ライター:hatao
みなさんは、この曲を聴いたことがありますか?
今回は僕hataoが個人的に大好きな日本人ピアニスト、村松健さんのことをご紹介します。
村松健さんは1962年生まれ、現在は鹿児島県の奄美大島に暮らすピアニスト、作曲家です。
Wikipediaによると1983年の成城大学在学中に21歳で「Still Life Donuts」でアルバム・デビュー。
それ以後、自作自演のスタイルで作品を発表し続けています。
これまで数々のテレビCMやアニメのサウンドトラックを手掛けており、そのピアノのサウンドを、皆さんも耳にしたことがあるはずです。
初期の先品は、当時の流行だったジャズ・フュージョンのスタイルで作られており、シンセサイザー、ドラムス、ギター、ベースのバンド編成に生ピアノまたはエレキピアノというスタイルでした。
僕は北海道で生まれ育ったのですが、北海道では民放局の天気予報でこの曲がかかっていました。
それが村松健さんの曲だと知ったのは、もちろん、ずっと後のことです。
きっと北海道の皆さんにはなじみの曲だと思います。
この曲は84年の作品ですが、時代が感じられて僕はすごく懐かしい気持ちになります……。
90年代の作品はアコースティックなスタイルに変わり、ピアノ・ソロが主体で、伴奏がつく曲はストリングス、シンプルなドラムやパーカッション、ベースや管楽器が入ります。
これまで紹介した動画をご覧になった方はお気づきかもしれませんが、村松健さんの作品には日本古来の五音音階(田舎節)が使われている曲が多く、ピアノという洋楽器でありながらも日本情緒があふれる作風になっています。
その特徴は初期の作品から変わりなく、フュージョンというスタイルであっても節回しは和風……というところが、ユニークなサウンドを作っています。
あまり経歴については存じませんが、デビューしたての若い頃はスタジオ・ミュージシャンとしてかなりご活躍されていたのでしょう。
作品によってはクラシカルだったり、ジャズ風のアドリブをガンガンに展開したりと高い演奏テクニックと柔軟さを感じさせます。
しかしご自身名義のアルバムではカバー曲を演奏することはまれで、オリジナル作品の発表に強い思いを持っている様子が伝わります。
今年でデビュー37年になりますが、数多くの作品を聴いていると、どの時代にも一貫して村松健節とも言えるメロディがあり、音作りのスタイルは変わっても、メロディには時代の流行に囚われない普遍的な価値を持っていると思います。
その作品には印象的でキャッチーなメロディが多く、稀代のメロディ・メイカーだと思っています。
もし彼が、上手だけどオリジナリティがないスタジオ・ミュージシャンとか、流行に乗ったミュージシャンであればここまで長く多くのファンを獲得できなかったことでしょう。
最後に僕と村松健さんの音楽との出会いについて書きます(個人的にお会いしたことはありません)。
90年代中頃の高校生時代、ゲーム少年だった僕は歌詞がない「インスト音楽」に夢中になりました。
レンタルCD店に通って久石譲、姫神、喜多郎、ゴンチチ、S.E.N.S.、ウィンダム・ヒル・レーベル……と「イージー・リスニング」の棚にあるCDを片っ端から借りて聴きました。
まだ「ヒーリング」音楽が流行する前のことです。
その後2000年代のimage(イマージュ)レーベルの成功や葉加瀬太郎さんの情熱大陸コンサートなどでインスト音楽が世間の評価を得るずっと前。
小室哲哉サウンド全盛期の高校の友人とは分かりあえない音楽の趣味でした。
「もっと良い音楽はないか」。当時の僕は貪欲でした。
レンタルCDでは物足りずにNHKの深夜の放送終了後に流れる、国内観光地の映像と音楽だけの番組をBGMに受験勉強していました。
この番組の中にすごく好きな曲が流れていたのですが、曲名がわからず、探し求める日々。
そんな中で、たまたまCD店で買った村松健さんのCDに収録されていてパズルのピースが揃いました。
その頃にCD店で手に入れられるCDをいくつか買って本当によく聴きました。
僕の音楽の10%くらいは村松健さんで出来ています。
97年に大学に入学した頃、村松健さんのようなピアノが弾きたくてジャズ部に入部、下手なピアノを弾いていたのですが、その当時のジャズピアノの同級生に村松健さんのCDを貸したところ「俺は好きちゃう」と否定され(涙)、その友人の影響で民族音楽の道を進むことになります。
笛を吹くようになってからはピアノからも離れ、当時まで持っていたCDは、全部処分してしまいました。
それから長いあいだ村松健さんの音楽から離れたため、2000年以後の作品にはあまり馴染みがありません。
近年になりヤフオクできまぐれに昔のCDを買ったことから、村松健さんの音楽を再評価。
CDをコレクションして聴いています。
普段はケルト音楽ばかり聴いているのですが、時々、むしょうに村松健さんの曲が聴きたくなります。
10代の時に好きになった音楽や女の子によって、一生の価値観が作られるというのは言い過ぎでしょうか……。
最近また車の中で村松健さんの初期作品を流していたら、別の友人に「スーパーの音楽みたい」と言われてショックでしたが、自分の好きなものは誰になんと言われようと好き。
これからも大事に聴いていこうと思います。
次回の記事では、村松健さんの曲の魅力を深堀りしてみます。
ケルトとの意外な接点もあるんですよ。