【最新号:クラン・コラ】Issue No.334

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クラン・コラ Cran Coille:ケルト・北欧音楽の森 Issue No.33

Editor : hatao
February 2022
ケルトの笛屋さん発行

わが音楽遍歴、または余はいかにして心配するのをやめてアイリッシュ・ミュージックを聴くようになったか・その7:大島豊

ピンク・フロイドの《原子心母》を聴いただけで、どっぷりと漬かりこんでいたクラシックをいともあっさりと捨てたのは、その時には何の疑問もためらいも感じなかったと記憶しています。とはいえ、今からふり返ってみれば、以後、20年以上、クラシックを自分の意志で聴こうとすることはまったく無くなったのですから、不思議といえば不思議です。クラシックがイヤになったとか、嫌いになった、という感じもありませんでした。単純に、プログレの方が面白そうだと見えて、そちらを聴きだすと、クラシックを聴くヒマはなくなった、という形です。

もっともその後、プログレからその頃「ブリティッシュ・トラッド」と呼ばれていた、イングランド、スコットランドの伝統音楽にのめり込んだ時も、プログレはあっさり捨てています。当時、伝統音楽の音源は手に入れるのがひどく難しく、クラシックやプログレを聴きだした時のように、聴くものがいくらでもある状態とは対照的でした。当時はまだアナログしかありません。ラジオではそういう音源はまず絶対と言っていいほど、聴けません。レコードも国内盤が出ることはありません。細々と入ってくる輸入盤を自分で買うしか、聴く方法はありませんでした。それでも、その前にやはりどっぷりと漬かっていたプログレとは完全に縁を切っています。

その後、30代にいわゆるワールド・ミュージックに代表される、世界各地の伝統音楽を聴きだした時も、40を過ぎてからジャズを聴きだした時も、還暦を過ぎてグレイトフル・デッドにハマる時も、それ以前に聴いていたものをまったく聴かなくなるということはありませんでした。むしろ、ジャズを聴きだす頃から前後してクラシックもまた聴きだしましたし、デッドを聴く関連で、1960年代後半の音楽を聴くようになり、聴く音楽の幅と種類は増えるばかりです。

プログレに遭遇するのは高校1年の後半で、その年頃ではまだ受容能力、吸収能力が育っておらず、多種多様なものを同時に受け入れることが難しかった、ということかもしれません。ブリテンの伝統音楽との出逢いは大学2年ですが、この時でもこうした能力はまだそれほど大きくなってはいなかったのでしょう。あるいは、後者の場合、音楽以外にも吸収すべきものは高校時代とは次元が異なるほどわっと増えていたので、音楽では受容できる量が限られたとも言えそうです。

ピンク・フロイドの《原子心母》は1970年10月のリリースで、国内盤もあまり時間をおかずに出たようです。ぼくが聴いたのはリリースからまだ1年経っていなかったわけです。その後の《おせっかいMeddle》《狂気DarkSideOfTheMoon》《炎WishYouWereHere》まではリアルタイムで聴いていました。《炎》まで聴いたところで、ぼくの「ピンク・フロイド熱」は完全に冷めることになります。

《原子心母》とりわけA面全部を占めるタイトル曲はかれらの録音のなかでは最もクラシックに近い音作りをしています。ぼくが聴いていたのも事実上A面だけです。B面は1度か2度聴いただけで、印象にも残っていません。タイトル曲はクラシックの楽器や合唱団を用い、構成、手法もクラシックのものをメインにしています。バンドのメンバーの演奏は最低限です。全体はいくつかの部分からなる組曲形式で、その2番目にチェロの独奏が出てきます。具体的にはぼくはこのチェロ独奏にやられたのでした。

チェロはもともと好きな楽器で、チェロをフィーチュアした曲は積極的に聴いていました。今でもチェロ好きは変わりませんが、ブリテンやアイルランドの伝統音楽ではAbbey NewtonやNeil Martinなどの例外を除いて、チェロはほとんど使われないのが残念ではあります。

