムをヒマさえあれば聴いているので、お久しぶりという感覚はあまりないのだが、そう言われるともっと生を体験したいものだ。

昨日はほとんどが「新曲」で、まだ録音していないものだったし、中にはつい先日できたばかりという曲もあり、その点ではまず実に新鮮だった。もちろん曲としてはできあがっていて、アレンジもきっちりされているし、演奏にも隙は無い。それでも、これは出発点で、ここからそれぞれの曲の旅というか生涯というかが始まるという感覚は濃厚だ。

この感覚は貴重ではある。それは二度と再び味わえないものだ。ちょうど今の季節の若葉の備える感覚に近い。春が来て萌えでる葉はまだ色が固まりきらない。独特のやわらかい明るい緑色をしている。陽に照らされても、雨に濡れても、きらきらと輝く。遠くから見ると梢の上のほうがほんのり黄緑色にぼやけるのに始まって、梅雨の前に濃緑に染まりきるまでの短かい間。日毎に色が変わってゆく。昨日の新曲たちもその若葉なのだ。葉としての形はできているし、色も備わるが、まだ固まりきっていない。時々刻々静かに着実に変化し、成長してゆくものから生まれる生命感。

だから、この新曲たちの成長の現場、つまりこのデュオのライヴにはもっと頻繁に立会いたいと願う。その変化を目の当たりにしたい。

たぶんそういう新曲が多かったせいもあるだろう、二人の音楽は新たな段階に入っているようにも聞える。ハープが共通するからかもしれないが、ChrisStout & Catoriona McKay の音楽を思い出した。あの二人の出発はスコットランドの伝統音楽に違いないし、現在形もあくまでもスコットランドの音楽伝統の流れのひとつではあるが、しかし通常の伝統音楽からは明らかに次元が異なることをやるようになっている。もっと普遍的な、あえて言えば抽象的な音楽になっている。それもローカルを突きつめて至る普遍というよりま、ローカルの平面から直角に離陸するような普遍だ。

技術的な側面からすればカトリオナに一日の長があるかもしれないが、想像力とアレンジにおいては、あたしには nami さんに軍配をあげたい。どちらが優秀とか上とかいうよりは、得意な分野としてである。カトリオナがあきれるほど多彩な表現を駆使して天空を翔けまわれば、nami さんは豊冨なイマジネーションとセンスのいいアレンジで音楽を多彩に膨らませる。

クリス・スタウトと hatao というのも、いざ並べてみると、案外かなり近い、共通する部分が大きいようにも思える。音楽家として、普通ではちょっとひるむような高みをめざす、それも無理をして背伸びをしてではない。本人としてはごくあたりまえのことをあたりまえにやっているつもりのことが、端から見ると尋常ではない。そういう形がよく似ている。もっとも器の大きいことでは同じでも、その器そのものの形は異なるだろう。

その楽器でしか出せない音、その手法でしか不可能な音を求めて、多種多様な楽器を頻繁に持ち替え、あるいは2本同時に吹いたりもする。1曲の中でも楽器を持ち替える。ここはフィドルとフルートの楽器の特性の違いでもあろう。その楽器からは通常出てこないような音を出すことも少なくないが、それもまたその楽器からその音が出るのが面白い。

昨日は10本ほどの楽器を持ち込んでいたが、中では形はウッド・フルートで竹製のものの響きがすばらしかった。やわらかく、太く、丸みを帯びて、駘蕩としていながら、かすかに悲劇的なところがある。形はただの竹の筒にフルートのように穴が穿き、指使い、息遣いもフルートと同じ。この楽器を使う曲が増えますように。

hatao さんの笛はどちらかというと音がシャープだ。一つひとつの音の輪郭が明瞭で、だから長く伸ばす音がそれは美しい。一つの音を均一に伸ばすのは、人間が息を吹きこんで音を出す笛類では簡単なことではないと思うが、hatao さんが伸ばす音はびくともしない。これは快感だ。録音でもそこはポイントだが、ライヴではさらに快感のレベルがアップする。とんでもない高い音でこれをやられるとあたしなどはメロメロになる。

それに比べると nami さんのハープの響きはゆるやかだ。音が切り立つよりは、茫洋と包みこむ。もう少し切り込んでくれたら、と思わぬこともないが、それではおそらく hatao さんの音とぶつかって、聴くのが辛くなるかもしれない。

会場にはピアノもあって、数曲、nami さんがピアノを弾く。その中ではファーストのハイライトでもある名曲〈Time Flow〉がすばらしく、昨日のハイライトでもある。アルバムでは打ち込みなど多彩なサウンドで奥行の広い曲になっているが、笛とピアノだけだと、曲の骨格がよくわかる。骨格が美しい曲はどう処理しても美しくならざるをえない。

