
ライター:大島 豊
アイリッシュ・ミュージックの1つの位相として歌を聴こうとするとき、どう入ればいいか。前回五里霧中と書いたが、霧は全然晴れてくれず、むしろ逆に濃くなっていくようですらある。まったくの手探りのまま、試行錯誤していく他ない。
ダンスは達人と踊れば30分で愉しさが実感でき、それによってハマりやすい。楽器演奏は30分で愉しさがわかることはないにしても、続けていれば、昨日まではできなかったことが今日できるようになることでハマれるだろう。歌はまた違うようだ。
いきなりいろいろな歌、あるいはある歌を30分聴きつづけて、歌っていいなあ、と思える、ことも無いとは言えないが、あまり多くはなさそうだ。一方で、3分の歌を一度聞いただけでハマってしまうことも起こることはある。早い話、あたしがそうだった。1970年代半ばのある日、イングランドのロック・バンド、トラフィック Traffic が演奏する〈John Barleycorn〉を聞いたのがすべての始まりだった。この歌は3分よりずっと長いし、一度聞いたところでその面白さが実感できたわけでもなかった。この歌は当時のあたしにとって実にヘンな歌だった。それまでこんな歌は聞いたことがない、何なのだ、これは。面白さよりも驚きだった。それも快い驚きではなく、不安をかきたてるような驚きだ。こんな歌がこの世にあっていいのか、という驚きである。
もう1つ、この歌はアイルランドの歌ではなく、イングランドの歌である。アイルランドでもうたわれていたではあろうが、起源はイングランド、とされている。うたっているのもイングランドのうたい手が多い。ちなみにトラフィックのこの歌のソースはイングランド北部のコーラス・グループ、ウォータースンズ The Watersons のヴァージョンだ。
ウォータースンズは1960年代半ばに世に出た男女4人組、3人は姉弟妹、もう1人はその従弟から成る。かれらの「手作り」のハーモニーは当時のイングランドの伝統音楽シーンに大きな影響を与える。同様の家族コーラス・グループとしてイングランド南部のコッパー・ファミリー The Copper Family がいるが、ウォータースンズは当時20代の若者で、同世代にとっては親近感があった。その頃は伝統音楽すなわちフォーク・ミュージックとロックなどの間の垣根はごく低く、自分たちのギグを終えたザ・フーがウォータースンズのライヴを見に来たという話も伝わっている。トラフィックの中心人物スティーヴィー・ウィンウッドもウォータースンズのレコードを聴いていたわけだし、ライヴにも行っていたかもしれない。
この歌があたしにとって実にヘンだったわけだが、どこがどうヘンだったの
か。
まず編成。この歌は《John Barleycorn Must Die》というタイトルのアルバムのB面2曲目だ。アルバムは全6曲収録でAB各々に3曲ずつ。他の曲はすべて電気楽器によるロックのフォーマットだが、この曲だけ、アコースティック・ギターとフルートとトライアングルに歌だった。ロックというのは電気楽器でやるものというのがあたしの前提だったから、いきなり生楽器が聞えてきてあれれとなった。
次に音階。いやその時には音階とはわからなかった。それでも使われている音とその組合せはそれまで聞いていたどんな歌とも違うものだということはわかった。メロディがヘンなのだ。我々は音楽を聞いているとき、次にどんな音がくるか、無意識にせよ、予想している。初めて聴く曲でもしている。この歌を聞きはじめた時にも、そうしていたはずだが、その予想がいちいち裏切られるのだ。予想がはずれる。予期したのとは違う音が聞えてくる。その後、くり返し聴いても、やはり予想と違う。こんなはずじゃないだろう、と感じる。
そして構造。同じメロディで1番、2番と歌ったら、たいていはそこでブリッジ、サビ、つまり別のメロディで歌われて、また元のメロディで3番、というのではない。同じメロディが延々と繰返される。
歌詞の内容も、ロックやポップスに多いラヴソングなどではないが、その時はわからなかったから、今は脇に置いておく。
そう、もう1つあった。この曲のクレジット、作曲者のところに “Trad.” と書いてあった。他の曲は “Winwood” とか “Wood” とか、バンド・メンバーの名前が書いてある。この曲だけ違う。Trad. は traditional の略ということはわかるが、traditional って、何だ? そういう種類の曲があるのか。
つまり〈John Barleycorn〉は当時のあたしにとってまったくの謎の歌だった。他の人たちがこれをどう聞いていたのかは知らない。大方は無視していたのではないかと思われる。アルバムは1970年のリリースだから、あたしが出会ったのはすでに5年ほど経っている。友人、知人で音楽に詳しそうな人間にこの歌について訊ねても、まともの返事はもらえなかった。trad. の意味もわからない。traditional の略だよ、というのが関の山だ。つまり誰が作ったのかはわからなかった。
別の角度から言えば、この歌を聞いて、愉しいとか、美しいとか、感動した、などということはなかった。謎がかきたてる不安は、その謎を解かないと解消しない。その頃は AI はおろかインターネットなどもありはしない。まったくの手探りで、まずは似たものを探すしかなかった。
それからこんにちまで半世紀、似た歌をあれこれと聴きつづけているわけだけれども、まるで飽きることがない。今でもこの歌を聴くと、やはり驚く。新鮮な驚きを感じる。ヘンな歌だよなあ、と思う。スティーヴィー・ウィンウッドも今でもこの歌を歌いつづけている。最近のライヴ・アルバムでもやっている。かつてのレコードとほとんどまったく同じだ。そして他の歌、曲とはまるで違っていて、レコードの中でそこだけ浮いているのも変わらない。ひとつだけ昔とは違うところがある。ウィンウッドが今でもこれをうたっているのを聴くと、あたしは嬉しくなるのだ。
アイルランドの伝統歌にハマるにも、やはり同じような驚きがきっかけになるだろうか。なるかならないか、まずはこれを聞いてみていただきたい。
うたい手と歌については次回。(ゆ)

