【最新号:クラン・コラ】Issue No.325

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クラン・コラ Cran Coille:ケルト・北欧音楽の森 Issue No.325

Editor : hatao
June 2021
ケルトの笛屋さん発行

音楽脳が停止した?:field 洲崎一彦

いやはや。音楽の無い日常と言いますか、音楽脳が停止したままの日常と言いますか、これほど続くともうこっちの方が通常で、かつての音楽にあふれた日常の方が異常事態だったのではないかと錯覚してしまう今日このごろです。

私の場合はアイリッシュパブを営んでいて、そこで日常的に行っていたセッションが消滅し、ライブが消滅し、また個人的に演奏活動をしていたような場も人もバラバラになって消滅し、気が付いたら楽器を触ることも無くなるというような毎日になってしまっている。聴く分にはコロナ以前と条件は変わっていないようなものなのに、気が付いたら聴く方もどんどん遠ざかってしまっている。つまり、音楽脳が停止してしまっている、ということに最近気が付いてしまいました。音楽的な事に集中するという脳のとある回路が作動しなくなっているような。。。

こんな状態になるのはおそらく音楽をやり始めてからこのかた初めての事だと思われ、もうそろそろ老齢の身としては、世の中がいつか通常に戻ったとしても果たして自分の頭のこの回路が復活するのかどうかが不安になってしまいますね。

この頭の回路の不具合に気が付いたのがふとしたきっかけでした。実は、昼間の野原屋の営業中はBGMはわざとアイリッシュは除外して懐かしめのポップスをかけているのですが、ある時、その続きに突然アイリッシュが流れた。この時に私は曲が変わったことに気が付かなかったのでした。なんかまた懐かしい曲がかかってるなあと思ったら、何や?アイリッシュやん。。。。と、しばらくしてから気が付くと、こんな調子の反応をしてしまったのでした。つまり、オールドポップスもアイリッシュも知ってるメロディーの音楽であれば、まったく同じ平面で聞こえてくるという感じだったのです。ある意味これは自分でも驚きましたし、ちょっと新鮮な気分にもなる出来事でした。

つまり、これまで、どれだけアイリッシュ音楽を何かもう非常に特別なものと感じていたのか、ということですね。他の音楽と違う何か特別なものと。元々は私は他のジャンルの音楽を嗜好していて、ある偶然からアイリッシュ音楽を聴くようになりました。ということは、音楽という同じ平面からアイリッシュにするっと入ったわけです。それが長年の間にアイリッシュ音楽はその音楽という平面から浮き上がってしまったというかずり落ちてしまったというか。知らない間にまったく違うものになってしまっていたというわけです。

確かに、右も左も何も分からないままアイリッシュ音楽に傾倒し、たまたま自分が店をやっていたというだけでセッションを主宰し始めた。アイリッシュセッションというものを、参加した事はおろか見たこともないような状況で。まったくもって手探りだったし、でも、それが楽しかった。今思えば、この段階で私達のやっていたことが果たしてアイリッシュ音楽だったのかどうかも怪しい。すでに脱線していたのではないか。

そんなセッションが何年も繰り返されて行く中で、アイリッシュ音楽の経験者の方は言うに及ばず、本物のアイルランド人プレイヤーの人達も参加してくれるような時々もあって、私はあっちへぶつかりこっちへぶつかり色々と脱線しながら、なんとなくアイリッシュ音楽の雰囲気をつかんでいくわけです。

思えば、手にした楽器ですら、それ以前にやっていた音楽の時とは違う楽器(ブズーキ)、初めて触る楽器だったし、それも、誰かにちゃんと習ったのではなくてすべて我流。毎回毎回が悩みの連続。どうやったら、有名所のCDで聴いた、ああいうサウンドになるんや?と、セッションのたびに悶々とした日々を過ごしたものです。そんなセッションが週に2日というペースでやって来る。

苦労ということではないのですが、こうやって振り返るとあまりに時間と労力のかけ過ぎ。つまり、人間というものは自分が多くの時間と労力をかけたものに対して特別なな価値を求めるというような傾向があると、何かの心理学的な本で読んだ気がします。自分にもそういう心理が働いていた可能性も無くは無いのではないか。

思えば、かつて、旧クランコラなどで私は少し硬派な音楽論を吐き散らかしていた時期がありました。あの頃はしきりに、アイリッシュ音楽と言えども音楽ではないか!みたいな事も書いていたと思います。しかし、もうすでにその頃に、私のアイリッシュ音楽は音楽という平面から浮き上がっていたのだと思います。そうでなければ、アイリッシュ音楽は音楽だ、というような至極当たり前のことをわざわざ文字にして書く必要などなかったでしょう。

