ライター:field 洲崎一彦
前回は、アイルランド音楽における私の中心楽器であるブズーキについて触れました。が、ここで思わぬ反響が!
「スザキさん、ブズーキについて書くのって珍しいですね」
あ。そうやったか? 確かにそうやったかも。。。
それで、今回はあらためてブズーキについて書いてみようと。そうすると、つまりは、私とアイルランド音楽との出会いの頃から話を始めることになるか。。。このように思った次第ですので、長くなるかもしれませんが、どうかお付き合いください。
私がアイルランド音楽に接したのは、だいたい1990年ぐらいのことだったと思います。その頃は、当時、京都市立芸大音楽科に在籍していた功刀丈弘くんと一緒に東欧の音楽に取り組んでいました。この時はウッドベースとボーカルが加わった4人編成のユニットを組んでいたのですが、ある時、他のメンバーが抜けて功刀くんと2人になってしまった。つまりバイオリンとギターになった。そしてそのまま東欧音楽を続けようとしていた。が、当時はネットも普及しておらず情報も少なくて、普通のCD屋のワールドミュージックコーナーで手に入るCDぐらいしか頼るものがない。そうすると、東欧音楽という実によく判らない世界にどんどん困惑して行くことになるのです。
今でも、よく判っていないのですが、東欧とひとくちに言っても、ハンガリーのマジャール文化とルーマニアのロマ文化ではその色合いが全くもって違うわけです。当時こんな知識すら無い。適当に東欧と書いてあるCDを入手しても、1枚1枚全然違うぞ、となる。それで、とりあえず、ハンガリーのムジカスというバンドの音楽を真似することにする。しかし。その独特のクセがあるバイオリン、独特のクセがあるリズム。これが非常にやっかいになって来る。おまけに何の楽器かよく判らない音が随所に良い感じで入っている。こちらは、バイオリンとギターのデュオなわけで音数もまったく足りないと。
それで、ある時、東欧からちょっと目を転じて、別の地域の音楽を探してみようということになります。そこで、私たちが各々に見つけてきたCDを持ち寄りまして、えいや!で見せ合います。
それが、共に、偶然、アイルランド音楽だった!
私は、ドロレスケーン&ジョンフォークナーの「farewell to Ireland」、功刀くんは、ケヴィンバークの「Up Close」を持って来たのでした。ここから、功刀くんは堰を切ったように一気にアイリッシュ・フィドルにのめり込んで行くのですが、ギターの私としては、え?これは?と困ってしまう事がどんどん出て来ます。
初めはCDに入っているギターと思われる楽器の音をコピーしようとするのですが、すぐに、これ、何のコードを弾いてるのかよく判らない。。。という事態に陥ります。今から思えば、「Up Close」のギタリスト、ミホールオドンネルはDADGADチューニングのギターを弾いていたらしい。「farewell to Ireland」のジョンフォークナーは主にブズーキを弾いていたらしいのですが、こんなことは後になって知った事です。
当時、私はDADGADチューニングなどまったく知らず、これは何らかのオープンチューニングではないか?という所までは予想してですね、なんとかオープンDチューニングまではこぎ着けた。が、これではちょっと不便やぞと。合う曲には合うが合わない曲にはどうしようもない。
ジョンフォークナーの方は、何やら復弦のような音がしていると思うのですが、マンドリンでは音が高すぎる。それで、これはきっと12弦ギターだということで頑張って12弦ギターを購入するのです。カポを使うと何曲かはなんとかコピー出来た!ほな、これや!と思うのですが、別の曲にはこれが応用出来ない。。。。こんな苦悩が続くわけです。
当時功刀くんは、apple社新発売のiMacを入手してインターネットの世界に飛びこんでいました。そこで、彼はそれまで思いもつかなかったような色々な情報を次々に仕入れてきます(しかし、今ほどの情報量もなく検索も今よりは不備なものでしたから、彼も相当に苦労したはずです)。
ここで、彼が「ブズーキ」という楽器があるらしいと。
もしかしたら、パトリックストリートのCDジャケットに写ってるこれではないか?と。そうですね。これを携えて写真におさまっているのが、今思えば、アンディアーバインだったわけです。
だいたいどんな形をしているものかは判った。パトリックストリートのCDをたよりに、だいたいこの音がブズーキなんだろうというのも当たりがついた。ほな、これは、どこで買えるんや?
