本日は、ギターのお兄さんにアメリカの観光をしてもらおうと、わかりやすくシカゴのダウンタウン界隈をうろちょろする予定。
前にも書いたようにギターのお兄さんはアメリカはもちろん、海外旅行も初ということで、前日に色々と店長風味の知恵を授けております。
「よいかい、その日持っていったお金とか貴重品は全部盗られてなくなると思っとくぐらいがいいよ(ネガティブさの有効活用)。
だから持ち物は控えめに、あと盗られたあとにどうにかできる用意だけして身軽に行こうね」
そんなわけで、頻繁にブレーキを踏みまくる怪しげな電車に揺られて、シカゴのダウンタウンに到着です。
シカゴにはいくつかの名所がありますが、予習レスな店長はよくわかってないので、目についたカッコよさげな建物に入っては楽しみまして、そこに書いてある歴史とか文化のことを読んで、シカゴに詳しくなろうじゃない、というスタンスです。
その観光でわかったんですが、シカゴはアメリカでも有数の大都市なわけですが、その歴史にはとっても大きなターニングポイントがあったんですね。
それが、シカゴ大火。
シカゴ大火
今から約150年ほど前の秋お話です。
シカゴのダウンタウンよりもちょい南西(地図的に左下)あたりにあった、ちょっとした貧困層がたくさん暮らしていた地域は、実は当時たくさんのアイリッシュが固まって住んでいた地域だったわけです。
で、残念ながらそこから火が出ます。(牛がランプを倒したという伝説が有名ですが、こちらは捏造だと認定済みで、出火原因は今でも不明です)
まぁ、何にしろそこから火が出たんですが、秋の乾燥した気候、「風の街シカゴ」と呼ばれる所以の強烈な風、そして木造家屋の多さやら家屋の密集具合などが手伝いまして、結果的にはとんでもなく広範囲に燃え広がり、なんと17,000軒以上の建物が全焼し、10万人が家を失ったと言われています。
その後、アイリッシュの風当たりが強くなったのは言うまでもありませんね…
(シカゴと消防士といえば、やっぱり映画「バックドラフト」!好きなんですよねー、全く関係ないけど)
怖い話はこの辺にしておきまして、これを機にたくさんの著名な建築家に協力してもらった大規模でオサレな都市化計画、それに伴って主要産業を農業から工業へとシフトするなど、ぐいぐいとニューシカゴ化計画を推し進めて見事に復活、現在のしい街になっていった、というわけです。
ってことが、展望台とか面白そうなお店を見て回った後に立ち寄った「シカゴ・ウォーター・タワー」ってところの中に書いてました。
で、こちらの建物がその大火で焼け残った貴重な建造物だということを知り、ふたりで感動した昼のひとときでした。