そして、今、ここまで書いてきて、この境地が、もしかしたらすごく新鮮なのではないかと思えて来ました。これは、冒頭に書いたような、音楽脳が停止しているというものでは無いのかもしれないな、と。すべてが、一旦振り出しに戻っているというか。何々の音楽をやっていてその次に何々をきっかけにアイリッシュ音楽が好きになりました。と、いうのでは無しに、何々の音楽もアイリッシュ音楽も今同じスタートラインに戻って来て、よーいどん!を待っているような感じ。これ、よーいどん!が鳴ったらどうなるのか全く予想もつかないドキドキな感じ。

これは、大いに、楽しまなくてはならない事態なのではないか!

とにかく、現在の心境は、アイルランド音楽は音楽、これですね。

さて、さしあたって半年後の私はどんな音楽にはまっているのかな?。。。(す)

Colleen Raney アメリカで伝統をうたう試み・その35:大島 豊

アメリカのケルト系シンガー、コリーン・レイニィの録音を聴くシリーズ。

5枚め最新作《Standing In Doorways》の第11回で最終回。

9. Standing in Doorways {Ger Wolfe} 5:02

Ger Wolfe はコーク出身のシンガー・ソング・ライター。1998年にレコード・デビューで、アルバムはこれまでに9枚。歌は英語で作っている。シンプルな表現で普遍的な価値を象徴として歌うのが身上。同じコーク出身のシンガー・ソング・ライター John Spillane とは盟友でもある。この歌は2003年のサード《Heaven Paints Her Holy Mantle Blue》収録。

https://gerwolfe.com

歌われているのは身を削って歌うことに疲れはて、戸口に立ちつくした時、自然に帰って歌をとりもどすうたい手の姿、と見える。歌うのはどういうことか。

人はなぜ歌うのか。その問いに答えを提供するよりも、聴く者が考えるよう促す歌にも聞える。答えは一つではない。正解というものは無い。

そこには死と再生のサイクルも重なっているようでもある。歌をとりもどすことは、必ずしも曇りのない歓びとは限らない。歌は沈黙と哀しみ、虚脱と痛みも歌う。歌は歌う者、聴く者よりも大きい。

そして、この歌は歌唄いのための子守唄でもある。

a. Ger Wolfe, Heaven Paints Her Holy Mantle Blue, 2003

アルバム全体では The New Skylarks という、フィドル、ダブル・ベース、ドラムスのバンドを核に、ブラス・セクションが付くトラックもあるが、この曲では本人の軽いギターのみの伴奏で、一語一音噛んで含めるように、ゆっくりと歌う。コーク訛り?がよくわかる。声域としてはテナーの声はかすれて乾いた翳りを帯び、この訛りがなければ、スコットランドのうたい手に聞えるかもしれない。とはいえ、そこはアイルランドのシンガーで、地の底に沈むかわりに、夕闇のようやく濃い草地の上を低く漂う。ひょっとすると、この歌は子守唄ではなく、歌唄いがその眼を閉じて二度と開かぬつもりの際につぶやく白鳥の歌かもしれないと思わせる。

なお、同年リリースのオムニバス《Other Voices: Songs From A Room》にも収録されているが、ギター1本で歌っていて、テンポもアーティキュレーションもまったく同じで、おそらくは同じ録音と思われる。

b. Colleen Raney

ピアノ、複数のギター、フィドルとダブル・ベースをバックに、作曲者と同じく、ゆっくりと言葉を一つひとつ置いてゆくように歌う。フィドルの持続音はあるものの、バックの音は隙間の多いミニマルな響きで、まばらな木立ちの間を歩いている気分。ワルツのリズムを持つことがこちらの方がよくわかる。ダンスのビートというよりは、アクセントの置き方。滑るように歩いていると、木の葉の間から漏れてくる陽光に蝶が一頭浮かびあがり、やがて草の花に留まる。

歌の後に、インストの長いコーダがつく。各々に短かいミニマルなフレーズを奏でるギター、フィドルが重ねられて、アルバム全体の大団円。

以上、コリーンの最新作《Standing In Doorways》は、ソロ・シンガーとしての集大成、これまででベストの出来栄え。個人的には3作目 Colm MacC?rthaighとの共作《Cuan》が大好きだが、これはそれに肩を並べる、あるいは鼻の差で前に出たとも思える。アイルランド勢のバックとの息の合い方も年季が入り、アレンジの精度が格段に上がっている。パンデミックを経て、あるいはまた一皮剥けるか。次が楽しみだ。

