【メルマガ:クラン・コラ】Issue No.255

アイリッシュ・ミュージック、ケルティック・ミュージックを中心としたヨーロッパのルーツ音楽についての情報、記事、読物、レビューをお届けする月2回発行のメールマガジン「クラン・コラ」。

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クラン・コラ Cran Coille:アイルランド音楽の森 Issue No.255

アイリッシュ・ミュージック・メールマガジン 読み物編
Editor : 竹澤友理
September 2017

こんばんは!残暑もほぼ無い9月ですね。いかがお過ごしでしょうか?今月のEditor’s Choiceは、栃木県など中心に活躍されている、ハープやギターなど多才な安生さんに寄稿していただきました!ご自身と影響を受けたプレイヤーなどについて、ケルト音楽の入り口を振り返っていただきました。先月はおやすみとなっていたおおしまさん、上岡さんの原稿の連載が再開しているのと、引き続きhataoさんから欧州紀行の濃ゆい旅路を語っていただいております。どうぞお楽しみください〜!(たけざわ)

足踏み?:field洲崎一彦

ある日のアイリッシュセッションでのこと。やっぱり足踏みは邪魔になるなあと思ったというお話です。

アイリッシュダンスチューンを演奏する際は足踏みがつきものですよね。YouTubeなどで例えばマーティンヘイズの演奏動画などを見ると彼の足踏み音はそのままパーカッションの役割すら果たしていてすごくカッコイイ。だから、とりあえず、足踏みはするもんなんだと固く信じて皆さん足踏みをしますよね。

10何年前はまだYouTubeも今ほど一般的でなはくて、私たちがアイルランド人の演奏している姿を実際に見る機会は本当に少なかったと思います。私の記憶では、当店のセッションに初めてお越しになったフィドラーのパットオコナー氏の強烈な足踏みに接してすごくびっくりしたのを覚えています。それまでも、何人かの来日アイルランド人ミュージシャンのコンサートなどは観ていましたが、また、何人かのアイルランド人ミュージシャンが当セッションにお越しになりましたが、まずはそのサウンドに心奪われて彼らの足踏みには気がつかなかったのだと思います。

パットさんが初めてお越しになったセッションはそれほど大人数でもなくすごくリラックスした雰囲気で行われていたのを記憶しています。それで、彼の足踏みが非常に目立ったと、まあそういうことだったのではないかと思います。

そこで、私は思わず彼に質問したのでした。それは、あなたは足踏みに合わせてフィドルを弾いてるのか?、フィドルに合わせて足踏みをしているのか?と。彼は、うーんと1分ほど考え込んで、両方だ!と答えてくれました。この「両方だ」という彼の台詞は、その後の私にとって非常に大きなキーワードとなって現在に至っています。これは非常に意味深い言葉です。

以前、アイリッシュダンスチューンの練習会みたいな事をやってた時におもしろい事を試したのです。前期のクランコラにも書いた記憶がありますが、若い皆さんにも是非広く試してほしい思いもあってまたしつこく書きます。 セッションで、知ってるチューンならだいたい皆と一緒に合わせて弾けるぐらいの奏者2人に並んでイスに座ってもらいます。それぞれの楽器を持って。そして、その2人でまずは足踏みをしてもらってぴったり合わせてもらう。もちろん隣の人の足を見ながらでもOKです。これは、しばらくすると割とぴたっと合って来ます。

2人の足踏みが合って来たところで、カウントを出して同じチューンをそれぞれの楽器で同時に演奏してもらいます。すると、一気に足踏みが乱れてしまうのです。足踏みだけならピタッと合ってたのが、それぞれが楽器を弾き出すと狂ってしまう。これはいったい何が起こったのでしょうか。

これは、2人が、自分が奏でる楽器のメロディに合わせて足を踏んでしまうということを表していますよね。でも、本人達の意識では足踏みに合わせて楽器を弾いているのだと思っているわけです。というか、そうしているつもりなのです。この事実はなかなかすごい事を示唆しています。

セッションなどの複数人で同じメロディを奏でる時に、それぞれが自分の音に合わせて足踏みをしているとしたらどうなるか。そうですね。まず足踏みの音がバラバラになって来てそれそのものが一種の騒音になりますね。そして、結局はリズムが合っていない合奏が繰り広げられるという結果になりますね。

