【メルマガ:クラン・コラ】Issue No.273

アイリッシュ・ミュージック、ケルティック・ミュージックを中心としたヨーロッパのルーツ音楽についての情報、記事、読物、レビューをお届けする月2回発行のメールマガジン「クラン・コラ」。

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クラン・コラ Cran Coille:アイルランド音楽の森 Issue No.273

アイリッシュ・ミュージック・メールマガジン 読み物編
Editor : 竹澤友理
July 2018

お薦めCD : ボタン・アコーディオン編 その1:吉田 文夫

コンサーティーナ編に続く、ダイアトニックのボタン・アコーディオン編ですが、長くなりそうなので2回に分けさせて頂きます。

■Jackie Daly(ジャッキー・デイリー)

1945年生まれ。アイルランドのコーク県北部、伝統音楽が特徴的な育まれ方をしてきた歴史があるSliabh Luachra(シュリーヴ・ルクラ)地方で育ち、父親を始め数々の近隣の演奏家から伝統音楽を学んだ。プロ活動の開始は成人した後1970年代からで、盟友の故S!)amus CreaghやKevin Burk 等、多くのフィドル奏者との共演や、De Dannan、Patrick Streetを始め幾つかのバンドにも参加した。

一貫して地域特有の音楽を大切にした演奏スタイルで、90年代には脳腫瘍を患ったが手術の後にカムバックを果たし、誰からも愛される人柄も相まって、リアルに伝統音楽を継承する者の代表的存在として活動中。

複数のリードが鳴るアコーディオン類は、長らくミュゼット・チューニング等と呼ばれる、音が波打つようなやや耳障りなサウンドが主流で、アイルランド音楽の場でもそうだったが、後述のマーティン・オ・コーナーと共に、彼もドライ・チューニングと呼ばれる、クリアーで耳にさわやかな音色の楽器を率先して使用した事で、伝統音楽の世界での蛇腹楽器の地位を向上させた。また、共にB/C機種で超一級のテクニックを持ちながら、press and drawと言うより古いスタイルの奏法を好んだ事など、この二人はその後の演奏者に大きな影響を与えた。

<ソロアルバム>
・Jackie Daly / Music From Sliabh Luachra (1977)
・Jackie Daly / Many’s a Wild Night (1995)
(With Maire O’Keeffe, Paul de Grae & Garry O’Briain.)
<バンド、デュオ、トリオ等>
・Jackie Daly & S!)amus Creagh (1977)
・Kevin Burke & Jackie Daly / Eavesdropper (1981)
・Matt Cranitch & Jackie Daly / The Living Stream (2010)
・Matt Cranitch & Jackie Daly / Rolling On (2014)
★De Dannan 関係;・Mist-Covered Mountain (1980)
・The Star-Spangled Molly (1981)
・Song for Ireland (1983) ・Anthem (1985)
・Arcady /After the Ball (1991)
★Patrick Street 関係;・Patrick Street (1986)
・No. 2 Patrick Street (1988)
・3 Irish Times 3 (album) (1990)
・All in Good Time (1993) ・Cornerboys (1996)
・Made in Cork (1997) ・Live from Patrick Street (1999)
・Street Life (2002) ・On the Fly (2007) … その他

■M!)irt!)n O’Connor(マーティン・オ・コーナー)

そのテクニックがありとあらゆる表現で評され、ダイアトニック式のボタン・アコーディオン演奏家として規格外の存在。1955年アイルランド西部Galway生まれ、9歳で伝統音楽の演奏を始めるとその並々ならぬ技量で頭角を現し、数々のバンド、ミュージシャンとの共演を続けた。同じボックス奏者の、Joe Burke, Finbarr Dwyer , Tony Mac Mahon, Joe Cooley等々、そしてパイパーのPatsy Touhyからも大きな影響を受けたとの事で、1979年に発表したソロ・アルバム1枚目は、フル伝統音楽を網羅した記念碑的な1枚として、国内はもとより英国でも大きな反響を呼んだ。その後は、彼の飽く事のない演奏技巧への探求心や幅広い音楽性で、トラディショナルの枠に留まらない作品を次々とリリースし、「リバーダンス」の初代アコーディオン奏者等々、更にワールドワイドな活躍を続けている。

<ソロアルバム>
・Connachtman’s Rambles (1978) ・Perpetual Motion(1990)
・Chatterbox(1993)
・The Road West,(2001) ・Rain of Light (2003)

