ライター:field 洲崎一彦
前回、「人間の結びつきと広がりを生まない限り文化にはなり得ない」などと書いてしまったので、
「今は昔と違ってネットを通して世界中の人間の結びつきが出来ているではないか?」
という意見が聞こえてきてギョッとしています。
ネット空間という問題を考察するのは非常にややこしいので本当は必要以上には触れたくなかった。でも、この意見に対して無視もしづらい。
ひとつには、確かにその通りですとしか言えなくもない部分がたくさんありますね。ネットによって暴動も起これば革命も起こる。ヘタすりゃ戦争も起こる世の中ですから、これこそが人間の結びつきによる文化だ、と。
が、、、、
まったくその通りなのですが、何か違和感が残る。。。うまく言えないけれど、この違和感をぼんやり感じている人も実は多いのではないか? 多くの人がぼんやり違和感を感じているのに、うまく言語化出来ないまま時が過ぎ去って行く。そんな感じ、ありませんか? そうこうしてる間に、AIなんてものまでが当たり前になって来ていて、なんかゾワゾワしませんか?
この手の話をこれ以上ふくらませると、ややこしい世代論や社会論に突き進んでしまうので、話を音楽に戻すことにします。
例えば、アイルランド音楽。私がこれに親しみ始めた30年ほど前のことを考えると、この音楽はすごい広がりを持って普及したわけなのですが、この広がりこそ、ネットが無ければあり得なかったのではないかとは、私も思っているところです。
ネットによって未だ見知らぬ同好の人々と知り合うことが出来た。そのようなつながりから同好の人々が集まるイベントや場所を知る事が出来た。そして、他の音楽ジャンルとは一線を画すセッションという特有の楽器演奏の形態を知り、また、それに参加する道も開けた。アイルランド音楽の広がりはこのネットの持つ人の結びつきにずばりはまったのではないかと思います。
アイルランド音楽のセッションは、他の音楽ジャンルには見られない特徴があります。セッションを行う他の音楽ジャンルもいろいろと存在はしていますが、それらは、バンド演奏を模しながらバンドとは別の楽しみ方をするという側面のものがほとんどです。その点、アイルランド音楽のセッションは、バンド演奏から完全に独立した演奏形態であり文化ということが出きると思います。
また、一時は、「アイリッシュ・セッションのルール」などの概念が持てはやされたことがありましたが、実際には、セッションの場所毎にルールも違えば雰囲気も違うというもの、それがまさにセッション的であるのです。
何故そうなるのか?なのですが、アイルランド音楽のセッションは楽器演奏の場ではあるのですが、そこはそれぞれに人々の交流の場という要素が根強く横たわっています。
例えば、酒場ではお酒を片手に人々が交流する、セッションでは楽器を片手に人々が交流する、と言うわけですよね。例えば、交流が目的ならお酒は何でもいいのか?にはなりません。同じようにセッションでは、演奏はどうでもいいのか?にはならない。つまり、交流と演奏には同等の重きが置かれるわけです。
もし、良い演奏だけを求めたいのなら、セッションでなくても良い、というより、決まったメンバーで練習を重ねてバンド形態で演奏を錬磨する方が合理的に決まっている。が、セッションサウンドにはセッションサウンドとしての良さといいますか醍醐味が厳然と存在するのですね。バンドサウンドとどちらが良いかなどの比較はすでにナンセンスとも言えるのですが、このあたりの言語化はなかなか難しい。非情に難しい。
その時に集ったセッションメンバーの顔ぶれ。どこに座るか。まわりの環境(パブならば、その時の他のお客さんの様子等)などで、演奏は刻々と変化してしまうわけです。その時々のいろいろな偶然性というものの刺激に即興的に反応する何か、とでも申しましょうか。。
即興的などと書くと、ジャズのアドリブを連想される方も多いと思いますが、ある部分は似ているがある部分は似ていない。即興という即時即応性は同じだとしてもジャズのアドリブの様にメロディまでは崩れない。その枠の中での独特の緊張感というものが出現するのですね。
こう書くと、それは上級者たちの強者が集まった時に希に生まれるあの奇跡的なサウンドだろう?とおっしゃる方もいるでしょう。いえ、それだけではないのです。初心者の方々が入り交じったセッションにおいてもそのような瞬間はあり得るのです。が、それが音楽的にプラスに向かわない場合も含めてやはりその場の偶然性と即興性が生む醍醐味なのです。強者同士のセッションでもこの偶然性と即興性がマイナスに向かうことも普通に起こります。そういうプラスマイナスをひっくるめて、これはセッションでしか生まれ得ないサウンドだということが出来ると思うのです。
ここで、何が言いたいかと申しますと。これほど、泥臭い生の人間味が関与してしまう演奏形態があり、なおかつ、そこは同時に人間交流の場でもあるのです。なんと恐るべしアイリッシュ・セッション!
このようなセッションは、未だネットによるオンラインでの交流では実現する技術が存在していないわけです。ネットでのデジタルの音の伝達にはどうしても遅延が発生するというのは良く言われる理由ですが、例えば、隣のおっさんが酒臭い、などの雰囲気はネット空間では関知不可能なわけです。生の人間同士がぶつかり合う中から生まれる音楽。これを文化と呼ばすして何と申せましょうや。。。
そして、このようなアイリッシュ・セッションです。初心者、上級者が入り交じって泥臭い人間味がぶつかる場所なのです。時には摩擦も起こる。ケンカもするかもしれない。が、それらも含めてセッション文化なのだと、私は思うのです。
実は刻々と変化する流れの中にあることはfieldセッションも例外ではありません。気が付けば、人々が対立する最悪の空気に豹変する可能性を常に含んでいることも肝に銘じなければなりませんね(うそやで)笑。

