ライター:field 洲崎一彦
ここ何回か、思いっきり話が脱線してしまいましたが、ようやく、アイルランド音楽の世界に戻ってきました。そうです。ソーラスのコンサートの場面から再スタートです。
ソーラスのコンサートで、私はソーラスのメンバーが非常にナチュラルに「16ビート」で演奏していると感じたわけです。それまでは、アイルランド音楽はいわゆる民族音楽、それもヨーロッパでも辺境の地の民族音楽だと理解していましたので、このような、私が過去にかかわっていたロックやジャズやというような音楽とは無関係なものだと思い込んでいました。が、ドーナル・ラニー氏の「揺さぶる」ブズーキの衝撃は非常に大きくてですね。私はこの民族音楽の先入観を飛び越えてしまったのでした。そうして、私自身の大学軽音時代からの記憶をめぐりめぐって、ソーラスの演奏が、すっと素直に「16ビート」として入って来てしまったのでした。
(ソーラスの演奏が本当に16ビートかどうかの議論や突っ込みはここではご容赦ください。その時に、私がそう感じたという事実が要点で、これがたとえ誤解であったとしても、その後の私の音楽観がここから始まったということを言いたいのです)
そこから、私はソーラスの元ギタリストであるジョン・ドイルに注目するようになります。確かに一時期、アイリッシュ・ギターの人達は口を開けばジョン・ドイル、ジョン・ドイルというぐらい注目されていた事もあって、私も伴奏者として無視できないというような気持ちもありましたが、これにはちょっとしたきっかけがあったのです。
私は元々、アイルランド音楽をアルタンから親しんだというのがありまして、ドニゴール地方の雰囲気に親しみを持っていました。そういうこともあって、アルタンでギターを弾いていたダヒ・スプロールとフィドラー、リズ・キャロルが演奏しているCDなんかもぼちぼち聴いてきたのです。
そして、このソーラスショックの直後に、ソーラスの元ギタリストであるジョン・ドイルとリズ・キャロルのデュオアルバムの存在を知って飛びつくわけです。
これが、「Lake effect」というアルバム。曲名を覚えてないのですが、たぶん最後の曲だったと思います。一見して、reelともhorn pipeとも言えないメロディの流れがあって印象的だったのです。ちゃんと調べていませんが、トラディショナルではなくてオリジナルなのかもしれません。
冒頭から聞こえてくるパーカッションの刻みがモロに「4ビート」の「スウィング」に聞こえる。ん?って感じ。ジョン・ドイルのギターはそれほど目立ってはいませんが2曲目にすっと「エネルギー」が変化して、これは「8ビート」を彷彿とさせる雰囲気になります。そして、最後の曲では「16ビート」を思わせる疾走感を持ったものになる。全体を通して早い4拍子であり、曲が変わる毎に「エネルギー」の質だけが微妙に変化する。
これが、あの、リズ・キャロル?と首をかしげたくなるようなフィドルの強烈な疾走感に頭がクラクラしたのです。つまり、ジョン・ドイルのギターがリズ・キャロルのフィドルからここまで強烈な疾走感を引き出したのかもしれないという想像に容易に直結してしまった。ここで言う「疾走感」はこれまでお話してきた「エネルギー」と言い換えてもいいです。
なんと言っても、この時の私にしてみればですね。ジョン・ドイルはあの「16ビート」集団ソーラスに居たギタリストなんですから。
ここで、私は妙な確信を持つに至ります。「4ビート」「8ビート」「16ビート」などの持つ、それぞれの「エネルギー」を伴って音楽を前に進める推進力の仕組みをアイリッシュ音楽に応用することは可能なのだと。
これは、トラディショナルとしてのアイルランド音楽の伝統的なノリとは違うかもしれない。しかし、これを応用すれば、アイリッシュ・ダンス・チューンに新しい魅力を加味させることができるかもしれない。そして、ドーナル氏は、気の張らない私たちとのセッションで、つい気を抜いて、こういう遊びをしていたのではなかったのだろうか、と、想像をたくましくします。
ここまで来て、ポール・オショネシー氏の強引な推進力。パット・オコナー氏のさらさらと流されるような旋律。ドーナル・ラニー氏の揺さぶりが一気に1本の線につながった!!
ひとことで言うとですね。
「音楽は自らの意思で前に進めなければならない!そして、この推進力は<なんらかのエネルギーを持った>揺さぶりを伴うことでより強力になる!」
これが、以降の私のブズーキの中心課題になって行くのでした。
が、ここでちょっと立ち止まらなければならないのです。私は現在でもこの「4ビート」「8ビート」「16ビート」なるものを明確に把握しているわけではありません。つまり、私の感じ方はまったく一般に通用するようなものではないかもしれません。が、当時、これまで語って来たこの順番で、リズ・キャロルのこのアルバムに行き着いたから、ソーラスのコンサートの印象がまだ鮮明な時に耳に飛び込んで来たから、その思い入れもあって、この曲を、この時、このように聴いてしまったに過ぎないのかもしれません。
その思いもあって、高校時代にまでさかのぼって、私はこのような道のりでやっとこさここまで来たということを語らざるを得なかった。つまり、これまでのストーリーは私の極個人的な感想に過ぎないものですし、しかし、このやっかいな道のりとその時々の印象によって私の音楽人生はすごくややこしいものになって行った。今回、この一連のコラムを書くことで、自分自身でこれをこのように整理できたことは非常に大きいことでした。
以上を前提に、やっと、現在につながる私のブズーキ人生を語り始めることができる。と、まあ、そんな具合ですね。
永い間のご静聴、ありがとうございました(す)。