<バンド、デュオ、トリオ等>
・The Boys of the Lough / Regrouped (1980)
★De Dannan関係;・Song For Ireland (1983)
・The Irish RM (1984) ・Anthem (1985) ・Ballroom (1987)
★Skylark関係;・All of It ・Raining Bicycles(1996)
・Bill Whelan / The Seville Suite
・Andy Irvine and Davy Spillane / East Wind (1992)
・V.A / Riverdance: Music from the Show (1995)
・M!)irt!)n O’Connor, Cathal Hayden, Seamie O’Dowd / Crossroads (2008) ..その他

■Tony MacMahon(トニー・マクマホン)

1939年クレア県エニス生まれ。少年時代に伝説的ボックス奏者Joe Cooleyから直接影響を受けて、そのスタイルの継承者を目指した。彼もまた前述のpress and draw奏法を好み、非常にパワフルな演奏スタイルで知られている。また伝統音楽への愛と深い理解に裏打ちされたスロー・エア演奏の素晴らしさは特筆すべき。1970年代にThe Bothy Bandの前身バンドに所属したが、自身はTV局の仕事につきアナウンサーとして、その後20年間ほど数々の伝統音楽関係のプログラムに携わった。バンジョー奏者Barney McKennaとのコンビで続いた Green Linnetシリーズは、編集ビデオが当時日本でも手に入りわくわくして観た覚えがある。日頃から伝統音楽のショー・ビジネス化に警鐘を唱え続けたご意見番としても有名だが、近年はパーキンソン病を患い演奏活動等を休止している。

<ソロアルバム>
・Traditional Irish Accordion.(1972) CD re-release 2005.
・MacMahon from Clare(2001)
・Farewell to Music (2016)

<バンド、デュオ、トリオ等>
・Noel Hill agus Tony MacMahon / I gCnoc na Grai (In Knocknagree) (1985)
・Aisling!) Ceoil (Music Of Dreams);with Noel Hill,
concertina, and Iarla !) Lion!)ird, voice(1993)
・Tony MacMahon & Steve Cooney / Scaoil Amach an Pocaide
– Live in Spiddal (2014)

■Sharon Shannon(シャロン・シャノン)

1968年クレアに生まれ、伝統音楽が盛んな地で幼少の頃から様々な楽器に親しみ、14歳の頃にはローカル・バンドの米国ツアーに同行したりしてプロ的な活動を始めていたが、後にボタン・アコーディオンとフィドルを本格的に学び、類まれな才能を発揮して自らの進むべき道を見出した。B/C機種の特性を活かしたなめらかな演奏スタイルと、究極のトリプレットとも言える彼女独特の装飾音は、師事していたピアノ・アコーディオン奏者Karen Tweedの影響も大きかったと思える。そんな凄腕の彼女が可愛らしいルックスである事や、人気ロックバンドThe Waterboysの一員としても活動した事などから、伝統音楽のジャンルからは初と言える所謂「スター」的な存在になり、彼女のソロアルバムもこのジャンルとしては史上最高の売り上げを記録した。トラディショナルに礎を持ちながらも、拘りなくレゲエやポップス等も取り入れ、幅広い音楽性で彩られた彼女の演奏活動は新たなファン層を獲得した。個人的には初期のソロ3枚がお薦め。

<ソロアルバム>
・Sharon Shannon (1991)
・Out the Gap (1994)
・Each Little Thing (1997)
・Spellbound: The Best Of Sharon Shannon (1999)
・The Sharon Shannon Collection 1990?2005 (2006)
・Sacred Earth (2017)

<バンド、デュオ、トリオ等>
・The Diamond Mountain Sessions (2000)
・Live in Galway (2002)
・Libertango (2003)
・Tunes (2005)
・Live at Dolans CD & DVD (2007)
・Renegade (2007)
・Saints & Scoundrels (2009)
・upside down (2009)
・Flying Circus (2012) ? with the RT!) Concert Orchestra
・In Galway (2015) with Alan Connor …その他

■Josephine Marsh(ジョセフィン・マーシュ)

女性蛇腹奏者の第一人者。軽やかなSharon Shannonとは対照的に、引っかかりがあり深く心に響いて来る演奏スタイルで、ミュージシャンの間での人気も高い。

・Josephine Marsh / Same(1996)
・Josephine Marsh & Cyril O Donoghue / TO MEET A FRIEND (1990)
・V.A / THE HUMOURS OF CLARE(1991)
・V.A / THE SANCTUARY SESSIUNS(1994)
・V.A / LIVE IN PEPPERS (1998) …その他

■MARY STAUNTON(メアリー・スタウトン)