この原稿を書くために〈原子心母〉を久しぶりに聴いてみました。それこそほとんど半世紀ぶりでしょう。今は何か特定の曲を聴きたいと思うと、実に簡単に聴けてしまいます。凄い時代になったものです。といっても、若い方々にはぴんとこないでしょうけれども、「爪に火をともすようにして」貯めたこづかいを握りしめて、馴染のレコード屋に行ってアナログ盤を買わなければ、聴こうにも聴けなかったことを思えば、感無量としか言葉が出てきません。とまれ、半世紀近く間を置いて聴いてみた〈原子心母〉は、意外に古くなっていませんでした。少なくともこのタイトル曲は、すっかりすれっからしになった老人の耳にも、なかなか面白く聴けました。後で、もう1度聴いてもいいと思えるほどです。

「意外に」と書いたのは、もう5、6年前になりますか、《狂気》のデラックス盤が出たことがあり、ふと出来心を起こして聴いてみたからです。結果は聴いた時間を返せと言いたくなるものでした。出た当時はそれこそ「すりきれる」ように、繰返し聴いて飽きることがなかったのですから、これまた逆の意味で意外でした。

〈原子心母〉のチェロによって一発でフロイド・ファンになったぼくは、既存のアルバムも聴き、新譜を追いかけはじめるとともに、当時フロイドもその一部として勃興してきていたプログレにのめりこみました。とはいえ、こちらはクラシックのようにFMでどんどん聴けるわけではありません。当時はまだあちこちにあったロック喫茶でも、プログレは長い曲が多いですし、ファンもまだそれほど多くなく、マニアックでもあるので、敬遠される傾向にありました。つまるところ、レコードを買って聴くしかありません。ここで頼りになったのが中古盤屋です。「ハンター」というチェーン店に主に通いました。こうした中古盤屋では、LPが定価2,500〜3,000円の半額かそれ以下で買えました。それでも、限られたこづかいで買えるものは多くありませんから、あれもこれもというわけにはいきません。勢い、対象を絞ることになります。当時、ピンク・フロイドと並び称されていたのは、ムーディ・ブルース、イエス、キング・クリムゾンでしょう。ソフトマシーン、キャラヴァン、プログレの主流からははずれますがキャメルなどもありました。その中でフロイドとともにのめり込んだのはクリムゾンです。

キング・クリムゾンにハマる切っ掛けはFMでした。確かFM東京だったと思います。アナログ盤片面全部をかける番組があり、そこで新譜《暗黒の世界StarlessAndBibleBlack》を聴いたことでした。すでにクリムゾンの名前は知っていて、それでこの番組を聴いたはずです。そこから有名なファーストにもどり、順番に中古盤を買っていきました。1974年の解散までの間のアルバムで最もハマったのは《アイランズIslands》です。一時期、半年ぐらいだったと思いますが、ターンテーブルにはこのレコードが乗りっぱなしで、毎日、こればかり、時には片面ばかり、聴いていました。アルバムとしてはこれ以降の方が好きで、《レッドRed》は出ると同時に輸入盤を買いました。中古盤とならんで、輸入盤特にアメリカ盤は安く、国内盤の7掛けから半額近い値段でした。《アイランズ》に次いで好きだったのは解散後に出たライヴ盤の《U.S.A.》で、これの〈21世紀の精神異常者〉に溺れこみました。

〈原子心母〉とともに、《アイランズ》でもより好きだったB面も先日聴いてみました。こちらは立派に今でも通用します。聴きどころは変わっていますが、愉しい時間を過ごせました。今はライヴ音源もたくさん出ていますし、来年、時間ができたら、また少し聴きこんでみようかとすら思いました。

