
ライター:オンラインショップ 店長:上岡
前回、ブルターニュ音楽の二本柱が「歌」と「踊り」だということを紹介してみました。
そして、最初の方に「独自の言語があるから伝統音楽ができた」ということを書きましたが、最後にその部分を紹介したいと思います。
ブルターニュに限らず、大昔にケルト民族の人たちがごきげんに暮らしていたところは、もれなく強国により征服されています。一度征服されてしまいますと、それまでの暮らし方や考え方をガンガン「矯正」されてしまいます。その中でもいち早く槍玉に上がりがちなのが「言語」です。(あと宗教もかな)
というのも、征服者の人からすると、現地民の人たちが自分を見ながらヒソヒソやってるけど、なんせ言語がわかんないから、もしかして良からぬことを話してるのか、それとも自分の歯にレタスの切れ端がついてるのか、そういったこともわかりません。
そんなことでは統治に支障が出るやないか、ということで、たとえば大英帝国さんがアイルランドに攻め入ったあとなんかは「今日から英語オンリーね」という無茶苦茶なルールを作ったわけですね。
ブルターニュが公国として独立していた時代、ブルターニュの音楽はどちらかというと宮廷や教会の音楽で、庶民は宮廷がプロデュース(許可)した曲しか聴くことができなかったんですって。
なので、たとえば「フランスとも英国とも仲良くしない、ぼくらは元気な中立国!」みたいな当時の情勢を描いた歌詞であったり、「キリスト教はすばらしいですな〜」みたいな歌があったり。
そんな感じで、宮廷がプロデュースした、厳選された曲だけを庶民に聴かせていた、とは言いましたが、宮廷も監視カメラもWi-Fiもない時代に全てを管理することはできません。そうなると当然、そのメロディに好き勝手に歌詞をつけた「替え歌」が大いに流行りました。そこには農作業の手順を歌にしたようなハウツー替え歌ものから、ただの日常の愚痴を詰め込んだおもしろ替え歌まで、いろいろあったそうです。
ちなみにブルターニュ公国はある時点でフランスの一部になってしまいますが、その時はブルトンらしさをキープしたまま自由にやらせてもらっていました。が、前のコラムにも登場した「フランス革命」を境に、ブルターニュのフランス化が急速に進んでしまいます。
さらに、最初のうちは比較的寛容だったフランス政府も「ひとつの国に複数の言語は不要じゃい!」という方針に変わってしまい、ついには「ブルトン語根絶運動」のようなものまではじまり、いろんな方法で、ブルターニュの人たちがブルトン語を使える機会を奪っていきます。そして、そんな状況が100年近くも続いてしまい、ついにはブルトン語は消滅危機言語にまでなってしまいました。(現在もブルターニュの全人口の5%未満がブルトン話者とされてます)
そんな状況を危惧した学者さんたちによって、ブルターニュの言語を保存する活動が行われ、さらに1960年代ごろから熱意あるミュージシャンによってブルターニュ音楽のリバイバル(再復興運動)が興りました。先に書いたように「歌と言語」はセットですから、音楽を通してブルトン語に触れ、言語を覚えてもらう。そして、その歌・音楽も限定的な空間でのみ演奏されていたら広がらないので、他地域のケルト音楽とも交流しながら新しいものも入れて、世界に発信する音楽にしていこう!こういった運動が、現在の美しいブルターニュ音楽の礎になっているんですね。
と、いったところで、思わず3回も続いてしまった「ブルターニュ音楽ってどんなものなんだい?」シリーズはここで終わり、次回から旅行記に戻ります!