こちらも代表的女性奏者の一人。ディープかつクリエイティブな感覚での演奏
スタイルが特徴。歌も素晴らしい。

・MARY STAUNTON / BRIGHT EARLY MORNING(1998)
・Circle of Friends(2010)、その他

Colleen Raney——アメリカで伝統をうたう試み・その11:大島 豊

コリーン・レイニィのうたを聴くシリーズ、コリーンの3作め《CUAN》の続き。

10.Annachie Gordon; 06:12 (Scotland)

原曲は〈Lord Saltoun and Auchanachie〉としてチャイルドの239番、Roud では 102番。スコットランド産とされるが、我々に知られたのはまずニック・ジョーンズが1977年の3作め《Noah’s Ark Trap》に収めた歌唱によってだ。このヴァージョンの衝撃は大きかったのだろう、その後の版はどれも歌詞がほとんど同じ。

しかしおそらくより明瞭にこの歌を印象づけたのは、メアリ・ブラックの歌唱だった。デクラン・シノットの絶妙のギターに支えられた彼女の唄は、ほとんど決定版と言えるもので、メアリをシンガーとして世に送りだしたが、今でも新鮮さを失わない。そのメアリは兄が録音して送ってきたニック・ジョーンズの演唱を聴いて学んだのだが、ジョーンズのライヴ録音がリリースされるのはずっと後になる。

恋人との仲を父親に引裂かれ、金持ちとの結婚を強要された娘が哀しみのあまり婚礼の晩に死んでしまい、ちょうどその日帰ってきた恋人も娘の亡骸に接吻して死ぬ、という内容自体は、これもまた原型の物語の一つと言える。この歌が際立つのはまずその起伏に富んだメロディだ。美しいというよりは、劇をより劇的に伝える力を備える。その点では最も効果的なメロディの一つだ。

メアリ・ブラックは1983年のファースト・ソロ・アルバムに収める。初めデクラン・シノットのギター、一番の途中からマンドリンが隙間の多い、控え目な伴奏をつける。後半、フィドルがドローン風に入る。メアリはメロディの起伏に素直に、やや劇的に唄う。この頃のメアリは後期の囁くような唄い方はせず、その芯の通った透明感に満ちた声をストレートに出す。この声とわずかにドラマチックに強調する歌唱が相俟って、悲劇性がせつせつと伝わってくる。これはやはり名唱だ。この歌を、クリスティ・ムーアがホストを勤めるテレビ番組で唄って、メアリは一躍アイルランドのスターとなる。

カナダのロリーナ・マッケニットが1989年の《Parallel Dreams》で唄っている。シンセサイザーのヴェールと自身のハープの作る空間でテンポを落とし、ほとんどフリー・リズムで丁寧に唄う。広い声域を活かし、メロディの低域部と高域部の対照を際立たせる歌唱。イントロとヒロインが死んだ後、そしてコーダにはさむオリジナルのスキャットがいい。シンセサイザーが時代を感じさせるが、本人の歌唱で、あまり気にならない。正直、この頃のマッケニットはあまり好きではないが、この歌唱はすばらしい。

イングランドのディーヴァ、ジューン・テイバーの1991年の録音。《Always》収録。マッケニットとは真向対極にある実験的手法。シンセサイザーの無機質で単純なビートとフィドルのすっ飛んだ演奏を後景に、ややアップテンポで、つっぱねるように唄う。この人らしく、徹底的に感傷を排する。メロディも少し変えている。

スコットランドのシンガー、ハーパーの Corrina Hewat が2001年の《Live From Celtic Connection》で唄うのは、ギター、マンドリンをバックにする。タイトル通り、これは前年の Celtic Connection で、スコットランドの当時最高の女性のうたい手が集まったライヴでの歌唱。ヘワットの声域はテイバーと同じく、アルトないしそれよりも低いが、こちらはメアリ・ブラックの歌唱をほぼ忠実に追い、本来のメロディで坦々と唄う。声が低い分、ヘワットの歌唱の方が切迫感を湛える。

イングランドの若手、とはもう言えないかもしれないが The Unthanks が《Here’s The Tender Coming》(2009) でとりあげる。彼女たちはイングランド伝統歌の換骨奪胎、少し前の流行語で言えば脱構築が基本姿勢で、これも基本のメロディは辿れるものの、かなり変え、ポストモダンな組立ての、伴奏というよりも音楽環境の中で唄う。この背景のサウンドで切迫感を敷き、例によって一見たどたどしく唄う。歌唱から感傷を排しながら、時に歌詞を延ばして強調するのはテイバーに倣うが、今世紀にふさわしい歌唱はこちらの方とも言える。

