ライブとは何ぞや?:field 洲崎一彦


出典 Irish PUB field

ライター:field 洲崎一彦

前回、「音楽の場の価値」などという面倒くさい理屈をこねまわした私ですが、先日、生まれて初めて京都、大阪、滋賀以外の都道府県でライブをするという経験をしました。

ひょんなきっかけで、石川県は金沢の老舗音楽喫茶「もっきりや」というお店でライブをさせていただく機会に恵まれたのです。フィドルの金子くんとのユニットです。

このユニットは、これまで、fieldでしかライブをしたことが無かったわけですが、それがどんなに特殊なことであったかを思い知らされました。

field。自分が毎日そこに居る空間。そこに出入りする人々も、お客さまのほとんどが見知らぬ人々ではあるのですが、それは、あくまで私という人間の空間に自ら入って来られた人々なのですね。建前上は飲食店という公共とも言えなくはない場所なのですが、実際は私の個人的な空間を一定のルールで開放している場所だという見方もできますよね。

そんな私がそんな場所でライブをする。これがどんなに特殊なことなのか!なのです。ライブを目当てに来ていただいたお客さまはほとんどが普段から見知った人々。見知らぬお客さまも、あえて、私の空間に入ってきてくれた人々(fieldのライブは投げ銭制なのでライブ目当てではない一般のお客さまもおいでになります)。

この基本的構造は私自身が意識するしないに関わらず、厳然とそこにある構造だったのです。そこに居続ける限り、私にはこの構造の特殊さがまったく見えなかったし、見えるはずもなかった。

金沢「もっきりや」は55年の歴史を持つ音楽喫茶です。ライブの歴史も長く、渡辺貞夫などのジャズの大物から地元のミュージシャンまで幅広く出演されていて、そのジャンルも実に幅広い。まさに、音楽の場としての歴史を刻んで来られた存在なのです。そんな場所に「音楽の場の価値」などという面倒くさい理屈をこねまわしていた私自身が身を投じた。なんと申しましょうか。理屈じゃないのです。言語化が出来ない。まさに、言語化が出来ない何かの感覚に襲われた。。。

長方形のシンプルな店内ですが、目の前には少なくとも10名以上の見知らぬ人々がこちらを向いて座っておられる。fieldとは違ってチャージ制のライブですから、そのおひとりおひとりがそれなりのチャージ料金を払って目の前に座っておられるのですね。

「え?ワシらは今からここで何をすればええんや?」
反射的に頭に浮かんだのはこういう台詞。

「あ、そうか、音楽を聴いてもらうんや」と我に返ったつもりが、「これはちょっといつもと何か勝手が違うぞ」

それは、さすがに知らない場所でのライブで、緊張していたのでしょ? あがってたのでしょ? という事なのかもしれないのですが、いやちょっとそんな感じでもないのです。

当たり前な顔をして座っている客席の人々に対して、「なんで、皆さんそんなに当たり前な顔をしてるんや!?? 今ここで起こっていることは当たり前のことやないで! ワシらのことなんて知らんやろ? どんな音楽するのかも知らんやろ? なんで、当たり前のようにお金払ってそこに座ってるんや?」

頭の中が混乱したまま1曲目の演奏が始まる。。。あ、私は歌を歌うのだった。

私は昔から歌詞というものが覚えられない性質なので、目の前の譜面台に歌詞を置いているのですが、先刻のサウンドチェックの時と様相が変わっている。ステージ天井の照明が増えていて、それで譜面台にマイクの影が落ちていてよく見えない!反射的にマイクを手で下げると下げすぎてしまって腰をかがめなければ口の前にマイクが来ない!

とかなんとか、必死のパッチで1曲目を終えるわけです。

すると、隣の金子くんが涼しい声で、「こんにちわ!京都から来た○×○×です!」などと挨拶している。

それで、私はいくぶん正気を取り戻し、素早くマイクの位置を直して、ふーっと視線を遠くに転ずる。

「もっきりや」は通りに面している壁面が大きな窓で、ステージはその対面の奥の壁面にあります。つまり、私からは、正面にその窓が見えるわけです。昼間のライブでかつすごくお天気が良かったこともあって、その窓から外の光が降り注いでいる。それが逆光になって客席の様子はぼうっと沈んでいます。陽光に照らされた右側にはカウンターがあってその後ろの壁からこちら側には膨大な量のレコードが収まっている棚が続く。金子くんの向こう側はグランドピアノ。その周りには分解されたドラムセットやいろいろな音楽機材が床にころがっている。

なんという心地よい場所なんやろう。。。あ。そうか!と何かがひらめく。

皆さんは見知らぬワシらが演奏する聴いたこともない音楽を聴くためにお金を払っているわけではないのだ。この心地よい場所で生演奏があるという状況に対して価値を感じておられるのかもしれない。いや、そうに違いない!

さっきからぐるぐるしていた頭の中の霧がだんだん晴れていくような気がしました。

私たちが、ちょっと遅刻して到着し、慌ててステージセッティングしていた時、カウンターには常連さんと思われる爺さん2人がビールを飲んでいたのですが、その2人も後ろの席に移動してライブを観てくださっているのですね。

中休みの時に私はタバコを吸いに店の外に出たのですが、そこにはその爺さん2人がニコニコと談笑していて、気がついたら私もその話の中に入っていた。話題と言えば、音楽のおの字もなくて、ここいらはいい所でしょう?こんなお天気のいい日に昼間からビールが飲めるここは最高なんですよ、とかなんとか。。。

音楽のある場所として永年の歴史を刻んだこの場所が作り出す雰囲気、空気。皆それを味わい、楽しんでいる。その場所が醸し出す空気の最後の1ピースを埋めるのが、その日の生演奏(ライブ)ということなのではないのか。

つまり、私たちは、ただ、上等な演奏をして音楽を聴いていただかなくてはならないなどと構えるのではなくて、その最後の1ピースたり得る音楽を演奏する。これが、ライブというものなのではないのか。

fieldに籠もっているだけではこんなこと全く思いもしなかった。。。

私も数えれば確かに少なくとも55年は音楽をやって来たわけです。しかし、この時まで、ライブというもののこの視点には全く気がつかなかった。同じ55年の「もっきりや」が、「そろそろ理解せえよご同輩」と耳元でささやいているような、そんな気分がどんどん高揚していきつつこの日のライブを終えたのでした。

最後のアンコールが終わった瞬間、隣の金子くんが見たこともないような笑顔で向けてきて、

「楽しかったですね!」と声をかけてくる。

泣きそうになりました。

トシ食ってから、初めて気づくことがこんなに次々と出て来るなんて。まあ、もともと、ひとつのことを理解するのに人の倍の時間がかかる人間でしたので笑。(す)