【第4回:シカゴとアイリッシュのお話】アメリカ・カナダとケルトのこじつけ旅行記

ヨーロッパから大量の移民がやって来る前のアメリカは、厳しい自然の中にある資源を命がけでゲットして金儲けしようというワイルドな人たちと、それを複雑な気持ちで見つめ、時に協力し、時に超攻撃する地元民ネイティブアメリカンの時代だったわけです。

割と北にあって、川やら湖も豊富にある便利な立地条件のシカゴには、動物の毛皮をゲットする集団の拠点みたいなのが築かれて、人が集まり始めたそうです。

当時の毛皮ゲット隊のリアルな感じを見てみたい方は「レヴェナント」って映画をご覧ください。

で、ジャガイモ飢饉です。(めっちゃ歴史をすっとばしました)

ただでさえ居心地の悪い英国に管理されたアイルランドで飢饉が起きたもんですから、みんな慌てて国を出て行きました。

その大きな受け皿となったのが、アメリカの東海岸ですね。

特にボストンやシカゴにはアイリッシュがたくさん定住しました。

▲移民の写真、実際はNY 出典 Pixabay

アイリッシュ同士の団結

雑にお伝えすると、「アメリカ高校」に転校(移住)してきたアイリッシュは、超後輩ポジションだったわけです。

周りにはアメリカ高校歴の長い先輩とか、なんなら中高一貫ですが何か?みたいな先輩もたくさんいたわけです。

だからそこで仕事を探そうにも、もはや全先輩がやりたがらない仕事しか残ってなかったので、危険な仕事(高所での建設作業やら消防士、警察官など)

▲昔の消防車 出典 Pixabay

なんとも居心地の悪い転校先での生活なので、せめて同中(アイリッシュ)同士は仲良くつるみましょうよ、ということで、とにかくアイリッシュはみんなで集まって、せめて他の学校から転校してきたやつらにだけは舐められないように、気合を入れていくわけですね。

こういう文化ですから、いいアイリッシュ組がある地域には、新たに転校してきたアイリッシュが寄り付きます。

それの代表がボストンやシカゴだったようです。

ちなみにシカゴが「はい、今日からこの辺り一帯をシカゴという街に認定しまーす」と言われたのは、ジャガイモ飢饉よりも少しあと、つまりすでにアイリッシュがたくさん住み着いたあとだったんです。

カトリックの教会建ててみた

ところで、アメリカは英国で急に誕生した英国国教会に反抗したけど「やかましい!」って追いやられた人たちが逃げるように移住しています。

ということはつまり、国のベースはプロテスタントなわけです。

でもそこには広大な土地がありますから、それにヨーロッパのいろいろな国から人も移住して来ますと、「プロテスタントはちょっと私のお口には合いませんわ…」という人たちだって出てくるもの。

そこに勝機を見出したのが移民アイリッシュ。

こちとら何百年もイングランド(プロテスタント)から嫌がらせを受け続けながら、きちんとカトリックの教えを守ってきてますから、しかもアメリカの第一言語の英語に関しても(こちらはイングランドのおかげで)しゃべれますから、今こそ我々の出番でしょう、ってな感じでアイリッシュ組の近くにたくさんカトリックの教会を建ててみました。

すると「あら、アメリカにもカトリックの教会がありますわよ」なんて感じで他の国からやってきた移民の人たちもわらわらとアイルランド組界隈に集まってきたというわけ。

ちょっと長くなったので、次回につづきます。

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