メアリ・ブラック以来、ケルト系がシンプルに、素直に唄うのに対して、イングランド勢のうたい手が、凝った組立てで、搦め手から唄うのは面白い。

この歌の現代における源泉となったニック・ジョーンズのライヴ録音が《Unearthed》(2001) で聴ける。録音時期は不明だが、ギター・スタイルからして1980年前後だろう。メロディも、ライヴを重ねたらしい崩し方をしている。一見のんしゃらんと、無造作に、ゆったりと唄うが、どの音を延ばすか、入念に練り込まれている。不幸な事故直前のジョーンズが、シンガーとして、前人未踏の域に達していたことがよくわかる。未だに、これを凌ぐことは愚か、肩を並べる人もほとんどいない。

コリーンの歌はメアリの歌唱にかなり忠実。声に力を入れるところの抜くところの差をより大きくしているが、感傷はやはり徹底的に排そうとしている。メアリでは歌そのもの持つ感情に素直に従おうとするが、コリーンはそれまでもコントロールしようとしている。それに応えて、マカーシィのギターが感傷を排して、唄を推進する。集中最高のギターとも言える。

下手をするとお涙頂戴になるこういう歌を徹底的にドライに唄うのがアイルランド、ブリテンの伝統歌謡のスタイルである。歌が備える感情をうたい手自身は表現しないことで、聴き手にその感情を生のまま渡そうとする。コリーンはその伝統の手法が現代でも有効であることを示す。イングランド勢は実験的な背景を配して歌唱の非感傷性を際立たせようとするが、コリーンはギター1本でもそれが可能であることを示す。このトラックはアルバム中でもベストの一つだし、コリーンの全録音のなかでもベストの一つである。

さて、あと1曲。ようやく先が見えた。

ノルとダメになる?:field 洲崎一彦

前回の「何故ゆっくり弾けないか?」のお話は最後の方で何かこう煙に巻いたようなお話になってしまってよく判らなかったということですね。はい。申し訳ありません。

今回は前回の話題とも少し関係あるかもしれないのですが、最近まわりでちょっと話題になった「ノるとダメになる」というお話しをしたいと思います。

これは、そこそこに盛り上がったセッションや中堅所の皆さんのライブなどでしばしば感じたことがある方もいるのではないかと思います。演奏者がノってしまってあまりにノり過ぎて演奏が崩れてしまうというアレです。後で感想を求められると、いやあノリノリで楽しかったよ。。。とコメントしたものの何やらもやもやが残るアレの事です。

これも、外国人演奏者の時にはあまり感じたことがありません。外国人演奏者はノリにノってもノリ過ぎて音楽が崩れるという事はあまり無いように思います。だいたい決まって日本人演奏者の演奏にこういう事態が起こりますね。

昔、村上ポンタさんが、演奏者が本当にノってしまってはいけない。観客にはノっているように見せて自分は至って冷静でなければ良い演奏は出来ない、とおっしゃってたのを記憶していますが、かつては日本一のスタジオドラマーと言われた百戦錬磨のポンタ氏にして、ノってしまっては良い演奏ができないと言わしめているのですね。

では、このノるという事、特に演奏している立場でのノるという事はいったいどういう事が演奏者に起こっているのでしょうか?

楽器を演奏するというのはどのような行為なのかを考えてみましょう。楽器を演奏しない人もなんとなく想像できるような表現で考えてみます。

まずは、一定の規則性で並んでいる音の高さと長さを正確に楽器を使って時間を追って発音して行くという事ですね。この一定の規則性は多くの場合は楽譜に記してあったり、アイリッシュなどのトラディショナル音楽の場合は耳で覚えていたりするものがまずは指針となります。これを、まずは間違わずに発音する練習をするわけです。

これをただ間違わずに発音できれば、まあそれは最低限音楽として聞こえるものにはなるのですが、ここからは演奏者ひとりひとりのクセというか何というか。。。例え同じ楽譜を使って演奏しても人が違うとまったく同じ音楽にはならないところが、まあ音楽の面白い所でもあり怖いところでもあります。

そこに、今度はノるという事態が発生します。これが割とやっかいなのですね。

音楽をリスナーとして楽しむ場合、このノるというのはやはり外せない楽しみの要素ですよね。メロディや和音の美しさと共にこの聴いてるいると身体が弾んで来ましたみたいなこんな気分になるのはやはりとても嬉しい。これっていわゆる音楽を聴いてノっているという状態ですよね。多くの音楽ファンが同様の体験をしてノる楽しさを共有しているのは事実ですね。