というわけで、延々とコリーンのソロ・アルバムを聴いてきた。アメリカでアイルランド、ブリテンの伝統歌を歌う一つの例を聴きこむことで、伝統とは縁の無いところで伝統歌を歌うことはどういうことか、ごく大雑把にでも?んでみたいというのが当初の動機だった。コリーンはアメリカの中でも異邦の伝統に敬意を払うことの大きい姿勢で歌っている。その上で伝統そのものにどっぷり浸れないことのプラスとマイナスを見極め、自らに最適の距離を測り、己れの歌として歌いなおす。アメリカ人は個人の独立を何よりもまず尊重する習性を持ち、伝統との距離の取り方に失敗していると見える例が多いが、コリーンは慎重に、石橋を叩いて渡るところがある。それは聴いていて気持ちがよい。コリーンの5枚のアルバムは各々に質が高く、選曲、演奏、録音いずれも第一級だ。アメリカからはさらに伝統からは距離があるところにいる我々にもヒントになるだろう。

その歌を聴くことで、思わぬ発見も多々あり、筆者としてはたいへん楽しく勉強させていただいた。こういう勝手を許してくれた本誌主宰の hatao さんに感謝申し上げる。

これにて、この連載もひとまず終了する。おつきあいいただいた皆様、ご苦労さまでした。ありがとうございました。(ゆ)

カウンティ・クレアの夕陽とフィドルの音色:hatao

※以下の原稿は、ボランティアによる日本人アーティスト支援プロジェクト「音楽で旅に出よう」のために書き下ろしたものです。

https://oto-tabi.web.app/#/

ヨーロッパの西の果て、緑の島アイルランドのさらに西の果て。カウンティ・クレアではどこまでも真っ平らな牧草地とごつごつとした石垣が地平線まで続く。 西にゆくと海があり、その遥か先はアメリカ大陸である。

いつも曇り空で湿っぽく、崖以外にめぼしい観光地がないこの地域だが、夏になると国内外から何万人という人々が集まる。目的は本物の伝統音楽を体験することである。

ミルタウン・マルベイやフィークル、ドゥーリンといった小さな村々では総力を挙げて短期音楽学校「サマー・スクール」や伝統音楽フェスティバルを開催しており、一週間、音楽漬けの日々があなたを待っている。

普段は過疎の村々がこの時ばかりはおもちゃ箱をひっくり返したような賑やかさになり、狭い通りはストリート・パフォーマーや楽器ケースをしょった人々の熱気で溢れかえる。アイリッシュ・ミュージックを愛する人は、フェスティバルで得た興奮と経験と友情が忘れられず、この地を何度も繰り返し訪れてしまうのだ。

フェスティバルの最後の朝、人々は波が引くかのごとくそれぞれの家路につく。僕は一泊余分に宿に残り、祭りの余韻を楽しむのが好きだ。それは街が、人が日常に戻る時間。スシ詰めで入れなかったパブは静けさを取り戻し、地元のミュージシャンが何事もなかったように集う。今夜からは閑散期にしか聴くことができない「特別な」音楽が始まるのだ。

フィドルとギターのデュオ、Dai Komatsu & Tetsuya Yamamotoの“Shadows and Silhouettes”はそんなカウンティ・クレアの空気をまとった音楽だ。

イースト・クレアのフィドルに学んだ小松大さんと、フィンガー・ピッキング・スタイルの繊細なタッチを得意とする山本哲也さんの奏でるアイルランド音楽は情感に富み、アイルランドの旅へのロマンと期待を膨らませてくれる。

クレアの気候のように少し湿っていて、柔らかい音色。それは日常のアイルランドの気取らない、かけがえのない音楽である。

アイルランドの夏は長い。フェスティバル最終日の夕陽は、低い角度から強烈な光を差してパブへと続く道を赤く染める。こうして祭りが終わると、アイルランドは再び静かな長い冬へと向かうのである。

CDはこちらからご注文いただけます。

https://celtnofue.com/items/detail.html?id=1346

編集後記

原稿が不足しがちな本誌に、寄稿してやっても良いぞという愛読者の方はぜひご連絡ください。

ケルト音楽に関係する話題、例えばライブ&CDレビュー、日本人演奏家の紹介、音楽家や職人へのインタビュー、音楽旅行記などで、1000文字程度までで一本記事をお書きください。

頻度については、一度にまとめてお送りくださっても構いませんし、毎月の連載形式でも結構です。

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クラン・コラ:アイルランド音楽の森(月1回刊)
発行元:ケルトの笛屋さん
Editor :hatao

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