そんなある日、功刀君は、どこそこの楽器屋に売ってたので買ったと、何やら楽器ケースを持ってやって来た。開けると、おお!ブズーキの様な形の楽器が出て来るではありませんか。が、写真で見たブズーキにしてはネックが長くないか?とかなんとかぶつぶつ言いながら。彼が言うには春日楽器という日本のギターメーカーのものだという。が、今から思うと、これが本当にブズーキだったかどうかはよく判らない。春日楽器というのは今はもう存在しないメーカーでその昔はギターやマンドリンを作っていたらしい。と、すれば、マンドリンの大きいの、つまりマンドセロの可能性もある。このあたり、春日楽器のことをよくご存じの方がおられれば、是非教えて欲しい。
しかし、大問題が発生します。チューニングの仕方が判らない。ケースの中の楽器の弦はすべてゆるめてある。弦の長さと弦の太さから考えて、ギターの2弦から5弦あたりのチューニングにしてみようか、とか、いろいろいじくりまわす。でも、何かしっくり行く感じにはならない。これは使い物にならない、ということで、この楽器はこの時いじくりまわしただけで、私たちの間ではそのまま忘れ去られてしまうのでした。
今から思うと、何故、ここで、マンドリンの1オクターブ下げぐらいの知恵が回らなかったのかと思います。そこに気づけたら、それはもうほとんどブズーキで、マンドリンのコードなどを参考にして取り組めたとこやったのに!
その後も功刀くんは様々なブズーキ情報をもたらしてくれた、ある時は、当時のロック雑誌「Player」の楽器屋の宣伝のページにブズーキと書いてあるぞ!ちょっとぼやけてるけど写真ものってるぞ!中古品○○万円って書いてあるぞ!これを買え!とかなんとか。
それから、彼は仕事の関係で京都から沖縄に転居することになり、急を要しない普段のやりとりはもっぱら手紙ということになります。と、いうか、彼はいつもカセットテープを送りつけて来て、そこに手紙が入ってるというわけです。
そんな中で彼とのやり取りも少し間が開いた頃に、また突然カセットテープが送られて来た。まあまた、どっかで手に入れたティンホイッスルでも吹いたのを録音したやつやろうと、手持ちのラジカセで再生すると、確かにホイッスルの演奏が入っているのですがジャラーンという伴奏が入ってる。ん?これって?ブズーキの音ちゃうのん?!
はい。ブズーキでした。彼はネットでブズーキの販売をしている業者を探し当ててこれを購入していたのです。おまけに彼は、どこぞからブズーキのチューニングの仕方もちゃんと調べていて、それもお手紙には詳しく書いてある。そして、このブズーキを購入できるサイトも教えてくれている。ワシにも買えということか、とそのサイトを見る。。。。
う。思いのほか高価。。。。
このサイトには、2種類のブズーキが紹介されていて、彼のは高価な方のやつ。まあでもここは、と、私の悪いクセが出て安価な方のブズーキを購入することにした。もちろん通販です。そして、ついにやってきました!これが本物のブズーキというやつか!チューニング、チューニング!
ちょこちょこ触っているだけで、なんとなく、あのサウンドに雰囲気が漂うではないかっ!
1998年も終盤の出来事です。こうして、私のブズーキ人生がスタートしたのです。以下、続く。
今なら、ここまでの道のりも1ヶ月もかからんのやろうな。と、思うと、この時代のわしらのしつこさはまるでストーカー精神やね笑。