音楽経験の豊富な人は訓練を積んでいますから拍を合わせることは容易に出来ますが、これだけではあの躍動感は生まれません。それは、ただ流れて行くだけのサウンドになります。これは、ある意味よく見られるセッションサウンドです。あの聞き慣れたセッションサウンドはこういう風に出来ています。

ここで、パットさんの言う「両方だ」の深さを思い出すのです。「足踏みに合わせて楽器を弾く。自分の演奏に合わせて足を踏む。」これですね。上記の2人はこれをしているつもりで「足踏みに合わせて楽器を弾く」、これが出来ていなかったのです。だから、どちらも出来るようにならなくてはいけないわけですね。

つまり、この両方が出来て初めて、セッションのような場で、A)自分の足踏み、B)自分の音、C)まわりの音、D)まわりの足踏み、とした時に。。。。

まず、どこから初めてもいいのですが、A)自分の足踏みから始めるとします。すると、これに合わせて自分が楽器を弾くBに躍動エネルギーが移動するというようなイメージがいいかなと思います。すると今度は自分が楽器を弾くその音に合わせて自分が足を踏むという逆方向にエネルギーが流れます。ソロ演奏の場合はこの行ったり来たり運動を瞬時に繰り返す中でその演奏者固有の躍動感が研ぎ澄まされて行くというようなイメージでとらえるのが判りやすいかなと思います。

合奏やセッションの場ではここに他者の存在が割り込んで来ます。例えばセッションではすぐに隣の人の弾く楽器の音Cが耳に飛びこんで来ますね。するとそこからまた自分の足踏みにエネルギーが流れます。これがまたBを経由してAに戻ります。同じように隣の人の足踏みDが始まるとこれもまったく無視できるはずもなく自分の足踏みにエネルギーがやって来ます。これもまた同じようにBを経由してAに戻ります。

つまり、A)自分の足踏みから始めるとした時に、自分の弾く楽器の音を含めたすべての環境音からエネルギーが自分の足踏みに流れ込んでしまうのですね。以上のような躍動のエネルギーの循環は上記の「足踏みに合わせて楽器を弾く。自分の演奏に合わせて足を踏む」の両方があって初めてぐるぐるめぐり続けるわけで、この片方しか出来ない場合はこの循環がどこかで止まってしまいます。

このように、躍動のエネルギーが瞬間的に循環し、これが、セッションの奏者のひとりひとり全員に起こると、そのサウンドはいったいどんな事になって行くのか!なのです。演奏者各人の躍動エネルギーが相互に影響し合ってその躍動はどんどん研ぎ澄まされて行くことになります。

これこそが、アイリッシュセッションが生み出すあの魅力的な躍動の秘密なのではないでしょうか。

つまり、この両方を心得て足踏していない人の足踏みは多くの場合邪魔になるのです。まわりの人の音と足踏みは、前述の循環の中で大きな影響を振りまきます。そういう人の隣に座ったりすると下手したら自分の楽器が弾けなくなるまでの強力な影響力があります。

ただ、前述の練習会の中で観察したことなのですが、その人の音楽経験の種類によって、そもそも、音楽に合わせてちゃんと足踏みができないという人もいますし、自分の弾く楽器に合わせて足踏みができないという人もいます。この、いわゆる拍感覚(躍動のエネルギー)とでも言う感覚は、細かく観察すると人によって千差万別です。だから、やはり、アイリッシュチューンのような躍動が重要な音楽を演奏するには足踏みの練習というものを独立してやった方がいいのかもしれませんね。

そうです。あくまで、「両方」を目指してですよ。

ちなみに、私は足踏みをしません。それは、この両方が出来ない事を自覚しているからです。躍動エネルギーを足を踏む運動に変換する時にどうしても誤差が生まれてしまうことに気づいてからはこの誤差がどうしても気持ち悪いのです。そうですね。練習しなければいけませんね。(す)

Colleen Raney——アメリカで伝統をうたう試み・その3:おおしま ゆたか

CDは売切れでデジタル・ファイルを購入したので、クレジットがまったくわからない。おそらくはファーストとほぼ同じ布陣だろうとサウンドから判断する。ただし、チェロがいる。ハンツ・アラキがヴォーカルと笛類で全面的にバックアップしているのも同じ。

