アンディ・アーヴァインの功績と軌跡:アイリッシュ・ブズーキ発展の物語


出典 https://blog.mcneelamusic.com/

アイルランドの楽器メーカーMcNeelaが公開しているブログの中から、伝説的なアイリッシュ・ブズーキ奏者の一人であるアンディ・アーヴァインと、アイリッシュ・ブズーキの歴史について解説している記事を許可を得て翻訳しました。

原文:Modern Day Irish Bouzouki Legend – Andy Irvine

アンディ・アーヴァインの功績と軌跡:アイリッシュ・ブズーキ発展の物語

アンディ・アーヴァインは、伝統的なアイルランド音楽の世界において、これまでに登場した中でも最も象徴的な音楽家の一人です。彼は複数の楽器(アイリッシュ・ブズーキ、ギター、マンドリンなど)を操るマルチプレイヤーであり、歌手であり、優れたソングライターでもあります。「それ自体がひとつの伝統である」「模倣されることはあっても、決して並ぶ者はいない」と称えられてきました。

アンディ・アーヴァインが音楽界で初めて大きな足跡を残したのは、1966年に結成された影響力の大きいグループ、スウィーニーズ・メンSweeney’s Menでの活動によるものでした。実際、彼が初めてアイリッシュ・ブズーキで録音したのは、このグループのデビューアルバムでした。

スウィーニーズ・メンは少し変わっていました。私たちは当時の流行よりも、自分たち自身の好みに迎合していましたし、実力としては同時代の最高のミュージシャンたちと肩を並べていたものの、聴衆を少しばかり困惑させていたと思います。
アンディ・アーヴァイン

1968年、アンディはバンドを離れ、東欧への旅に出ます。彼はブルガリア、ルーマニア、ユーゴスラビアを巡り、ストリートミュージシャンとして生計を立てながら、豊かなバルカン音楽の伝統を吸収していきました。

1970年にアイルランドへ戻った彼は、クリスティ・ムーアChristy Moore,、ドーナル・ラニーDónal Lunny、リアム・オフリンLiam O’Flynnと共に、同世代で最も影響力のあるグループのひとつであるプランクシティティPlanxtyを結成します。この伝説的なアイリッシュ・スーパーグループでの活動に続き、ポール・ブレイディPaul Brady、デ・ダナンDe Dannan、モザイクMozaik、アッシャーズ・アイランドUsher’s Islandなど、多くのアーティストやグループと共に演奏・録音を行っていきました。


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アンディ・アーヴァインの音楽と影響を探る

プランクシティティティ(Planxty)

プランクシティは、現存するアイルランド音楽グループの中でも最も影響力のある存在のひとつです。今日に至るまで、その人気と影響力に匹敵するグループはほとんどありません。彼らは伝統的なアイルランド音楽を世界に広め、その国際的な認知を高めた大きな立役者です。

アンディ・アーヴァインが、プランクシティの象徴的なメンバーたちと共に素晴らしい仲間に恵まれていたことは疑いようがありません。バンドの創設メンバーはそれぞれ、その後伝統的アイルランド音楽界で最も名の知られた存在へと成長していきました。

プランクシティは、特にフォークソングやバラッドに焦点を当てることで、当時の聴衆に新鮮な魅力を提供しました。彼らは英国のフォークミュージックシーンで大きな人気を獲得し、コンサートホールや劇場といった、それまでアイルランドのフォークバラッドが演奏されたり称賛されたりすることがほとんどなかった場所へと音楽を届けました。

バンドは1973年にセルフタイトルのデビューアルバムをリリースし、広く批評家から称賛されました。ジャケットの色から「ブラックアルバム」とも呼ばれるこの影響力の大きい作品は、現在でも最も象徴的なアイルランド音楽の録音のひとつとされています。

また、クリスティ・ムーアとアンディ・アーヴァインという二人の優れたソングライターを擁していたことで、彼らの丁寧かつ革新的なバラッド編曲は、フォークバラッドというジャンルを再び人気のあるものへと押し上げることに成功しました。

バルカンからの影響

アンディ・アーヴァインの象徴的なブズーキ演奏は、後の世代のアイリッシュ・ブズーキ奏者たちに大きな影響を与え続けており、その理由は明白です。彼は他文化の音楽要素を取り入れながらも、明確にアイルランドらしいサウンドを築き上げることに成功しました。特にプランクシティ初期の録音には、強いバルカン音楽の影響が色濃く表れています。

これが最もはっきりと感じられるのは、デビューアルバムのラストを飾るトラック「The Blacksmith」で、伝統曲「The Blacksmith」に続けて、アンディ自身の作曲である「Blacksmithereens」が演奏されています。

