ライター:大島 豊
アサド政権が倒れて、レバノンの内戦は新たな段階に入った。このまま戦闘行為が終り、平和になるとも思えないが、これまでよりは平和の希望は持てるようにも見える。戦争は常に悲惨なものだが、内戦はとりわけ悲惨になる。外部の敵にはためらう行為が内部の敵には平然と行われたりもする。むろん逆もあるが、どちらかといえば、内部相手の方がより残酷に、無慈悲になる傾向があることは歴史が示している。イングランドの清教徒革命につながる内戦、フランスの宗教戦争、アメリカの南北戦争。ドイツの三十年戦争も初めは内戦だった。わが国でいえば戊辰戦争と西南戦争が最も近い。応仁の乱はどうだろうか。
アイルランドも内戦を戦った。1921年、愛英条約によって南部26州がアイルランド自由国として一応の独立を得た直後、条約への賛成反対双方の勢力が暴力でその主張を通そうとした。この内戦をモチーフとして描き、カンヌ映画祭でパルム・ドールを獲得したのがケン・ローチの『麦の穂を揺らす風』2006である。
この映画はなぜか試写の案内をもらって見たのだが、終った直後試写室の椅子から立ち上がれなかった。周りの人たちがいとも簡単にどんどん立って出てゆくのがまったく不思議だった。この人たちは何も感じないのか。同じ映画を見たのか、疑わしくさえなった。ようやく部屋を出たところで配給会社の人にどうでしたかとか声をかけられても、言葉が何も出てこず、ただ首を横に降っただけだった。涙で相手が誰かもよくわからなかった。そのまま銀座の街をふらふら歩きつづけたことは覚えている。
映画のイントロ場面、ハーリングに興じる若者たちが集会の禁令に反したとして英軍部隊の捜査を受け、命令に素直に従わなかったために1人がその場で殺される。その青年の葬儀に先立ち、老婆たちが弔歌として歌うのがこの歌である。
伝統歌として Roud のフォーク・ソング・インデックスにも載っている歌だが、作者がいる。Robert Dwyer Joyce (1836 – 1883) だ。ジョイスはリマリック州の生まれ。学校長をしながら、アイルランドの伝統歌、曲を集め、1855年のペトリーのコレクションにも曲を提供しているという。1865年医師の資格をとる一方、ダブリンのカトリック大学で英語教授にもなっている。1860年代末、ボストンに渡り、帰国して間もなく死去。
1861年に出版した詩集に掲載されたこの歌は1798年のユナイティッド・アイリッシュメンによる反乱に取材し、恋人を諦めて独立の大義に殉じるウェクスフォドの若者が語り手とされる。タイトルにある barley は大麦をさし、反乱軍の兵士たちが行軍中の兵糧として大麦やオート麦をポケットに入れていたことに由来する。このことから反乱で殺された兵士たちの遺体を集団で埋めた無縁塚に大麦が播かれた。その大麦を揺らす風は英国支配からの脱出を目指すアイルランド人たちの心情のシンボル、風が吹く時は再び立ち上がる時とされた。面白いことに原詞は五連からなるが、第四連だけはなぜか歌われない。
なお、同名のリールもあるが、ここでは歌の話である。
ヴァージョン、録音は例によって無数にある。ソースの一つは Sarah Makem の歌唱だろう。アイルランドのいわば「愛国歌」ではあるものの、歌の視点からは目の敵であるはずのイングランドはじめ、スコットランド、アメリカなど広い地域出身の人たちが歌っている。「愛国」という狭い範疇ではなく、より大きな(しかし必ずしも「正しい」とはかぎらない)もののために愛する者を奪われた哀しみをうたう歌としてとりあげられているようだ。
一つ興味深いのは Dead Can Dance、というよりその片割れライザ・ジェラード Lisa Gerrard による無伴奏ソロ歌唱だ。最初は1993年のアルバム《Into The Labyrinth》に収録された。このアルバムに先立つ数年、ジェラードとペリーは別居してジェラードはオーストラリアに帰り、ペリーはアイルランド、キャヴァン州の Quivy Church という川の中の島に建つ古い教会を買って住んでいた。ジェラードはアイルランドに飛び、この教会で二人だけでアルバムを制作する。録音もペリーが担当した。ジェラードが望んでこの歌を収めたのはそうした縁もあるだろう。1993年11月のサンタ・モニカでのコンサートを収めたライヴ盤《Toward The Within》でも再演された。このコンサートおよびライヴ盤には、キーラのベーシスト、ランス・ホーガンとバゥロンのロナン・オ・スノディが参加している。
かれらは2005年に再編した際に行なった、春のヨーロッパ・ツアーと秋の北米ツアーのコンサート21本のライヴ録音をストリーミングでリリースしている。その全てにライザ・ジェラードによるこの歌の無伴奏歌唱が収められている。このライヴ音源についてはネット上に整理された情報が見当らないので、ここに挙げておく。末尾の数字はこの歌が入っているのがアルバム全体の何曲目かを示す。
2005-03-10, Olympia Thetre, Dublin, Ireland, 9/20