  1. 01. Patrick Street 03:37 Ireland
  2. Queen of Argyll 03:16 Andy M. Stewart
  3. Dark Eyed Sailor 05:05 Ireland
  4. Broom of the Cowdenknowes 02:55 Scotland
  5. Lark in the Clear Air 03:09 Ireland
  6. I Live Not Where I Love 03:59 England
  7. Down By The Sea 03:55 Ashley Davis
  8. Otterburn 04:11 Scotland
  9. Gallant Murray 03:13 Andy M. Stewart
  10. I Know My Love 02:09 Ireland
  11. Lizzy Lindsay 03:52 Scotland

[02]、[07]、[09] を除き、トラディショナル。

[02]、[09]の作者で先年亡くなったアンディ・M・スチュワートはスコットランドの1970年代を代表するバンドの一つ Silly Wizard のメンバー、後に Manus Lunny とのデュオやソロとして活躍した名シンガーで、バンジョーもよくした。加えて伝統に則したソングライターとして、名曲を数多く残している。[02]はシリー・ウィザード の《KISS THE TEARS AWAY》 (1983) が初出。《LIVE WIZARDRY》(1988) にも収録。[09]は最後の録音となった《DONEGAL RAIN》(1997) 収録。

[07]はやはりアメリカでアイリッシュ系のうたをうたうアシュリィ・デイヴィス(女性)の作で、曲と同名のアルバム (2010) 所収。この人にはジョン・ドイルとの共作でクリスマス・ソングをうたった録音もある。

01. Patrick Street 03:37 Ireland
アンディ・アーヴァインが言い出しっぺの「スーパーグループ」パトリック・ストリートのデビュー・アルバム (1987) 冒頭を飾った名曲。あちらでは間奏で、このうたのユーモラスな側面を打出している。コリーンの演唱ではアラキのフルートがその役割だが、コリーンの歌唱が真面目過ぎる。彼女としてもユーモラスにうたおうとしているが、抑制の方が大きすぎた。

02. Queen of Argyll 03:16 Scotland
アンディ・M・スチュアートは名シンガーの多いスコットランドでも屈指のシンガーで、シリー・ウィザードのとりわけライヴ版は決定版と言いたいところだ。とはいえ、やはり惜しくも亡くなった名シンガー、Davy Steel が Ceolbeg の《NOT THE BUNNYHOP》(1990) で作曲者とは一転、スローテンポでじっくり聴かせるのもすばらしい。同じくスコットランドの John Wright はスローからミドルにアップし、イントネーションを強調して、これまたなかなかに聴かせる。この人はうたい手としては前二人よりは落ちるが、この版は入魂の名唱。John Wright Band《OTHER ROADS》(1997)。もう一組ハーパー&シンガーの Gillian Fleetwood と Fraya Thomsen のユニット The Duplets による《TREE OF STRINGS》(2008) の演唱もいい。ヴォーカルはやや弱いが、アレンジが秀逸で、本来男性の視点からのうたであるこのうたを女性がうたうことのリアリティがある。

アメリカでは Morning Star が《GRA》(1999) でとりあげているが、これはいかにもアメリカ流のあっけらかんとした歌唱。スコットランド勢の歌唱に共通する恋に落ちた者の切迫感はかけらも無い。

コリーンの版はミドル・テンポで、同じミドルでもアクセントはアメリカ的だが、歌唱はスコットランドのシンガーたちに近い。モーニング・スターがジェンダーを無視してうたっているのに対し、コリーンはあえて男性の立場に一度立ち、そこからうたっていると思える。アラキ以外ではマンドリンのバックがシャープだ。

03. Dark Eyed Sailor 05:05 Ireland
スティーライ・スパンのファースト (1970) でのゲィ・ウッズの歌唱以来すっかり有名になって、とりあげる人も多い。スティーライ自身、30年後、ゲィ・ウッズが復帰した際のライヴ THE JOURNEY (1999) でほぼ同じアレンジで再演している。テンポが少し上がっているのは時代の反映だろう。この版はコンサティーナをフィーチュアしている点でも珍しい。

THE VOICE OF PEOPLE 第2集 (1998) 収録の Fred Jordan の歌唱は、最も伝統的なものという以上にじっくりとていねいにうたって惹きこまれる。無伴奏またはそれに近い歌唱としてはイングランド出身の Louis Killen《A SEAMAN’S GARLAND: Sailors, Ships & Chanteys, Vol. 2》(1997) や TonyRose《BARE BONES》(1999)、アイルランドの Nick Caffrey《LONG LOOKED FOR COME AT LAST》(1998) 、ウェールズの Calennig の《A GOWER GARLAND》(2000) など、どれも味わい深い。カフリィのものはメロディが異なる。