アーヴァインはこの曲を、東欧の旅で得た経験と、その時期にバルカンのフォーク音楽から受けた影響を反映させるために作曲しました。

アンディ・アーヴァイン & ポール・ブレイディ

アンディ・アーヴァインとポール・ブレイディの名声は非常に大きく、伝統的なアイルランド音楽の世界に詳しくない人でさえ、この象徴的な二人のことを耳にしたことがあるほどです。

1975年、プランクシティの(最初の!)解散後、アンディ・アーヴァインは友人であり同僚でもあるポール・ブレイディとともに新たな音楽活動を始めました。ポール・ブレイディは、プランクシティのラインナップでクリスティ・ムーアの後任として参加していた人物です。

現在、ポールは世界で最も優れたバラディア(バラッド歌い)であり、アイリッシュ・ギタリストのひとりとして広く認められています。この二人のコラボレーションは、アイルランドのフォーク音楽における最も重要な音楽的パートナーシップのひとつとされています。二人のセルフタイトル作品『Andy Irvine & Paul Brady』は1976年にリリースされ、以来ずっと名盤として高く評価され続けています。

このアルバムの根強い人気は2017年の再結成へとつながり、二人はアイルランドと英国各地で、40周年を祝うための公演ツアーを行い、いずれも完売となる大成功を収めました。

ギリシャからアイルランドへ ― ギリシャのブズーキがアイリッシュへと姿を変える


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アンディが初めてブズーキに出会ったのは1966年のことで、音楽仲間でありスウィーニーズ・メンのメンバーでもあったジョニー・モイニハンが、友人から贈られたギリシャ旅行のお土産としての楽器を持ってゴールウェイのセッションに現れた時でした。

その楽器は決して高品質とは言えませんでしたが、アンディの興味を強く引きつけ、ブズーキという楽器が持つ音楽的な可能性に気づかせるには十分でした。こうして、アイルランド音楽の風景は永遠に変わることとなります。

最初のアイリッシュ・ブズーキ

アンディが次に出会ったブズーキも、やはりジョニー・モイニハンによるものでした。ジョニーはロンドンを訪れた際、楽器製作家ジョン・ベイリーの工房で偶然にその楽器を見つけたのです。元々のギリシャのブズーキとは異なり、この楽器にはフラットバックが採用されており、後にアイリッシュ・ブズーキの一般的な特徴として定着していきました。

ジョニーはその新しい楽器に興味を持ち、幸運なことに、どうやらその楽器を注文した人が取りに来なかったようで、代わりにジョニーが購入しました。こうして彼はこの奇妙で新しい楽器をアイルランドへ持ち帰り、アイリッシュ・フラットバック・ブズーキが誕生することになりました。

この楽器を使って、アンディとジョニーは1968年にスウィーニーズ・メンとしてデビューアルバムを録音しました。当時は非常に珍しく異国的な楽器とみなされていましたが、それから今日に至るまで、アイリッシュ・ブズーキは大きく発展し、特にアイルランドのバラッドやフォークソングの伴奏として広く親しまれるようになりました。

アイリッシュ・ブズーキの弦の本数は?

ジョン・ベイリーによるこの最初の「アイリッシュ」ブズーキは6弦の楽器を8弦へと改造したものでした。ギリシャのブズーキには6本の弦をペアにしたタイプもありましたが、より一般的であった8弦仕様がベイリーの制作した楽器のモデルとなり、後にアイリッシュ・ブズーキの標準となっていきます。今日では、アイリッシュ・ブズーキは一般的に8弦で、4つのコース(2本1組)に分かれています。

しかし、この初期の楽器には欠点もありました。

ほかの誰かが弾くのはほとんど不可能でした……6弦用のネックに8本の弦は、かなり窮屈でした。でもこれが、アイルランド音楽で使われた最初のブズーキの1つになったのです。
アンディ・アーヴァイン


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アンディ・アーヴァインのアイリッシュ・ブズーキへの影響

1969年、旅の途中で、アンディはついにギリシャで自分自身のブズーキを手に入れました。資金を得るために、自分の血液を売ったという話もあり(それはまた別の機会に語るべきかもしれません)、まさに並外れた情熱と言えます。

そして1971年、この楽器によって、アンディはバンド仲間のドーナル・ラニーに初めてブズーキを紹介することになります。

ドーナルはそれまでブズーキを弾いたことがなかったのですが、すぐにコツをつかんで、私は『持っていけ、持っていけ!』と言いました。そしてドーナルは、いわゆるアイリッシュ・ブズーキを広めることに大きく貢献しました。
― アンディ・アーヴァイン