クリムゾンが再編した時には、すでにブリテン、アイルランドの伝統音楽にすっかり深入りしていましたし、ワールド・ミュージックの勃興もあって、聴こうという気はまったく起きませんでした。今なら、あるいは面白く聴けるかもしれません。フロイドの方は《炎》はリアルタイムで買ったものの、これで完全に愛想を尽かしていたので、大ヒットした《TheWall》も未だに聴いたことはありません。

キング・クリムゾンの解散が1974年。ぼくが大学に入った年です。大学の1年目は音楽とのつきあいにおいて、特に変わったことはありませんでした。クリムゾンを中心にプログレを追いかけていたはずです。どちらかといえば、1年の時は音楽以外のことに夢中になっていた気がします。受験勉強の一環で、英語の原書を1冊読みとおしたおかげで、未訳のSF、ファンタジーを読むことが面白くなってもいました。大学はまた、高校とは次元が違って多種多様な人間がいます。芝は男子校でしたから、異性とのつきあい方も覚えなければなりません。音楽について大きく動くのは2年になって、3年生と日常的に交際するようになってからです。ということで、以下次号。(ゆ)

雑感 CrossroadsdanceとLisdoonvarna:松井ゆみ子

雑感 CrossroadsdanceとLisdoonvarna:松井ゆみ子

単線運行の行方:field洲崎一彦

さて、前回は、音楽に対するイメージが軽くなったという年越しの私の実感を書いたのですが、その軽さはこれから何をもたらすのか、という事をちょっと考えていました。まあこれ、この時点で、考えていました、などと言うこと自体、すでに軽くはないのですが、ここでの話題を続けるにあたっては、このような口調もいたしかなたいと、あまり突っ込まないでくださいね(笑)。

そうです。軽くなったのです。そしてこの1ヶ月はどうだったか? つまり、京都にもまん延防止措置が出て再び仕事がストップした状態で、私のその軽くなった音楽はどうなったのか、ということですね。

この期間は実際問題、他に雑事が多く身辺が多忙であったことで具体的に音楽脳を動かす余裕が無かったのですが、事務所のBGMは相変わらずいつも古い音楽(若い頃に聴いていた音楽)ばかりが流れていました。

そんな中で、こんなに古いものばかりではなくて、いっちょうアイリッシュでも流してみようと思い立ち、さて何を? と思った時に頭に浮かんだのは、その昔、最初に聴いたアイリッシュアルバムでした。つまり、アイリッシュパブをやる以前に聴いたアイリッシュですね。

具体的にはそれは、ドロレスケーン&ジョンフォークナー「さらばアイルランド」というアルバムです。そして、何とも言えないちょっと不思議な感じに襲われてしまったのです。

当時は私は古いロック畑の音楽ばかり聴いていたその果てにこのアルバムに偶然遭遇したのでした。つまり、現在の事務所のBGMとして流し始めた音楽ジャンルの推移は、当時の経緯を追体験しているような流れになっているのでした。

結論を言うと、「アイリッシュに聞こえない」。これです。このアルバムを初めて聴いてから数えるともう26年ぐらい経っています。その後アイリッシュパブを始めてコロナ前まで、つまり20年間少なくとも週2回のアイリッシュセッションを続けて来たわけです。この20年間で私のアイリッシュに対するイメージがこんなに変わってしまっていた! という事を見せつけられるような気がしました。ちなみに、このアルバムはこの間、つまり20年間、ほとんど聴き直してはいないものでした。

このアルバムの冒頭は、パイプのエアで始まります。そして、突然ドロレスの渋い歌が始まります。今聞くと、おお、パイプのエアやな! てなもんですが、当時は何の知識もありませんから、うら寂しい音色の楽器が朗々とした旋律を奏で、それに続いてシンプルな歌が始まった! というふうに聞こえていたのでした。これって、例えば70年代のプログレシヴロックのアルバムによく登場する演出ですから、何の違和感もなくすうっとそのように耳に入ってきたものです。