ルイス・キレン、トニィ・ローズ、カレニグはいずれもコンサティーナのみを伴奏としているのも面白い。

よりモダンな解釈としては、ケイト・ラスビーが Kathryn Roberts との録音 (1995) でピアノとクラリネットをバックにうたっている。この頃はまだ無心にうたっているところがいい。もっとも若手ではイングランドの Ruth Notman が2007年のファースト《THREADS》で、やはりアコーディオンだけを伴奏にうたっているものが抜群の説得力を備える。

さてコリーンはややゆっくりのテンポで、ていねいにうたう。ブリテン、アイルランドのシンガーたちよりも肩の力を抜いた歌唱。このうたとギター、ベース、それにブラシのドラムスのバックとの組合せからは、どこかジャズのスタンダードの雰囲気がたちのぼる。そう思って聴くと、かすかにスイングする感じもある。アラキがロウホィッスルでソロをとる裏で、コリーンは軽くスキャットもする。アルバム中ベスト・トラック。

04. Broom of the Cowdenknowes 02:55 Scotland
スコットランド起源のバラッドでチャイルドの217番。タイトルの Broom はエニシダのことで、黄色い花がスコットランドのいたるところで見られる。カウデンノゥズはスコットランド南東のイングランドとの国境地帯の地名。バラッドの最初の出版は17世紀半ば。メロディは本来はダンス・チューンで、ジョン・プレイフォードの The English Dancing Master にも収録されているが、このメロディは聴けばスコットランド産とすぐわかる。スコットランド、イングランド双方で人気がある。手許にある最も古い録音は The Watersons の1964年のものだが、かれらはイングランドでも北の方の出身だから、このうたは身の周りにあったのだろう。

アイルランドではメアリ・ブラックの兄妹《THE BLACK FAMILY》(1987) や Meg Davis《THE CLADDAGH WALK》(1990)、Frankie Gavin《THE FULL SCORE》(2007)、Liadan (2006) などで聴ける。名曲なので、どれも愛らしいが、中ではリアダンが、折り目正しい歌唱と、アコーディオンのベースを利かせ、だんだん楽器が増えてゆくアレンジで抜きんでている。

アメリカ勢ではチェリッシュ・ザ・レディースが《THE GIRLS WON’T
LEAVE THE BOYS ALONE》(2001) でとりあげている。コーラスでは思いき
りハーモニーを利かせ、バンジョーも入れて、カントリー風味だ。

とはいえ、このうたはメロディも歌詞もとことんスコットランド産なので、やはりスコットランドのシンガーたちの味わいは格別だ。シリー・ウィザードの《CALEDONIA’S HARDY SONS》(1978) でのアンディ・M・スチュワートを中心にした演唱、オーストラリア在住の Ed Miller《AT HOME WITH THE EXILES》(1989)、Kenny Spears 《BORDERSONG》(1999) などがあるが、筆者にとっての決定版はスコットランドを代表するシンガーの一人 Archie Fisher 畢生の名盤《WILL YE GANG, LOVE》(1976) での滋味あふれるうただ。

異色のものでは、スコットランドのハーパー Savourna Stevenson がイングランドのシンガー June Tabor と、ベーシスト Danny Thompson と組んだ《SINGING THE STORM》(1996) がある。スティーヴンソンの大胆なハープ、格調高いテイバーの歌唱、ツボを押えたトンプソンのベースで織りなされる世界は、ローカル性を超えてゆく魅力がある。

コリーンはバゥロンとマンドリンをバックに、ややアップテンポで闊達にうたう。途中からギターとフルートも加わる。間奏はフルートが主メロ、マンドリンがカウンター。しっとりとうたわれることが多いので、こういうテンポには意表を突かれるが、レイニィの歌は決して浮わつかない。メロディはもともとダンス・チューンということからすれば、むしろこちらが本来なのかもしれない。[03]と並ぶベスト・トラック。

05. Lark in the Clear Air 03:09 Ireland
Samuel Ferguson (1810-86) の作とされる。ファーガソンは本業はダブリンの弁護士だったが、詩人、作家としても活動した。イェイツの先駆という評価もある。

