再びブズーキの話をしよう7:field 洲崎一彦


出典 Irish PUB field

ライター:field 洲崎一彦

長い長い道のりをたどって、やっと現在の私のブズーキににつながるバックボーンをお話してきました。同時に、私自身もこの自分の道のりをはっきりと整理することが出来たように思います。
 
前回では、ジャズやロックの「4ビート」「8ビート」「16ビート」というエネルギーを使ってアイルランド・ダンス音楽をより疾走感のあるものにできるのではないか、というヒントを得る所まで行き着いたわけですが。ここからの実践的試行錯誤にもまたやっかいな泥沼が待っていました。

例えば、普段日常的にブズーキを弾くのはセッションになります。なので、セッションのたびに、私はブズーキを抱えていろいろと試行錯誤することになるのですが、これが、どうもうまく行かない。伴奏がちょっと変わったことをするとすぐにサウンドを壊してしまって周りの皆さんが困惑してしまいます。

これは、その時に居るメンバーによってもまったく案配が変わって来ますし、こういうことは、ウチのセッションのようなオープンセッションの場ではやるべきことではないなと、だんだん、このように思えてくるのです。そのために、決まったメンバーによるユニットでも組まないとあかんと。

それで、周りのめぼしい色々なメロディ奏者を捕まえてはユニットを組み、当パーティで演奏するというようなことが習慣化していきます。実に色々な人に声をかけました。が、やはりあまりうまく行かない。そのうちに、一部のメロディ奏者からは私の伴奏が敬遠されるようになって行くのですが、それはまあ当たり前ですね。メロディが弾きづらい伴奏を誰が好き好んで受け入れてくれるでしょう。

おまけに、自分自身にも大きな副作用が出て来た。気がつくと、以前のように普通にメロディに合わせて軽く伴奏することが出来なくなっていたのです。

待てよ?昔、アイ研のI部長が言ってた、アイルランド音楽に伴奏は不要だ!というのはこういう事なのか?などとも思ったものですが、それは、もう普通に伴奏が出来なくってしまっている自分に対するどこか言い訳のような部分があったのでしょう。そして、この次に頭がよぎったのは、以前から目の前に存在した大先輩、ブズーキの巨人、名手A氏のことでした。

京都でブズーキと言えば、その名前がアイルランド本国にも轟いている名手A氏がおられる。私もブズーキを始めたばかりの頃はA氏とセッションで居合わせる度に食い入るように彼の演奏に注目し憧れたものです。A氏のブズーキはほとんど神業だった。どんなメロディ奏者に対してもピタっと寄り添ってそのメロディ奏者の潜在力を引き出すような伴奏をする。これを、アイルランドの著名ミュージシャンに対しても、セッションで出会う初心者奏者に対しても同じようやってしまうのです。誰もがA氏の伴奏をこいねがう。当然ですね。

目の前にこんな名人芸をつるりとやってのける人いる。現実にいるのだから、アイルランド音楽における伴奏の限界などと言っている場合ではないのではないか。あのように、どんなメロディ奏者にも弾きやすく心地よい流れを提供するような伴奏は、とても自分には出来ない。。。。

私はこの時点で一旦ブズーキに挫折してしまったと、今でははっきり自覚するのです。

しかし、アイルランド音楽というのは強烈なメロディ音楽であるという、アイ研I部長の説から、あ、と思い当たる所がありました。このA名人はフィドルも演奏されていたのです。最近はその機会が少なくなったとお見受けしますが、かつては、セッションでフィドルを弾かれる場面にも何度か遭遇したものです。A氏のフィドルはこれまた凄いインパクトがありました。アイルランド音楽のフィドル奏者は、特に日本では、クラシックバイオリン経験者がほとんどだと思います。が、A氏はその独自の弓の持ち方から見て恐らくそうではないと思われ。クラシックバイオリン経由ではないフィドルを演奏される(想像ですが)。そして、これが、非常に独特の味わいをもった、まさにアイルランドの土着民族音楽はさもありなん!と思わせるような強烈な印象だったのを思い出すのです。

これは、やっぱり、アイルランド音楽をやるにはメロディをやらないと何も判らないのだ!とにかくここのままではらちがあかんという気持ちがどんどんつのって来るのですね。それも絶対にフィドルをせねばと(A氏を意識?笑)。そして、fieldには実は昔から誰でも使えるオンボロの「置きフィドル」があったのです。よし! てなもんですね。

全くの我流です。弦を押さえるったってギターやブズーキのようにフレットが打ってないツルツルの指板なわけで、こんなんいつも同じ場所に指を置けるワケがないやないか!と、楽器に向かって毒づく日々。と、言いつつも、がんがん練習するわけでもないのでなかなかドレミすら弾けるようになりません。

そんな当時、当fieldスタッフのとある男の子がいまして、彼はロックバンドでエレキギターを弾いてる奴だったのですが、父親にアコースティックギターをもらったとのこと。日常的にウチでアイルランド音楽を聴いているので少しは興味を持ったのでしょう。このギターで自分にもアイリッシュが出来ますか?と、やって来た。おお!やれるやれる!やれるとも!

彼はロックギター人間なので、とにかく何らかの音源を耳コピーするというのが常套手段なのは重々承知していますから、うーん、誰を真似するのが1番ええかなと頭をひねった結果、デニス・カヒルを思いつきます。あの、達人フィドラー、マーティン・ヘイズとのデュオで一世を風靡したギタリストです。デニス・カヒルのギターは激しいカッティングこそ出て来ませんが、フィドルにまるで吸い付くような演奏で、それは、伴奏というより、フィドルと一体となって控えめな装飾音を提供すると言った非常にオリジナリティのあるものです。

じゃあ、これをコピーしてみろ、と、YouTubeで探したとある映像を見せます。

 - 地味なギターですね。。。
 - いやこのフィドルの人への寄り添い方を見るんや!
 - うーん。。。
 - スザキさんこのフィドルの役をしてくださいよ。
 - え?え?え?
 - この動画に合わせて弾くだけでは、このギター地味過ぎて。。。
 - あほか!このフィドラーはマーティン・ヘイズちゅう達人やで!
 - ドレミも弾けへんワシに出来るわけなかろうが!
 - どっか一部だけでも、、ココって言う所とか、一部だけとか出来ませんか?
 - なに?一部?。。。。ちょっと待て(と、言いつつフィドルを持って来る)

 こんな事を言いながら、2人でこの動画を何度も再生して、ジャカジャカ、ギコギコやるわけですね。何たる不毛な。。。それを、通りがかった、とある人が観ていて、ちょっと!ちょっと!と話に入ってくる。

 - さっき、すごい瞬間がありましたよ!あれ、もういっぺんやってください。
 - え?すごいってどういうことや? ワシはまだメロディの一部すら追えてないで。
 - ギターとしてはコードはシンプルなんでだいたい覚えましたけど。
 - いや、さっきのjigが終わってreelに入る所やったかな?
 - ああ。あれか?あそこね?あそこカッコええとこやろう?やってみよか。。。
     えいや! ギコギコ!
 - それです。それです。その感じです。その後にすーっとギターが寄り添って行くところ。。。
 - 寄り添ってたか?
 - 弾いてたら必死なんでわからんかったなあ。。
 - いや、そのまま練習続けて行ったら面白いことになるんやないですか?

などと、おだてられてですね。私はこの時に、そうかあ、全部弾かなくても、自分がええなと思う所だけ弾けばええんや!とけっこう乱暴な理解をしてしまうのでした。

そして、そのまま、フィドルを抱えて毎回セッションに出ることになります。恐ろしいことです。

 これが、確か2014年の春だったと思います。(す)