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クラン・コラ Cran Coille:ケルト・北欧音楽の森
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Editor : hatao
July 2022
ケルトの笛屋さん発行
音楽を常識と軽さで取り扱う:field 洲崎一彦
前々回からのストーリーでは、私がこれまで自分の音楽をアイリッシュとアイリッシュ以外の2本立てで走らせる努力をし続けてしまっていた、というひねくれた過去への反省から、私の中でアイリッシュ音楽というものが、実際の音楽以上の情報洪水の中で開始されたという記憶に注目した結果、この情報洪水を排除すれば、同じ1本の線路に戻せるのではないかという仮設を立ててみたわけです。
そこで、「音楽からあらゆる情報を排除して純粋な音刺激としてこれを取り扱う」というスローガンを打ち立てたのでした。そして、それをいろいろと実践してみたところ、そんなこと出来るワケがない!という結論になり、それでは、ということで、「音楽は常識と軽さで取り扱うべきだ」という新たな命題を設定してみたのでした。
ここで言う常識というのは、例えば、憧れのミュージシャンの好物がカレーだったとします。それでは、自分もカレーを食べればこのミュージシャンに近づくことが出来る? ……わけでは無い。これが常識というものです。ここで、そのミュージシャンに近づきたい気持ちが過大になり、かつ確実な方法が何も無い場合、そういう崖っぷちに立たされた時にも冷静さを失わず、カレーに走らないという判断が、ここで言う常識なのです。
さて、皆さん、胸に手を当ててよーく思い返してみてください。これまで、自分はカレーに手を出していなかったか?!
一方で、軽さ、とは何でしょう。それは、「そんな固いこと言わずに、ここはひとつ誰々にあやかってカレー食おうや!」これです。これが軽さです。
すると、このスローガンは矛盾しているのか? と言う風に思われた方も多いでしょう。
そうです。ここで、矛盾してるだろう! と目くじらを立てる。これが軽くない、ということになるのですね。つまり、憧れのミュージシャンの好物であるカレー。このカレーに頼るのはダメだが、気軽に食べるのはむしろOKということなのです。このあたり、理屈では何とも割り切れない、いわく言いがたいものがありますね。
さて、話題は変わりますが、先日、当店でアイリッシュではない音楽のライブがありました。ひょんなご縁があって、特別にJ-Rockのファンでなくとも、名前を聞けばどっかで聞いた事があるぞ、というぐらいの知名度のミュージシャンの弾き語りライブでした。私は実際に観るのは初めてだったのですが、ああ、さすがにプロやなあ。演奏や歌もMCもそつなくて安心して聴いてられる。本当にすごいなあ……と。が、数曲終わったぐらいになって、ん? 何か物足りないぞと思い始めたのです。
ここしばらく、プロという人達の生演奏に接していないこともあって、生演奏というのは若いアマチュアの人達であったり、気合いだけで乗り切るおっさんであったり、そういうステージに慣らされていたのですね。変に緊張したり、間違ったり、MCで無言の時間がしらーっと流れたり、そんなステージばかり観てきたような気がします。それはそれで、その現場では、もう! そこで間違うなよ! とか、声聞こえへんぞ! とか、お客さん入れてるんやからもう少し練習して来いよ! とか、いろいろ突っ込みを入れていました。文句も言って来ました。しかし……
この、プロのステージにはそんなどきどきはらはらが全く無いのです。自然にステージに引き込まれてしまうのです。これが、お金の取れるエンターテイメントというものでしょう、まったくそうなのでしょう。しかしそこには、あの、独特の緊張感が無い。これが、物足りなく感じてしまっていた理由でした。
私は、従来は、人前で演奏するのだからもっとちゃんと観てる人達の事を考えて演奏すべし! などという正論を吐くタイプだったのです。その自分が、こんな風に感じるなんてちょっとショックでもあるのです。
やはり、自分の中の音楽観の何かが変わったのか。単に歳をとって、若者たちの不器用でもいいから一生懸命な姿を見たいということなのか……。
つまり、これも一種、「常識と軽さ」というテーマに沿った何らかの変化であると何か無理やりこじつけてしまいたいような気分にもなったと、まあそういう事があったのでした。
と、いうか、もう何でもええんちゃう?という投げやりな人生観に襲われているという風に言えないことはないのですが。。。(す)
Eileen Og:松井ゆみ子
わが音楽遍歴、または余はいかにして心配するのをやめてアイリッシュ・ミュージックを聴くようになったか・その12:大島豊