伝統歌というよりは聖歌の扱いで、《IRELAND’S VOICES FOR PEACE》(1998) や Boys Air Choir (1999) のような録音もある。再編ペンタングルによる《THINK OF TOMORROW》(1991) での演唱は何といってもジャッキ・マクシーで、悪かろうはずもない。とはいえ、今のところベストといえるのは Cara Dillon のソロ・ファースト (2002) のもの。一聴幼ない声と成熟した歌唱の不思議なバランスが絶妙。これが Michelle Lally《IF THIS BE LOVE》(2006) になると、コケティッシュな声にバランスが傾いてしまう。03もうたっていたルス・ノトマンの2009年のセカンド《THE LIFE OF LILLY》での歌唱は、ピアノとチェロ、フィドルをバックにして感傷を排している。岡崎正泰のギターと丸谷晶子のヴォーカルのデュオ、おとくゆるの《やわらかな風に吹かれて》(2009) も素直にスピリチュアルな精神をうたう。

コリーンのバックはギターと低く沈潜するフルート、途中から弦楽四重奏が加わる。もともと突っ走る曲ではないが、03同様、これもゆっくりとていねいにうたう。発音の弱い音の保持が、途切れず、粘らず、うまく力を抜いている。適度にドライということでは一番で、カラ・ディロンと双璧の歌唱。

というところで、紙数オーヴァー。

★Editor’s Choice★ケルト音楽との出会い:安生正人さん(harp, guitar, etc)

はじめまして、アイリッシュハープやアイリッシュフルートを演奏しています安生正人です。わたしは栃木県宇都宮市に住んでいます

ケルトという言葉に出会ったのは妖精学、井村君枝先生の本からでした。そこから興味を持つようになり図書館でCDを借りアイルランドの音楽にハマっていきましたCDの数も多くは置いてないのですが、ルナサやアルタン、ブルターニュのコルノグ等 大好きでよく借りました

音楽を始めたのは10年前、当時はギターを弾いていてそんな時同じく栃木在住のギタリストの小川倫生さんに出会いました。オリジナルとトラッドのカバーを多く演奏する方で小川さんのCDからオキャロランの曲を知りハープに惹かれて、その頃に金属弦ハープ奏者の坂上真清さんにも栃木でお会いしアイリッシュハープを弾くようになりました。

自作曲をハープで作りそれを中心に弾いています。

ティンホイッスルやアイリッシュフルートはhataoさんを知ってから笛って素晴らしいと感動して自分でも吹くようになりました

栃木ではジャズやクラシックの方は多いのですがヨーロッパの伝統音楽や楽器を演奏する方にお会いすることがほとんど無く、もっと演奏する方が出てきたら嬉しいなあと思っています

そういった音楽のイベントや場所を栃木で少しずつ作っていけたらと色々動いていきたいです。

ざっくり学ぶケルトの国の歴史(5)英語ってフランス語?:上岡 淳平

北欧の野郎どもの侵攻を食い止めた英国で一番カッコイイ王様が亡くなったあとも、しばらく平和は続いた。でも歴史は繰り返す。

今度は、「無策王」の異名をとったバカ殿の失態によりデーン人 fromデンマーク)が、またもや攻めてきた。そしてついにはバカ殿を追っ払って、北欧人がイギリスの王様になってしまった。

さらにその息子は、イギリス王と全スカンディナヴィア帝国のリーダーになった。(ヴィンランド・サガって漫画はおそらくこの時代のお話)

その後、衰退したり、持ち直したりを繰り返していた頃、北部で国内待機組のヴァイキングが暴れてるとの報告を受け、現場に急いだ王様。ほぼ同時期に南から、いつぞやノルマンディーに住み着いたノルマン人(fromフランス)が侵攻してきたとの報せを受け、矢継ぎ早に北の用事を済ませたその足で、南へ駆け付けた。

でも疲れてたのかな、王様とその軍隊はあっけなく敗北してしまった。

もう、すっかりお家芸のようになってしまった(失礼)国民による一斉大パニック!

ノルマン人からしたら、「気合入れて、侵略するぞ!」って意気込みだったのに、みんなワーキャーいって逃げ回ってるだけなので、あっとゆー間に征服完了。(夏の甲子園、出場校2校…みたいな?)

