アイルランド伝統音楽でのコンサーティーナの発展の歴史


出典 https://blog.mcneelamusic.com/

アイルランドの楽器メーカーMcNeelaが公開しているブログの中から「コンサーティーナの発展の歴史」についての記事を許可を得て翻訳しました。

原文:The Golden Age of Irish Concertina Playing 1870 – 1930

アイルランド伝統音楽でのコンサーティーナの発展の歴史

アングロ・ジャーマン・コンサーティーナ(しばしばアングロ・コンサーティーナと略される)は、アイルランドの19世紀と20世紀に魅力的な旅をしました。コンサーティーナはアイルランドの大飢饉時代が終わった後に人気が出始め、その人気は1930年代頃まで衰えることはありませんでした。しかし宗教的、政治的な干渉により、ほとんど壊滅的と言って良いほどに衰退しました。コンサーティーナの伝統は、クレア州の数少ない頑健な変り者たちのおかげで、消滅の危機をまぬがれたのです。

Bean Chairdín

アイルランドの貧しい人々の間でコンサーティーナの人気が最初に高まったきっかけは、2列ボタンのドイツ製コンサーティーナが安価で入手できたことによります。コンサーティナは通常、家の集まりや交差点、ハウス・ダンスで演奏され、女性の楽器と見なされていました。実際、アイルランド語ではBean chairdínと呼ばれ、文字通り「女性のアコーディオン」を意味していました。それはアコーディオンをより繊細に、より甘くしたような楽器で、当時は女性の好みに合っていたのです。おしゃべりに混じって聞こえるほどのボリューム感のあるリードの音のおかげで、近所の人たちが小さなグループで集まってキッチンでハーフセットを踊る「ハウスダンス」で、コンサーティーナは人気がありました。

また、コンサーティーナは小型であるため保管が容易で、場所を取らず持ち運びに便利でした。これは、ただでさえ狭い室内の社交場では重要な要素でした。当時のほとんどの家では、煙突スペースにコンサーティーナを置くための穴が作られていて、家族や訪問したミュージシャンがすぐに手にとって演奏できるようになっていました。


出典 https://blog.mcneelamusic.com/

アイリッシュ・コンサーティーナの登場

オリジナルのアングロ・コンサーティーナには、両側に2列の鍵盤があるだけなので、簡単に習得できました。そのためコンサーティーナは伝統音楽にまたたく間に浸透し、一部の人々から、パイプスなどのいわゆる固有の楽器が喪失してしまうことを恐れられ、批難を浴びたのです。

1897年、ロンドンの音楽雑誌に寄せられた手紙に、このような懸念が記されています。

安価なドイツ製のコンサーティーナが時折見受けられます。私は、ドイツから輸入された楽器のために、アイルランド産のハープやバグパイプが消えてしまったように思えることが残念でなりません*。
― Worrall: 201

幸いなことに、現在でもハープとイリアン・パイプスは健在ですから、この紳士の心配は杞憂に終わりました。そしてこのような「安価なドイツ製コンサーティーナ」が普及したおかげで、現在では世界中にコンサーティーナ演奏者のコミュニティが発展しているのです。

しかし、これは昔からそうだったわけではありません。1930年代、アイルランドにおけるコンサーティーナの未来は、非常に暗いものに見えました。では、なぜコンサーティーナの人気は突然途絶えてしまったのでしょうか? それはまた別のブログ記事でご紹介するとして、その理由は魅力的であると同時に、腹立たしい内容であることは間違いありません。

「1930年代、アイルランドのコンサーティーナ演奏は壊滅的なまでに衰退した」

*Worrall, Dan. 2010. The Anglo-German Concertina: A Social History, Volumes I and II, Third Edition as cited by Noel Fahey http://midnight-court.com