忘れられた音色──アイルランドのコンサーティーナが消えた時代(1930–1960)


出典 https://blog.mcneelamusic.com/

アイルランドの楽器メーカーMcNeelaが公開しているブログの中から、コンサーティーナにまつわる歴史について解説している記事を許可を得て翻訳しました。

原文:The Catastrophic Decline of Irish Concertina Playing 1930 – 1960

忘れられた音色──アイルランドのコンサーティーナが消えた時代(1930–1960)

前回のブログ記事「アイルランドにおけるコンサーティーナ演奏の黄金期」でお話ししたように、コンサーティーナは「外国から来た侵入者」として、先住の楽器が脅かされるのではないかと心配する一部の人々から、いくぶん疑いの目で見られていました。この懸念は、ゲーリック・リーグのような、アイルランドの生活様式を守り、広めようとする公的な団体にも共有されていました。

幸いにも、このような知的・文化的な非難があったにもかかわらず、それだけで熱心なアイルランドのコンサーティーナ奏者たちの情熱をくじくことはできませんでした。では、1930年代に一体何が起きて、アイルランドのコンサーティーナ演奏が衰退してしまったのでしょうか?

新共和国における教会の役割

実のところ、この愛すべき楽器が劇的に衰退した背景には、いくつかの要因がありました。1922年、アイルランド自由国が正式に成立し、32の県のうち26県がついにイギリスの支配から解放され、何世紀ぶりにアイルランドの人々が自らの文化的・経済的未来を決定できるようになりました。そして1932年には、アイルランド系アメリカ人の共和主義者であり、敬虔なカトリック教徒でもあったエイモン・デ・ヴァレラEamon de Valeraが、真に権力を握り、新たな国家理念の形成において中心的な役割を果たすことになりました。


出典 https://blog.mcneelamusic.com/

その人物(デ・ヴァレラ)に対してどのような個人的意見をお持ちであっても、近年までアイルランド文化の中で教会が圧倒的な影響力を持っていたことは疑いようがありません。(ちなみに、アイルランドが憲法から「冒涜罪に関する条項」を削除することを国民投票で決めたのは、つい2018年のことです。)

このような教会の地位の高さは、アイルランド憲法の制定過程において、デ・ヴァレラとその支持者たちがカトリック教会に極めて中心的な役割を与えたことに起因しています。

その結果、アイルランドの農村文化と音楽に対して、ゆっくりとした「道徳的締め付け」が始まりました。特にコンサーティーナにとって大きな影響を与えたのは、「ハウスダンス(家で開かれるダンス)」が「教区ホール(パリッシュ・ホール)」に移されたことでした。

当時のアイルランドのカトリック司祭たちは、ほんのわずかな「ふしだらな振る舞いの機会」でさえも恐れ、敬虔なアイルランドの男女が、神の御心に反して“足首”や“甘い視線”に誘惑されることのないよう、監視の目を光らせられる場所でダンスを開催しなければならないと考えていたのです。

この移行はまた、愛されていたアイルランドの娯楽を「収益化」することにもつながり、財政的に厳しかったアイルランド教会にとっては悪い話ではありませんでした。

公衆ダンスホール法

こうして1935年、物議を醸す「公衆ダンスホール法(Public Dance Halls Act)」が制定されました。

その結果、居心地の良いキッチンでのセッションで活躍していたコンサーティーナ奏者の姿は消え、「大ホールのバンド(Big Hall Band)」が取って代わることになりました。このスタイルの一形態は、現代の「ケーリー・バンド(céilí band)」として現在も一部に残っています。

そしてアイルランドの伝統舞踊の多くは、スウィング、ワルツ、ジャイブ、ジャズといった国際的な影響を受けたダンススタイルに取って代わられ、ダンスホールがアイルランドの農村部を席巻しました。

いずれにせよこの流れは起こったかもしれませんが、この法律が「コンサーティーナ文化の棺に打たれた決定的な釘」であったことは間違いありません。


出典 https://blog.mcneelamusic.com/

その後、アイルランド音楽界で存続の危機にあった伝統音楽の中で、ケーリー・バンド(céilí band)が台頭したこと、さらに「外国製の楽器」に対する制度的な不信感が重なり、控えめな存在だったコンサーティーナは次第にアイルランド伝統音楽の世界から姿を消していきました。

大きな空間では音が通らず、他の楽器とは調が異なることも多かった(ドイツ製の2列コンサーティーナは2つの調しか演奏できませんでした)ため、より大きく音量のあるアコーディオンが取って代わりました。

そして、人々が音楽の流れに合わせて移り変わる中で、コンサーティーナはゆっくりと、しかし確実に忘れ去られ、アイルランド西海岸の美しい一つの州の演奏家たちの努力がなければ、時の記録の中に埋もれてしまっていたでしょう。

クレア県(Co. Clare)は、コンサーティーナが最も衰退していた時代でさえ、20世紀を代表する多くの名奏者を輩出しました。

次回のブログ記事では、1930年代から50年代の終わりにかけてアイルランドのコンサーティーナを力強く生かし続けた、クレア出身の偉大な奏者エリザベス・クロッティ(Elizabeth Crotty)についてご紹介します。

アイルランドのコンサーティーナ演奏の「救世主」とも称される彼女の物語を、ぜひご覧ください