かくして今度はノルマン人(fromフランス)の王様が王位に就いてしまったもんだから、一夜にしてブリトン人はフランス人になりましたとさ。(なんてこった)そして有名な「封建制度」を開始。

かつてのブリテン島の番長アングロ・サクソン人は、見る影もなく、土地も作物も、何なら娘たちまでもすべて失い、すっかり農奴となってしまった。

もちろん奪った土地は、直属の家臣に与えられ、それらをノルマン人に”また貸し”する、というノルマン人にしかお金の入らない無限ループ。法律もない時代なので、お金がものを言う状況だったんだ。

その後、それ以前にブリテン島に住んでいたブリトン人、ケルト人、アングロ・サクソン人は、すっかりフランス化されてしまい、なんならフランス語もそれなりにしゃべれるようになったりして、元々の英語の形からすごく変わった結果、現在の「イングリッシュ〜フレンチソースと季節のお野菜添え(仮)」に近づいたんだとか。(フランス人いわく英語はフランスのコトバ!)ノルマン人の王様が亡くなり、その息子2人がイングランドとノルマンディーを分け合った。

でも、すぐにイングランドを引き継いだ王様が亡くなり、その弟のヘンリー(1世)が王位を継いだ。この「ヘンリー」という名前、聞いたことある人は多いんじゃないかな?(シェイクスピアの戯曲でも有名)

ちなみに彼がお隣アイルランドに上陸(侵攻)した初のイングランド王(けっ!)であり、それが発端となり、アイルランドはイングランドの支配下に入れられることになった。

紀元1100年ごろつ気分はすっかりおフランスなケルトのお話。

連載:欧州伝統音楽の旅 第二章 アイルランドで感じたアイリッシュ・セッションの本質:ケルトの笛 hatao

パイントグラスに注がれる琥珀色の泡が底に沈む様子を、僕はカウンター越しに「おあずけ」 をされている犬のように待っていた。

「ここのパブのギネスはアイルランドでも一番うまいんだ」と友人でフルート奏者のキアラン・サマーズ(Ciaran Somers)がためらいもなくお国自慢を披露した。

アイルランドではどんな小さな町にもパブと墓場だけはあると自虐的に言うくらい、アイルランド人の生活に密着したパブ。この皮肉は、教会ではなく墓場であるところがアイルランド人らしい。確かに、なんの特色もないこの街で、アイルランドで一番美味しいギネスが飲めるというのはなかなかの宣伝文句になるかもしれないな、と思いながら、アイルランドで最初の一杯を飲んだ。

エールやスタウトはUKやアイルランドには何百種類もあるが、ギネスは世界中に輸出して大成功しているだけあって、実にうまい。この旅では、この後各国のビールやエールを飲んだが、ギネスはやはり特別だった。複雑な苦味や喉を通る泡の柔らかさが癖になる。

これまで度々アイルランドに通った自分でもカウンティ・カーロウ(Co.Carlow)は、聞いたこともないような場所だった。ブルターニュからフェリーに乗って入国したアイルランドの旅の出発地点がカーロウだ。それから数日して、僕たちは西を目指して車を走らせた。

カウンティー・クレア(Co.Clare)の小さな村ミルタウン・マルベイ(Miltown Malbey)では毎年7月にアイルランド最大のサマースクールウィリー・クランシー・サマースクール(WIllie Clancy Summer School)が開催されており、国内はもちろん世界中から人を集めている。 キアランはここで、何年か前からフルートの講師を担当しており、僕を誘ってくれたのだ。

サマースクールの期間中はメインストリートの何軒ものパブでセッションが開催されている。レッスンを申し込まなかった僕はセッションに参加することだけが楽しみだったのだけれど、その期待はあっさり失望に変わってしまった。

どこのパブもとくかく人が隙間ないほどに詰め込まれていて、通りにも人を吐き出していたのだ。フルートを構えるスペースすらなく、立って聴いているのが精一杯で、結局参加できたセッションはいくつかしかなかった。

田舎のパブは店と居住空間が一体化した店舗兼住宅の形が多いのだが、この期間中はセッションに人が集まりすぎて、メインのパブのほか、裏庭や納屋や母屋のダイニングなど至る場所で同時発生している。そういう「秘密の」セッションは人数も観客も少なめでよい音楽が聴けることがある。

昼下がりの明るい時間にダイニングで開かれたセッションでのことだった。そこには、講師でもあるベテランのフルート奏者やフィドル奏者、そして若いコンサーティーナ奏者など何人かの若い参加者がいた。ダンス曲を演奏しては、たっぷり話をして、また曲を演奏して……、を繰り返しながらゆっくりと時間が過ぎていった。