2005-03-12, Prins Wilem Alexander Zaal, The Hague, Netherland, 9/20
2005-03-14, Palais de Congress, Paris, France, 10/21
2005-03-16, Lille Grand Palais, Lille, France, 10/20
2005-03-17, Paleis Voor Schbone Kunsten, Brussels, Belgium, 10/21
2005-03-21, Teatro Lope de Vega, Madrid, Spain, 10/19
2005-03-22, Auditori Forum, Barcelona, Spain, 10/20
2005-03-24, Teatro del Verme, Milan, Italy, 9/19
2005-03-26, Kolner Philharmoie, Cologne, Germany, 10/21, best
2005-03-27, Munchener Philharmoniker, Munich, Germany, 10/21
2005-04-06, Barbican Theatre, London, England, 10/20
2005-04-07, The Forum, London, England, 10/21
2005-09-17, Paramount Theatre, Seattle, WA, USA, 10/21
2005-09-18, Paramount Theatre, Seattle, WA, USA, 10/20
2005-10-01, Massey Hall, Tronto, ON, Canada, 9/20
2005-10-02, Theatre St. Denis, Montreal, QC, Canada, 10/21
2005-10-04, Theatre St. Denis, Montreal, QC, Canada, 10/20
2005-10-08, Orpheum Theatre, Boston, MA, USA, 10/17
2005-10-10, the Music Center at Strathmore, North Bethesda, MD, USA, 10/20
2005-10-12, Auditorium Theatre, Chicago, IL, USA, 10/21
ある曲の同一のミュージシャンによるライヴ演奏、それもこれだけ短期間に集中して行ったものを録音で聴き比べることができるのは稀なことである。聴いてみると、毎回同様に歌いながら、少しずつ変わっていて、まったく同じ歌唱は2つと無い。21回連続して聴いて、飽きることがない。毎回、集中して聴き入ってしまう。ジェラードの歌唱の質がそれだけ高い。
感情を表にあらわさず、ほぼ一定のテンポで、どちらかといえばささやくように歌う。ところにより、声を張るが、そこも強調というよりは、メリハリをつけて聴く者の注意をひくための工夫に聞える。例外的に、各連6行目末の dearly, early を大きく、長く、ゆっくりと伸ばす。この伸ばす声は喉から出るよりも、頭蓋骨全体で反響して出てくるような半透明の響きになる。この世ならぬ、異界あるいはこの場合冥界から響いてくるようにも聞える。
ジェラードの歌唱は、歌にまつわりついた恨みつらみや怒り、無力感などの負の感情をするりと脱ぎすてて、蒼く澄みわたった哀しみの奥にほのかな燈りを捉えようとする。歌の出発にあるのはどこまでも世俗的、具体的な感情ではあるが、形はどうあれ、人が人を抑圧することに抗議する、普遍的な歌へと、ここでは昇華している。
この歌唱はアイルランドの歌謡伝統からは離れたものだろう。発声のしかたも、歌唱スタイルもジェラード個人の経験と資質から生まれている。一方でこの歌がアイルランドはじめ、英語圏の伝統歌として歌いつたえられてきていることも動かない。するとジェラードの歌唱は現代の解釈であると同時に、過去へと、人間の記憶の海へと明瞭に接続している。現代に生きる1人のうたい手が、うたいたい歌としてこの歌をとりあげた、その瞬間に、うたい手自身も連綿と続いてきている過去へとつながった。ジェラードの歌唱は、アイルランドの伝統からは離れたとしても、歌そのものの伝統にはつながっている。
21本のコンサートの会場で生でこの歌唱を聴いた人びとの中でこの歌の出自を知る人は、ダブリンでのコンサートを除いて、ごく少ないだろう。皆無というところも少なくあるまい。それでも歌が伝える感情は、歌によって伝えられることによって、聴いた人の記憶により深く刻まれている。
Dead Can Dance という名前は「死者は踊ることができる」とも読め、バンドも生と死は同じコインの裏表としている。そう死者は踊るし、歌いもする。たとえばの話グレイトフル・デッドは自ら歌い、踊ったし、死者たちを踊らせ、歌わせもしている。(ゆ)