偶然とは本当に不思議なものです。もしゴールウェイのパブでの最初の出会いがなければ、アンディ・アーヴァインはアイリッシュ・ブズーキとの生涯にわたる恋に落ちることはなかったかもしれません。そして同時に、アンディの影響がなければ、もう一人の象徴的なアイリッシュ・ブズーキ奏者、ドーナル・ラニーも、この楽器を手に取ることはなかったかもしれないのです。

アイルランドのフォークソングの伴奏

アンディは、自動車事故によりツアー活動をしばらく休まざるを得なくなりました。療養期間中、彼はこの時間を利用してブズーキの技術を磨きました。それまでの主な楽器はギターでしたが、この頃から特に歌の伴奏におけるブズーキの可能性を探求し始めたのです。

ドーナル・ラニーやほかの演奏者たちは、ブズーキをパーカッシブな伴奏楽器、つまりリズム楽器として使うことが多かったのですが、私は歌を伴奏するために使いました。そしてそれをやったことを本当に嬉しく思っています。というのも、それ以来ずっと私にとって大きな意味を持つものになったからです。

バンドの中でドーナルは主にコードを弾き、時にはコード内のつなぎの音を入れることもしていましたが、私のスタイルは彼とは違い、もっと複雑だったと思います。

私は多くのハーモニーやカウンターメロディを弾き、また『ひとつのことを弾きながら別のものを歌う』という能力がありました。それはどちらにも集中せず、頭の中で一種の三角法のような計算をしなければならず、かなりの練習が必要でした。でもその結果、人々が『わあ、どうやって弾いているの?』と言ってくれるようなことができるようになり、私は成功の喜びでにっこりとするのでした。
― アンディ・アーヴァイン

アイリッシュ・ブズーキのチューニング

当時、アイリッシュ・テナーバンジョー、マンドリン、フィドルなどはすべてGDAEにチューニングされていましたが、アンディは自身のブズーキをGDADにチューニングしました。このチューニングは、最も高い弦をEではなくDにすることで、新鮮で魅力的なコード進行の可能性を広げました。

最高音の弦をDにすることで、どれだけ多くのコードが豊かになるかは驚くべきことです。AマイナーからCまで、どれも+9や+4になり、私はいつでもその響きを歓迎していました。(訳者注:コード表記でいう 「add9」「add4」「sus4」「9th」 と同じ考え方です)

Eにチューニングされた弦でGやDを弾く時のように、最高音の弦を常に意識する必要がなくなるのは、5弦バンジョーの5本目の弦に似た感じを与えてくれるのです。
― アンディ・アーヴァイン

このチューニングは現在、アイリッシュ・ブズーキの標準とされており、4つのコースに分かれた8弦をGDADに合わせるのが一般的です。


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アンディ・アーヴァインはどのブズーキを使っているのか?

1970年代以降、アンディはイギリスの製作家ステファン・ソベルStefan Sobellによるブズーキやマンドーラを愛用してきました。中でも彼が最も好んで演奏する楽器は、ギターのようなボディを持つため、よくギターと間違えられることがあります。

ステファン・ソベルが作ったブズーキ、マンドーラ、マンドリンを弾いてきましたが、80年代後半に、ブズーキでもっと丸みがあり温かみのある音が欲しいと思うようになりました。そして、より大きなボディがその答えであるという結論に至りました。大きな涙形のボディにする代わりに、持ちやすいギターの形を選びました。残念ながら、私を知らない人の多くはそれをギターだと思ってしまいます。

元のギリシャのブズーキの要素はほとんど残っていませんが、現代のギリシャのブズーキと同じく4コースの複弦で構成されており、もともとギリシャのブズーキがモデルだったので、今でも私たちはそれをブズーキと呼んでいます(ギリシャ人がいる時は別ですが…!)。私はGDADにチューニングしています。
― アンディ・アーヴァイン

アンディはまた、日本のギターメーカーであるK. Yairi製の美しく作られたブズーキも演奏しています。さらに、ニュージーランドのデイヴィ・スチュアートDavy Stuart製のベース・ブズーキ、通称「バスーキ」も使用しており、深く豊かな響きを持つCGDGにチューニングしています。

加えて、Fylde製のオクターブ・マンドーラも所有しており、こちらもブズーキ同様GDADでチューニングされています。

アンディ・アーヴァイン、80歳を祝う

今年(訳者注:2022年)、アンディ・アーヴァインは節目となる80歳の誕生日を迎え、ダブリンのヴィカー・ストリートで行われた公演は満席となりました。ステージには長年の友人であり音楽仲間でもあるポール・ブレイディ、ドーナル・ラニー、パディ・グラッキン、ジョン・ドイル、マイク・マクゴールドリックなど、多くの仲間たちが集いました。

偉大な音楽家の功績を祝うにふさわしい、まさに素晴らしいラインナップでした。彼のレガシーがこれからも長く続きますように。