それを、あらためて思い出したわけです。

そうか……と思いました。アイリッシュパブを営みながら、セッションに明け暮れる20年の間に、自分の中でアイリッシュミュージックの持つこの叙情性を忘れていたと。ややもすると、ぐいぐい躍動するダンスチューンの方にばかり目が行っていたと。

つまり、私のこれまで聴いてきた色々な音楽の延長線上にアイリッシュミュージックが出現したのだという、何というか年表的に繋がった感というか、決して私にとって、ある時、突如、アイリッシュミュージックという別系統の道が開けたのではなかったのだということ。

アイリッシュパブを始めて以来、ある時から私の音楽は、それ以前の音楽趣味とアイリッシュの2本立てで推移していたことに気が付いたというわけです。いや、意識の上では同じ音楽だと思っているわけです。でも、心の奥底ではどうも常にこの2本をそれぞれ独立して考えていたような気がします。それも、時には交わろうとしつつも近づくと火花を散らせて離れて行くようなそんな緊張感を持った2本独立です。そうです、これは、どこかで平和共存ではないのです。近づくと火花が飛ぶというようなそんな緊張の関係で。

私は、元はギターを弾いていましたし、今でもアイリッシュ以外のジャンルではギターを中心楽器としています。そして、当初、アイリッシュを演奏し始めた時はギターを弾いて功刀君のフィドルに伴奏をつけていました。が、ある時、ブズーキという楽器を知ってからは一気にこのブズーキに持ち替えてアイリッシュでは一切ギターを使わなくなりました。

また、逆に、ブズーキはユニークな楽器ですからもちろんアイリッシュ以外の音楽にも使用可能なわけです。一度、当時の若者達のザバダックのコピーバンドを手伝った時にこのブズーキを使いましたが、後にも先にもアイリッシュ以外の音楽にブズーキを使ったのはこの時だけです。自分では何にこだわってこういう事になっていたのかよく覚えていないのですが、確かにこれまで自分の中にこういう楽器の使い分けが無意識のうちに起こっていたわけです。

一方、私は数年前からはフィドルも弾いていますが、これもアイリッシュ以外は弾いたことがありません。しかし、この場合は少しはっきりとした理由があるのです。アイリッシュのダンスチューンのメロディを弾くことでフィドルという楽器を覚えたわけなので、アイリッシュのダンスチューン以外のリズムで弓を動かすことが出来ないのです。つまり、アイリッシュ以外の音楽をやろうと思っても弓を動かせない。これはこれで、やはり、バイオリンという一般的に難しいと言われる楽器ですから、一度はクラシックの基礎などを学ばないとたぶん絶対に不可能なのだろうと思います。だから、これは上記の2本立て意識の表れではないだろうと思います。

というわけで、この事に気づいた以上、この2本立ての状態が別に悪い事だとは思いませんが、これを自分の中で1本にするといったいどういう事が起こるのだろうという興味が湧いてくる問題なのですね。

これまでは、この2本を近づけるといっても無意識にそれを行い、そして火花を散らせていた。そうであれば、これを意識的に1本にしようとすれば何が起こるのか?ですね。同じ、火花が散るとしても、その散り方がまた違ってくるのではないかというような興味です。

近い将来コロナ禍が過ぎた時、アイリッシュパブの営業が正常に戻った時、このように考えている私がコロナ前とまったく変わらないアイリッシュパブfieldを再開するということにはならないかもしれないという予感がします。それは、何かはっきりと目に見える形で現れるものではないかもしれませんが、私の音楽イメージのこの革命が色々な細かい部分に反映されてしまうのではないか。

そんな、ちょっと楽しみな予感が漂う今日この頃です。

まあ、こんな事を言ってても何も変わらないかもしれませんが。(す)

あなたにぴったりのアイルランド楽器はどれ?:McNeelaのブログより

あなたにぴったりのアイルランド楽器はどれ?

編集後記

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クラン・コラ:アイルランド音楽の森(月1回刊)
発行元:ケルトの笛屋さん
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