この会場は20人も入ると一杯の小さなものだが、天井が高く、音の響きがすばらしい。小編成のクラシックのライヴが多いらしい。ハープにはごく軽く増幅をかけ、ロウ・ホイッスルに1曲でマイクをつけた他は生音。あらためて思うが、ことに笛は生音がベストではある。

名前の通り、周囲の壁には様々な絵が飾られている。名画の類というよりは、見ていると何とはなしに気分がよくなってくる、小さな絵が多い。nami さんも絵を見ながら演奏して、エネルギーをもらったと言っていた。聖別というと大袈裟だが、どこか浄化された空間でもある。住宅地の真ん中、表通りからは一歩入った道の、さらにもう一歩路地に入ったところにひっそりとある。スマホの地図を見ながら行っても辿りつくまであたりをぐるぐる回ってしまった。ふだんはクリスマスにしかやらないが、東京で演ったことがないのでと言って聴かせてくれたセカンド収録の〈聖夜〉がことに心に染みたことである。(ゆ)

hatao & namiのホームページ
http://hataonami.com/

あまり楽器がうまくない外国人の話:field 洲崎一彦

前回、私は自分の音楽的焦燥を吐露したわけですが、恐らく多くの方には、いったい何を言ってるのかよく判らないという事だったように思います。が、まあ、単に自分の中にあるもやもやを吐き出したという意味では少しすっきりした思いが残りました。

それで、今回は、前回の話題に関連させて、結局、それって、日本人と外国人の音楽感覚が違うという事ですか?という、皆さんの素朴な疑問に沿ってお話ししたいと思います。

ここで、いつも出て来るのは、外国人と言っても、ずばりアイルランド人を指すのか、ヨーロッパ人を指すのか、アメリカ人も含めるのか、白人全般なのか、アジア人はどうなのか、という所を突かれるのですが、これ、あくまで、観察の結果なので、何人がどうたらという詳細な所までは判りません。少なくとも、私が自分のところのセッションで一緒に演奏する機会があった人達を観察して考えた事であって、逆に言うと、おおまかに、日本人達がある一定の共通した音楽感を持っているということで、対して、外国人達がまったく違うというという単なる観察なのです。

確かに、これまで、セッションに同席した外国人プレーヤーは著名なミュージシャンだったり、凄腕の演奏家だったりする割合が高かった。なので、それは当然違うでしょう、という意見ももっともです。なので、今回は、そんな中でも、初心者の外国人であったりあまり楽器が上手くない外国人にもけっこう遭遇していて、表現は悪いですが、同じヘタでも日本人のヘタと外国人のヘタが確実に違うというお話しをしようと思います。

先日も、当セッションに飛び入りして来た、アメリカ人青年がいました。彼はブルーグラスをやっていてアイリッシュも少しは知ってるけど自信は無いと言ってギターを抱えてセッション席にやって来ました。

そして、まず、彼はブルーグラスの歌を弾き語りで披露してくれたのですが、これが非常にかっこよかった!歌声も張りがあってつやつやでギターもビートが利いていて申し分ありません。

そんな彼が、自信が無いと言いながら、アイリッシュダンスチューンの伴奏に入って来ました。それが、コードも間違っているしリズムも間違っているんですが、ガンガンな大音量でギターを弾くのです。さっきの弾き語りと同じテンションで弾くのです。隣でフィドルを弾いていると確かにものすごく弾きにくいのですが、不思議に邪魔ではない。何かがそこから出ている。そんな感じがするのです。しかし、この、何かががんがん出て来ていると言う所に気が行った瞬間に、こちらは楽器を弾けなくなる。まあ、確かに邪魔なのです。

が、普段、日本人の初心者ギターの人達がコードやリズムを間違ったまま弾いているという状況はぜんぜん珍しくはありませんし、むしろ、よく在る事なのですが、こういう時は割と彼のギターだけ聞かないようにしてなんとなく右から左に流してしまえるのですが、このアメリカ青年の場合それができない。ものすごいエネルギーを放出している、とまあ、こんな感じがしたのです。

考えてみると、このアメリカ青年のように、アイリッシュは自信が無いという場合、日本人青年ならば多くの場合、恐る恐る控えめに弾くでしょう。音量も落としていかにも自信なさげに弾くでしょう。でも、このアメリカ青年は、自信なさげに控えめに弾くなどというモードはまったく無い!という勢いで弾くのですね。自信なくてもあっても関係なく、楽器を弾くというのは彼にとっては思い切り弾くことのようなのですね。それによって、何か異次元のエネルギーが飛び出しているのです、コードを間違えようとリズムを間違えようと、このエネルギーが常に飛び出しているわけです。

ここ。シンプルなようで非常に大きな違いだと思うのです。ちょっと想像してみてください。この、彼がアイリッシュ音楽を覚えて本当に自信をもって弾くといったいどうなるのでしょうか?