見慣れたセッションと違ったのは、そこに色々な要素があったことだ。曲の合間に観客の誰かが歌いだしたり、参加者が合唱したり、子供が習いたての曲を笛で吹いたり、音楽に合わせて熟練のダンサーが踊りだしたり、 そしてジョークやストーリーを語ったり、スペイン語圏からの観客がスペイン語の歌を披露したりした。

セッションに決まった形はないが、このセッションはその流れが一つの物語性やよく考えられたエンターテインメントであるかのように完璧で居心地が良かった。そこで感じたのは、良いセッションとは参加者の誰もが敬意を持って存在を受け入れられ、そして参加者の楽器や歌やダンスや語りの才能や知識を参加者全員と共有し楽しむ場所なのだということだった。

ラジオや自動車がなかった時代、音楽やダンスはとても地域的なもので、コミュニティの住人が集まって楽しむものだったという。セッションは20世紀以降の近代的な現象だが、それでもなお、コミュニティの運営を円滑にするための、コミュニケーションの装置であることに変わりはない。セッションにおいて「曲を演奏すること」はその一要素でしかないのだ。

それに対して、私たち日本人を含む外国人の伝統音楽やセッションに対する態度や考え方を見ると気づくことがある。アイルランド音楽の伝統が存在しない私たち外国人の多くは商業的な録音物によってトップ・プレイヤーから間接的に音楽を学び、演奏技術や曲の習得に対してアイルランド人以上に真剣な態度で取り組む。

伝統音楽ではどのようにその曲が自分に「手渡された」か、そして曲の背景への知識が重要視されるが、外国人は人から学ぶ機会が少ないので、すべての曲がメロディとしてのみ記憶される。演奏することや楽器の技術を上達させることが目的となるため、会話のコミュニケーションは少なくなりがちだ。

しかしそれが間違っているというつもりはない。アイルランド人が時々言うsocializeという単語がある。社交する、という意味だが、アイルランド人は人付き合いを重視する。また、気さくな会話における話題や流れやオチといったものを日本の話芸のように楽しんでいるところがあると感じる。アイルランド人がセッションで語るジョークやストーリーテリングは、英語が理解できないと理解ができないことはもちろん、その文化的な背景の知識がなくては楽しむことはできない。そのため、言語的な壁がないはずのアメリカ人にさえも理解ができないことが多いという。

日本人はアイルランド人のように公衆の前で人のプライバシーに立ち入った話をすることを無礼だと受け取るし、親しい人であっても距離感を保つ傾向がある。また、歌やダンスなどは一定のレベルを満たさないと人前で披露することは恥ずべきことだと考えてはいないだろうか。私たちはアイルランド人とはコミュニケーション・スタイルが根本的に異なるので、アイルランドのセッションをそのまま日本で再現すると不自然さやぎこちなさが生まれるだろう。

本当の意味でアイリッシュ・ミュージシャンになるには、アイルランド人のように英語を理解し、飲み、語り、歌い、踊り、生活することが、演奏と同じくらい大事な要素なのだろう。それは我々外国人にはとても難しいことだ。しかしそのように生真面目に考えるのもまた、日本人らしいのかもしれない。

アイルランド音楽はいまや世界中に愛好者を生んでいるが、音楽だけが文化の土壌から切り離されて親しまれており、それが可能だったからこそ、こうして楽しまれているのだろうと感じた。

編集後記:竹澤 友理

今月もなかなかのボリュームとなりました、クラン・コラ読み物編9月号お楽しみいただけたでしょうか。かくいうわたくし編集ですが、皆様から送っていただいた原稿をワードで作業しつつMaroon5聴いてます。おもいっきりEDMです。ズン、ズン、というノリが非常に心地よく、キーボード上を走る(走ってもないですが)指が軽く感じるのは、きっと気のせいですね。さいきん同世代でジャンルを飛び越えてアイリッシュパンクをするみたいなお話が出ているのですが、まったく畑の違う音楽と、自分のやってきた(といってもたった数年ですが)アイリッシュの表現がつながる瞬間って、なかなか興味深いものです。さて、来月でクラン・コラが再発行して1年になります。部数も少しずつ増えていって、嬉しい限りです。編集作業をもっとじぶんで効率化できたらと思いつつ、だらだらとここまで1年を目前にして、あっという間だなぁという感想です。。。
それでは、来月もおたのしみに!(たけざわ)

クラン・コラ:アイルランド音楽の森(月2回刊)

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クラン・コラ:アイルランド音楽の森(月2回刊)
発行元:ケルトの笛屋さん
Editor : 竹澤友理

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