1970年代というのはすでに半世紀前で、まったくの別世界と言ってもおかしくはありません。何もない、平穏な時代でも50年は人間にとって短かい時間ではありません。ましてや我々の場合、間にデジタル革命がありました。テキスト、音声、画像の情報がデジタル化されることで、伝達のスピードがまったく段違いに速くなりました。起きていることはほぼリアルタイムに伝わります。伝わっている情報の量は厖大です。質の幅も『ブリタニカ』の記事から意図的なフェイクまで、とんでもなく大きい。今の我々に見えている、聞えている世界は、半世紀前の世界とは質が違ってしまっています。
アイリッシュ・ミュージックはその革命の恩恵を最もポジティヴな形で受けたものの一つです。その結果、こんにち、アイリッシュ・ミュージックは世界の音楽シーンに確固たる位置を確立しています。たとえその音楽を好まない人であっても、アイリッシュ・ミュージックの伝統の存在と価値を否定することはできません。
けれども、デジタル革命の恩恵を大きく受けたことは、裏を返せば、それ以前の事態は今の逆になります。デジタル革命以前にはアイリッシュ・ミュージックの存在は本国とスコットランドやブルターニュなどの親戚筋、およびイングランド、北米、オーストラリアの中でも移民コミュニティを除けばほとんど知られていませんでした。1970年代後半当時、アイリッシュ・ミュージックを知らなかったのは、わが国の住人だけではなく、世界が知りませんでした。一般の人びとにとっては、つまりデジタル革命以前に何らかの僥倖に恵まれてアイリッシュ・ミュージックに出逢い、その魅力に囚われていなかった人たちにとっては、アイリッシュ・ミュージックは1990年代末に突如として、どこからともなく出現したように見えたでしょう。ぼくはたまたまその僥倖に恵まれた1人でした。
トラフィックの〈John Barleycorn〉によって引っぱりこまれた世界はイングランドだけに限られたものではありませんでした。ブリテン島に限られたものでもありませんでした。1970年代後半当時、「ブラックホーク」で聴くことのできた音楽の中には、イングランド、スコットランド、アイルランドの伝統音楽に加えて、少し遅れて Ar Log を筆頭として出てきたウェールズ、Malicorne に代表されるフランス、Kolinda とムジュカーシュが飛びだしてきたハンガリーの音楽も含まれていました。ブルターニュではアラン・スティヴェールが早くから活動していることもわかりました。こんにちでは、アイリッシュ・ミュージックに親しむ人はおそらくまず真直ぐにアイルランドの音楽に、いわば他の音楽には目もくれずに入ってゆくでしょう。半世紀前にはそうではありませんでした。我々はこうしたヨーロッパの伝統音楽、現代化された伝統音楽の中の一部として、アイルランドの伝統音楽に接していました。同時に、こうした音楽を通じて、「イギリス」や「フランス」として認識していた枠組みが唯一絶対ではないことも教えられました。スコットランド、ウェールズ、イングランド、アイルランドは「イギリス」の中にあって各々に独自の性格を備えた文化圏であることが見えてきました。当時、同様の見方をしていたのは、サッカーやラグビーのファンぐらいだったでしょう。
そしてぼくの場合、こうした現代化された伝統音楽に導かれたのは、まず第一に歌でした。これもまたこんにちとは事態が異なる側面です。アイリッシュ・ミュージックと言えばまず器楽、インストルメンタル、ダンス・チューンの演奏をさすことは、本国でも同じです。シャン・ノースをはじめ、歌の比重も軽くはありませんが、演奏人口、演奏される機会の数は圧倒的に器楽です。われわれ異邦人、つまりその音楽の伝統に生まれ育ったのではない人間の場合、さらに加えて歌は「非関税障壁」のように、目に見えない壁のように作用します。このことは伝統音楽に限ったことではありません。ジャズの世界的な演奏家はどこの国、地域からも出ていますが、ことジャズ・シンガーとなるとアメリカ、ブリテン以外から世界的な存在は(まだ)出ていません(クラシックのシンガーはまた別の話です)。
もっともアイルランド、スコットランドの、いわゆるケルト系ダンス・チューンは比較的早く聴いています。フェアポート・コンヴェンションのおかげです。1976年に、フェアポート・コンヴェンションの1970年のロサンゼルスでのライヴ音源が《Live At The L. A. Troubadour》としてリリースされます。1970年は通称《フルハウス》・フェアポートの時期で、サンディ・デニーが脱けて間も無い頃です。メインのシンガーを失ったバンドは勢い器楽演奏に力を入れるようになります。アルバム冒頭に〈The Lark in the Morning〉メドレー、B面に〈Mason’s Apron〉が入っています。前者は1969年の《Liege & Lief》に初出のトラックで〈The Lark in the Morning> Rakish Paddy> Foxhunter’s Jig> Toss the Feathers〉。今から見れば定番のメドレーですが、初めて聴いた時の衝撃は今なお新鮮に想いだされます。〈Mason’s Apron〉はむしろ「凄惨」と呼びたくなるほどアグレッシヴで、ケルト系ダンス・チューンのこれほどハードで鬼気迫る演奏は、いかなるフォーマットでも他に聴いたことはありません。中にはイタくて聴いていられないという人もいそうな程です。