こういう所に、私達と彼らが、事、楽器を弾く、または、音を出す、というイメージがその根底からまったく違うということが垣間見えるのですね。

では、私達も、ただ、がむしゃらに思いっきり楽器を弾けば、彼らと同じになるのですか?と、いうような単純なお話しでもなさそうなので、この話は、この先に行くとやっかい極まりないのですが。

まあでも、いわゆる、恐る恐る控えめに弾くというのは、確かに、あまり良いやり方ではないと思うのです。

もうひとつ。思いっきり弾けというと力を入れてしまう人がいますが、これも違いますね。(す)

Colleen Raney アメリカで伝統をうたう試み・その19:大島 豊

アメリカのケルト系シンガー、コリーン・レイニィの録音を聴くシリーズ。4枚めのアルバム《Here This Is Home》の第6回。

今回の2曲は伝統歌ではなくオリジナル。いずれも録音のため、アイルランドに渡ってから教わったもの。アイルランド人の手になる。録音はいずれも他のものは見つからず。ご存知の方は乞うご教示。

07. Sanctuary 03:14 Vincent Woods & M. O’Connor
アルバム・タイトルはこの歌冒頭の一節。この歌を聞いたとたん、アルバムのタイトルが決まり、全体像が見えた、とコリーンはライナーに書いている。タイトルからして、「聖域」「避難所」としての故郷を歌っているが、その故郷とは行く先々に持ってゆくことのできる感じ方であり、音楽こそは故郷だ、というのは、アイルランドではない異郷にあってアイルランドのうたを唄いつづけるコリーンの実感であろうか。

ピアノのみを伴奏に、ゆったりと唄うが、コリーンの声は囁きに近い。あるいはむしろ祈りだろうか。

08. Colliery Boy 05:27 Joseph Kavanagh
録音スタジオのあるキルケニー州キャッスルコゥマーの近くにディアパーク炭坑があった。アイルランド最大の露天掘り炭坑で無煙炭を産出し、「煙のない炎」というキルケニー州のスローガンはここに由来する。二十世紀前半、この炭坑は近隣から多数の人びとを雇傭していた。この歌はそこで働いた無数の男女、子どもたちへのトリビュート。

ギターのエイダン・ブレナンから教わる。エイダンのギター、トレヴァーのベース、コーラスでハンツが声を合わせる。後半から誰かがシェイカーを振っている。

コリーンはむしろ抑えすぎと思えるほどに抑制した歌唱。コーラスでのタイトルのリピートが快い。

作曲者とエイダンによるパブでの演奏が YouTube に上がっている。このビデオでははっきり言えないが、作者はクラシック風のアイリッシュ・テナーとして録音もある人かもしれない。

エイダン・ブレナンはスーザン・マキュオンやロリーナ・マッケニットのプロデュースもてがけている人で、このアルバムもプロデュースしている。

次の曲は有名なビッグ・バラッドの一つで録音も多い。ので、次回にまわす。(ゆ)

日本のトラッド系アーティストのCDレビュー(2)
Ganmal Gran “やがて樹になる – Spring in Serenity”:hatao

北欧音楽バンドDrakskipのリーダーで、ノルウェーの伝統楽器ハーディングフェーレ奏者の野間友貴の新しいユニット、「ガンマルグラン」の3月発売のデビューアルバム「やがて樹になる – Spring in Serenity」が手に入った。

ハーディングフェーレはノルウェーの民族ヴァイオリンの一種で、共鳴弦がによる残響の長い音色が特徴だ。ここでは普段のように野間君と呼ばせてもらうが、彼の日本の北欧音楽における功績は大きい。

北欧音楽がまだ今ほど知られていなかった2000年代、アイルランド音楽は今と変わらず人気だったが、彼は北欧音楽を「発見し」、学生時代に同級生らと彼らの「北欧音楽」を表現するバンドDrakskip(ドレク)を結成、もともと市場もファンも少ないところから一躍人気バンドに登り詰めた。一時期の人気はトラッド系アーティストとは思えないほどで、女性ファンが踊りに行くとかファン・ミーティングがあるとか独特の振り付けや掛け声があるという噂だった。