では、このノる楽しさと同じものが演奏する立場にまわっても同じように存在するのかというややこしい話をしなければいけないのです。

多くの人はやはり自分が音楽を聴いてノっている嬉しさを忘れることができないのではないかと思うのです。だから、あくまで聴いてノる。自分で音を出しているのに聴いてノる。これですね。

以前このコーナーにも書きましたが、楽器を弾きながら足踏みをするのってアイリッシュでは何か決まったスタイルの様になっていますよね。でもこれ多くの人が足踏みに合わせて楽器を弾いているのではなくて自分が出している音に合わせて足を踏んでいるのです。これは以前色々な実験もしましたので恐らく間違い無い(外国人演奏者には実験していないので不明です)。足を踏むという行為がノるという状態を一種表現しているのだとすれば、これは明らかに自分の音を聴いてノっている。

これは、でも、自分の音にノれるのであればその時出ている音はノリのある音なのではないか、と信じている人もおられますが、実はこれでは話がおかしくなるのです。楽器を弾く立場の人は音を出す以前にノっていなければノリのある音を出すことは出来ません。出してしまった音にノるというのは順序が逆なのです。ゆえに、どんどん音の流れ方が崩れて行くのは当たり前なのです。

つまり、本当にリスナーをノせるノリのある演奏をしようと思うなら、自分の音でノってしまわない事です。まずはすぐにでも足踏みのクセを止めましょう。そして、音を出す前にノルというのはどういうことなのかを自分なりに工夫してみましょう。

音を出す前にノルというのは音楽が存在する前にノルということです。音が出る前に頭の中に音楽が鳴っている状態でなければならないということですね。

ただ厳密にはこれでも頭の中の音を聴いてノっているということになりますから本当はもっと掘り下げる必要があります。極端に言うと楽器を持っていない時の時間の流れ方の意識に大きく関わって来ると思います。普段の身のこなしや歩き方などの時間と運動のイメージなんかに非常に深く絡むお話しだと思います。

楽器の操作を修徳することはそれはそれで重要なのですが、こちらの問題が日本の音楽界では非常に軽視されているように思います。

と、言ってもこんな事に憂いてばかりいるから、スザキはぜんぜん楽器が上手くならないのだという指摘は全くもって当を得ているのですが。(す)

ざっくり学ぶケルトの国の歴史(13)ケルトの移民とケルトの縦笛:上岡 淳平

お隣英国は蒸気機関車の発明を皮切りに、「産業革命」の時代に入っていった。とはいっても、産業が急速に発展した割に利用者があまりピンと来てないもんだから、作るばっかりであんまり売れなかった。つまり作り手が余り過ぎて、貧しい人たちは「働けど働けど我が暮らし楽にならざり」の啄木ループに陥ったんだ。(実際の石川啄木は遊び人だったらしいけどね)ストライキなんてのが流行り出し、ついには暴動も起き始めた。

同じころ前回書いたような大飢饉に襲われていたアイルランドは、貧しさと飢えに耐えかねた人たちの多くがアメリカへと渡って行った。(中には英国やオーストラリアに行く人も)

その頃、アメリカにはあらゆる国の人たちが「一旗揚げてやろう」と移住していて、競争率は激しかった。それに他の裕福な、それに様々な技術を持った連中に比べると、ジャガイモも育たないド田舎から、他の人たちよりも遅めにやって来たアイリッシュは、決して優位に立てる状況ではなかったんだ。それでも彼らには二つの大きな武器があった。

それは?英語がしゃべれることと、?オコンネル直伝の政治的策略術だ。

この武器によって、ニューヨークやボストン、シカゴなど東海岸(大西洋側、地図でいうと右側)周辺の大都会に一大勢力を作り上げ、行政を裏で操作し(おいおい)新しく移民として入ってくる同胞に仕事を与えていた。いささか乱暴なアイリッシュが大都会を牛耳っていたってわけだ。(同じく移民後発組だったイタリアンなマフィアの人たちとの争いは有名なお話)

もちろんそんな人たちだけじゃなく、「田舎者は危険な仕事でもしときな」って無茶振りされて、まじめに警官や消防士になった人たちもたくさんいたんだよ。だから今でも警官や消防士さんが亡くなった時にはバグパイプで葬儀を行うような文化が残ってたりするんだ。

そんな折、英国ではヴィクトリア姉さんが王位に就いた。彼女はなんと64年間も王の座を守り続けたんだ。(歴代最長!)