このアルバムは当時、「ブラックホーク」で最も多くリクエストを受けたものの1枚でしたし、自分でも買いこんで、繰返し聴いたものです。おかげで、上記のメドレーはほとんど血肉化しているとも思えます。またフェアポート・コンヴェンションの録音を聴いたのもこれが初めてでした。ぼくはここから入って、前と後ろに辿っていったのでした。ちなみにどういう事情か、このアルバムだけはデジタル化されていません。とはいうものの、あるいはイングランドのロック・バンドのフォーマットで初めて接したからでしょうか、これがアイルランドの伝統音楽であることは、かなり後になるまで認識しませんでした。このダンス・チューンはぼくにとってはアイルランドの音楽というよりは、フェアポートの音楽でした。上記メドレー冒頭の「カン、カン」が、アイルランドのケイリ・バンド演奏へのオマージュであるとわかるのは、ずっと後になります。
アイルランドの伝統音楽として初めて認識したのはクリスティ・ムーアの歌でした。やはり1976年に出た《Christy Moore》です。彼の名義のアルバムとしては4作目にあたります。聴いたのはプランクシティよりも先でしたから、彼の何者なるかは知るはずもありません。ただ、アイルランドのシンガーであること、発音、発声が他の伝統音楽のシンガーたちとは違うことはわかりました。それがわかったからといって、すぐさまアイルランドに関心が向かったわけではありません。その時点ではまだ、ヨーロッパというよりはブリテン諸島のどこかという漠然とした把握です。イギリスではなく、イングランドとスコットランドという別々の文化圏に、もう一つ、別の文化圏があるらしい、とぼんやりと見えてきた程度でした。
このアルバムがこの時に出て、それに出会ったのも僥倖の一つです。クリスティのアルバムは1枚ごとに性格が異なり、各々にまったく別の方向を目指しています。ここではプランクシティの経験を経て、もう一度、ルーツに向き合おうとした、と後で本人が言っています。そのルーツは必ずしもアイルランドだけではありません。クリスティが歌いはじめたのは、イングランドでフォーク・リヴァイヴァルに接したからで、それもまたかれにとってのルーツの一つです。ですからここには〈The dalesman’s litany〉のようなイングランド北部の伝統歌もあれば、ウッディ・ガスリーもあります。アイルランド版ではありますが〈Little Musgrave〉もあります。この歌はやはりフェアポートがとりあげてドラマティックなアレンジを施し、上記《L. A. Troubadour》にも収められています。一方で、〈Lannigan’s Ball〉や〈Boys of Mullabawna〉〈Limerick rake〉〈Scariff martyrs〉といったアイルランドの固有名詞をタイトルとした曲が並んでもいます。伝統歌だけでなく、後に Luka Bloom として成功する実弟 Barry Moore の曲や〈Nancy Spain〉のようなオリジナル曲もあります。こうしてこのアルバムは既に多少親しんでいたイングランドの伝統歌とアイルランドの歌をつないでくれたのでした。
アナログ時代にはぼくらは筋をたどって新しいものを探しました。デジタルならリンクを踏むところを、同じ曲をやっている、とか、あそこにいたあの人がここにいるとかという筋に沿うわけです。「ブラックホーク」でこうしたヨーロッパの伝統音楽を紹介していた松平維秋さんが初めてこの手のレコードに出逢うのも筋です。1970年代初めのある日、渋谷・道玄坂にあったヤマハの輸入盤コーナーでニック・ジョーンズのファースト《Ballads And Songs》1970を見つけ、収録曲の中に〈Sir Patrick Spence〉を見て、松平さんはこれを買います。フェアポート・コンヴェンションがやっていたからです。
ニック・ジョーンズのことは、アイルランドとは直接関係がなく、あるいは書かずにすませる方がよいかと思ったのですが、やはり避けては通れないようです。次回、かれについて書くことにします。
伝統音楽家検定試験「SCT」体験記:hatao
編集後記
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クラン・コラ:アイルランド音楽の森(月1回刊)
発行元:ケルトの笛屋さん
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