【ケルトの笛奏者の紹介】ジョン・マッケナ

ジョン・マッケナ

ジョン・マッケナ John McKenna(1880-1947)は、レイトリム出身のフルート奏者です。

ジョン・マッケナは、1880年1月6日に、カウンティ・レイトリムのテンツに生まれました。

当時のアイルランドは、現在アイリッシュ・フルートと呼ばれている楽器の原型となる、木製フルートの普及期でもありました。1847年にベーム式のフルートが完成して普及し始めると、それ以前に使用されていた木製フルートが中古市場に出回って安価に入手できるようになり、アイルランドでは伝統音楽に使われるようになっていきます。マッケナが生まれ育ったレイトリム・ロスコモン周辺の地域では特にフルート演奏が盛んで、フルート奏者の数がフィドル奏者の数を圧倒するほどでした。

1904年、24歳の時に、マッケナは姉たちのつてを頼ってニューヨークに渡ります。ここで5年間の労働によって帰化資格を得ると、1909年には一度アイルランドに戻り、渡米前からの交際であったと思われる女性と結婚して再度ニューヨークに渡ります。

再渡米ののち、マッケナは技師などの職を渡り歩きながら、妻との間に8人の子を設けました。うち人の子は小さいうちに亡くなりますが、残る子供たちを育てながら、1920年にはニューヨーク市消防局で消防士として常勤の職を得ます。

同時代にアメリカに渡ったジェイムス・モリソンやマイケル・コールマンが専業のミュージシャンとして生計を立てていたのに対して、マッケナは昼の仕事を続けるかたわら、ミュージシャンとしての活動を行っていました。

当時のアメリカにおけるアイルランド移民の待遇は悪く、消防士や警察官などの危険を伴う職業が典型的な就職先でした。初期の録音では、マッケナとバーニー・コンロンがともにFireman(消防士)としてクレジットされていますが、このようにミュージシャンの中にも、同様の職業に就いていたケースがしばしば見られます。マッケナの場合はレコーディングミュージシャンとしての副業を得て、発表したレコードが人気を博したことが、大家族を養うための大きな助けとなったようです。

1926年、妻が第9子を身ごもりますが、妊娠時の合併症により胎児とともに死去したことにより、マッケナの生活は一変します。3歳から16歳までの6人の子供たちを養うため、消防士から鉄道会社の技師に転職し、演奏活動のペースを落としながらも、引きつづきレコードの発表を続けます。1937年にはスライゴー出身のフルート奏者、エディー・ミーハン Eddie Meehanとの録音を発表し、これが最後の録音作品となりました。

1938年には、ほぼ30年ぶりに故郷のレイトリムを訪れ、その後はニューヨークで晩年を送ります。第二次世界大戦の終息を見届けた1947年、マッケナは67歳で世を去りました。

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