国民からの人気も高く、英国万国博覧会をド派手に開催したのも彼女の時代だし、大英帝国が「帝国」と呼ばれるにふさわしい躍進を見せたのもヴィッキーの時代。

在位64年のうち、戦争をしてない期間が2年ぽっきりという猛烈な戦闘民族サイヤ人っぷり。

そんなわけでヴィッキーが即位した時と、彼女が亡くなった時を比べると、英国領土は10倍にもふくれあがっていたってわけ!(世界全大陸と全人口の4分の1!)

「英国による健全な国政と、国民の生活水準を引き上げるための植民地化」という、押し売り感たっぷりな精神で領土を広げていたわけなんだけど、ヴィッキー姉さんが頂点にいることで、粗野な王様よりも幾分イメージは良く、領土拡大に大きく貢献したそうな。

ちなみに、我らがアイリッシュ音楽ファンにおなじみティン・ホイッスルはこの時代に誕生したんだ。

中でも元祖ホイッスルメーカー Clarke社のVictorian Siging Gamesは”ヴィクトリアン”という名前からもわかるように、ヴィッキー姉さんの時代に吹かれていた頃のホイッスルの復刻版なんだ。英国で作り始めて普及してから、アイルランドに渡って爆発的に人気を博したってわけ。

1850年ごろの、ケルトのたて笛が誕生した頃のお話

アジアのケルト音楽 台湾のアイリッシュ・ミュージック:hatao

まさに台湾からこの原稿を書いています。私は年に3,4回は台湾に行くのですが、今回は台湾で第二回目となるアイリッシュ・ミュージック・キャンプを開催するため。7/21〜7/23まで3日間、台北の教室で朝から夕方まで楽器の練習や講義をします。去年と同じく、フィドルにさいとうともこさん、ギターにアニー君こと中村大史君をお招きしています。キャンプというよりは街中で開催するので、まさにアイリッシュ予備校です。コンサートやセッション、学生の発表会もあります。日本でもこういうイベントができればよいなと思っています。

私が台湾に関わるようになったのは9年前の2009年。ひとりの台湾人が私を訪ねて日本にやってきました。林世唐さんという、台北でオカリナ講師をしている音楽家で、アイリッシュに興味を持ち、台湾では演奏している人がいないため、はるばるレッスンを受けにやってきたのです。私はそれまで台湾に行ったことがなく、中国の一部くらいの感じで認識していました(日本人の一般の認識かと思います)。

彼と知り合ったことがきっかけとなり、翌年にシタールの田中峰彦さん、ジャズ・ピアノの梅田希実さんと一緒に台湾を訪れコンサート・ツアーをしました。

その翌年は東日本大震災の際に台湾が多大な義捐金を送ったことへのお礼参りをしました。この当時私は中国語は一切話せなかったのですが、台湾の文化、自然、歴史、人に感銘を受けて、深く関わってゆくことになりました。

その後毎年台湾を訪れ、規模の大小はあってもレッスンやコンサートを開催し、中国語も学び、今では中国語で直接レッスンやコンサートをしています。

さて、そんな台湾のアイリッシュ・ミュージック事情ですが、まだまだ盛んとはいえない状況です。演奏者が少なく、レッスンに来ても長続きしない生徒さんが多いのですが、去年のアイリッシュ・ミュージック・キャンプをきっかけに、ようやく参加者が集まって毎月パブでセッションを開くようになりました。

今年の春には浦和ケーリーバンドのメンバーの方々やダンスの宮澤紅子さんが来台してこのセッションに参加したそうです。

他にも、ステップダンサーのStaciステイシーさんは毎年のようにアイルランドに行きダンスの腕(脚?)を磨いています。ステイシーさんは台北でダンスのレッスンを開講しており、子どもたちのダンサーが育っています。

台湾は心理的にも距離的にも日本に近く、多くの台湾人観光客が日本にやってきますので、これからはお互いの交流がますます盛んになればと思っています。

台湾でのセッションに興味のある方は、友人の林世唐さんが主催するアイリッシュ・ミュージックをFacebookで検索してみてください。

台灣愛爾蘭音樂推廣中心 – Taiwan Irish Music Centre @twCeili

編集後記

地震があったと思えば、豪雨に猛暑。日本は災害大国ですね。

うちも裏のがけがくずれかけてヒヤヒヤしました。被災された方にお見舞いを申し上げます。

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