ライター:大島 豊
前回の記事で “DAP” がわからないというご指摘がありました。Digital Audio Player の略です。内蔵された記憶装置に収められたデジタル・ファイルの形の音楽または音声を再生する装置です。ほとんどは携帯用で、iPod がその嚆矢です。
携帯用のオーディオ再生装置はもちろん Walkman に始まります。これは音楽のリスニングをスピーカーから解放した点で画期的でした。革命といっていい。そこで使われたのはまずカセット・テープ、次にCDでした。ソニーはその次に MD、ミニ・ディスクを開発して採用します。一時的には世代交代して、ぼくもインタヴューなどに使いましたし、ミュージシャンが自分のライヴを録音するのにも使われました。ミニ・ディスクもデジタル・ファイルを収録する点で、DAP ではあります。けれども、パッケージ・メディアである点ではカセットやCD-Rと同じで、収録時間はかなり限られたものでした。
iPod が画期的だったのは、ハード・ディスクを採用して、メディアを入れ替える必要から解放したことと次元が異なるほど大きな容量を備えたことです。数百時間分の音楽を持ち歩くことができるようになりました。前回書いたシャッフル再生への耽溺も、iPod だからこそ可能になったのでした。
ソニーは MD に固執し、その結果、DAP 開発から一度脱落します。
iPod に始まった DAP は進化を続け、内臓の記憶装置はハード・ディスクからメモリになり、さらに外部記憶装置としてSDカード、マイクロSDカードが採用されました。現在、最大のモデルでは内臓256GB、マイクロSDカード2TBまでサポートしています。また、WiFi などの無線機能も備えて、ストリーミングの再生もできるのが普通です。スマホやタブレット、PCと差別化するため、動画再生機能は捨てて、音楽の再生に機能を絞り、他の機器からは隔絶した音質と使い勝手の良さを実現しています。
ぼくも iPod から始まり、何種類かの DAP を使ってきました。中にはニール・ヤングが音頭をとって開発した Pono というものもありました。現在メインで使っているのは HiBy RS2 です。
なぜこれを使っているか、本稿の主旨からははずれるので、くわしくは書きませんが、主要な点だけあげれば、DAC = Digital Analog Converter つまりデジタルのファイルを音楽に変換する方式と、無線機能を全部きり捨てて音楽再生に特化していることの二つから、雑味がなく、鮮明でクリアな音が気持よいからです。加えてマイクロSDカード用スロットが二つあるのも現役機種では他には無く、今のぼくの聴き方にうまく合うこともあります。無線機能をすべて捨てたことは価格が相対的に安いことにも貢献しているでしょう。
ぼくとしてはこれは色々な意味で、アイリッシュ・ミュージックの再生に適した DAP と見ています。今、試みているのは、これと組み合わせて、アイリッシュ・ミュージックの再生に適したイヤフォンないしヘッドフォンを見つけることです。
iPod の時に比べると、DAP の使い方もかなり変わっています。ということは音楽の聴き方が変わっています。今の聴き方はアルバム単位です。シャッフル再生はほとんどしません。1枚のアルバムを頭から順番に聴いています。同じアルバムを頻繁にくり返して聴くようであれば、シャッフルで聴くこともあります。アルバムで聴いてなじんだら次にやるのは、収録曲の気になるもの、面白い曲の別ヴァージョンを探します。手許のライブラリに無ければ、ストリーミング・サーヴィスまで対象を広げます。
こういう形におちついたのは、アルバムという単位がなかなか奥深いものであることに気がついたためでした。
アルバムはもともとはSP盤を複数束ねたものの呼称です。それと同等の収録時間を1枚で備えたのが30センチLP盤で、そこでLP盤をアルバムと呼びました。LPは Long Player の略で、片面20分前後、両面で40〜50分というのが標準的な収録時間です。直径12インチ=30センチの円盤というのは面白いサイズです。初期には10インチ=25センチのLPもありましたが、すぐに消えました。シングルは7インチ=17センチ。つまり、これ以上小さくしてはシングルに近くなりますし、収録時間も少ない。これ以上大きくするのは扱いにくい。30センチというサイズはなんともうまい具合にバランスがとれています。
もう一つ重要なのはLP盤の片面20分前後という長さが、音楽を聴く場合の人間の集中力の平均的持続時間とも合っていたのです。こういうのをセレンディプティというのでしょう。
ジャズも含めたポピュラー音楽では、LPの収録時間のアルバム片面というのは、作るにも聞くにも、実にちょうど良い長さです。CDが登場した直後、メディアの収録限界一杯に詰めこんだために、個々の楽曲は良いのに、全体の構成が破綻して、通して聞くのが辛いものが少なくありませんでした。現在ではCDでリリースされるアルバムの収録時間は基本的にLP時代の長さを踏襲しています。CDの収録限界に挑戦するのは、音楽の内容がそれを求める場合に限られます。
もちろん今では音楽のリリースの形態は多様化しています。YouTube や SNS でのビデオを中心にして、アルバムという形式にこだわらない人たちもいます。とはいえ、少なくともぼくが積極的に聴いている、最近の感覚で言えば頻繁に呼ばれている音楽では、アルバムという形式は「作品」の単位としても意味を持っています。そこで、CDの形、あるいはファイルの形でアルバムを買ってはその単位で聴くようになってきました。
今、思いかえすと、2010年代以降、本朝の人たちによるアイリッシュ・ミュージックのライヴに通いだしてから、そういう傾向が強まったように思われます。ライヴに行って、会場で売られているCDを買い、帰ってこれを聴く、というのが一つのパターンになりました。そしてそういう場合にはシャッフルで聴きたいという欲求は湧いてきません。ライヴの記憶を洗いなおしたり、録音で聴いた楽曲のライヴでの演奏を確認することの方が面白いのです。
こうしてシャッフルによって一度解体されたと見えたアルバムは、新たな意味をまとって、ぼくの前にたち現れました。このところは次回もう少し説明します。(ゆ)