その頃から、周りでは北欧音楽のイベントやワークショップが開催されるようになり、スウェーデン音楽の演奏を志す若者が育っていった。これらはすべて彼らだけの功績ではないものの、彼らのあとに道ができたことは確かだと言えよう。

そんな彼らは2011年に京都会館のワンマンライブで1000人を集客するコンサートを開催、フィンランドのフェスティバルに出演するなど、一時期はまさに飛ぶ鳥を落とす勢いだった。どこまでも行ってしまいそうな彼らを、僕は数年間、指をくわえて遠目に見ていたのだが、メンバーの北欧音楽留学やそれぞれの事情を経て、現在バンドはゆるやかな活動にシフトしている。絶頂期のドレクを、僕はきちんと評価してくることを避けてきた。告白すると、その人気や才能を羨やむ気持ちもなかったわけではない。CDに参加してもらったり、対バンしてもらったり、メンバーそれぞれとの関係は良かったのだが、若さと前進したい気持ちが先走り、熱にうかされているような危うさを感じていたのだ。野間君のほとばしる音楽への情熱に、メンバーの音楽性や技術が付いてゆかず、瞬発力だけで最短距離でゴールを目指して走っているように僕には見えた。

留学から帰国して何年かの時間が経って、野間君はデュオや単発ユニットなど、次の音楽を模索していたようだ。その時期は、トラッドもしくはそのスタイルに基づく音楽をしており、北欧音楽のワークショップを通じて普及や後進の育成にも力を入れてきた。その時期はかつてのドレクファンは「変わってしまった」と評価する声もあったようだが、彼にとってはじっくりと足腰を鍛えている時間だったのだろう。

今回満を持してスタートした「ガンマルグラン」のデビュー・アルバムを聴いて、野間君の天性の音楽性とここ数年間真摯に向き合ってきた北欧伝統音楽が豊かに結合し種子となり、発芽し、大地に根を張り、天に向かってぐんぐんと伸びてゆくような印象を受けた。公式ホームページもでき、今の彼が一番したい音楽、これから長く取り組んでゆきたい音楽が、地に足が着いた形で始まったのだと思う。野間君の新たな挑戦を心から応援したい。

さて、「やがて樹になる – Spring in Serenity」について。gammal granとはノルウェー語で「古い松(トウヒ)」を意味する。ハーディングフェーレ、足踏みオルガンとピアノ、コントラバスのトリオで、北欧伝統音楽のアレンジとオリジナル曲を演奏している。CDは9曲のうち2曲が伝承曲、残りが野間君のオリジナルだ。

曲の背景については詳しい解説がないため解説は割愛するが、アルバムを通じて受ける印象は光がキラキラと輝く清浄な世界観と、力強い北欧ダンス曲のリズム、瑞々しく希望と喜びに溢れた旋律だ。

ハーディングフェーレの残響、そしてオルガンの太くまっすぐな音色、それを下支えするウッドベースは絶妙の組み合わせだ。私は個人的には素のままのノルウェーの伝統音楽そのものは若干聴きにくく感じるのだが、伝統楽器を使っていることを忘れさせるほど聴き心地が良く、またそれぞれが溶け合っている。

3つの楽器がぞれぞれのパートを受け持ったり、変化したり、ユニゾンしたり、対話をするように音楽が紡がれるさまは聴くものを飽きさせず、それぞれの曲がしっかりとストーリーと結末をもって、アルバム全体が進行してゆく。

最後まで聴き終えたあとは、爽やかな印象を残してゆく。植物が命を輝かせる春の今にふさわしい音楽だ。

◆Gammal Gran公式ホームページ
https://www.gammalgran.com/

編集後記

すっかり初夏の陽気となりました。今年は4月になってもストーブをつける
日があったくらい冬が長かったような気がします。それとも、私が単に
寒がりなだけかもしれません。

原稿が不足しがちな本誌に、寄稿してやっても良いぞという愛読者の方はぜひご連絡ください。

ケルト音楽に関係する話題、例えばライブ&CDレビュー、日本人演奏家の紹介、音楽家や職人へのインタビュー、音楽旅行記などで、1000文字程度までで一本記事をお書きください。

頻度については、一度にまとめてお送りくださっても構いませんし、毎月の連載形式でも結構です。

ご相談の上で、「ケルトの笛屋さん」に掲載させていただく場合は、1文字あたり1円で買い取りいたします。

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クラン・コラ:アイルランド音楽の森(月1回刊)
発行元:ケルトの笛屋さん
Editor :hatao

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