
出典 Famine Ship by Michelle O’Riordan, CC BY 2.0
アイルランドの楽器メーカーMcNeelaが公開しているブログの中から、SNSでも話題になっている船乗りたちの労働歌「シー・シャンティ」について解説している記事を許可を得て翻訳しました。
原文:The Very Irish Roots of Sea Shanties
アイリッシュ度MAXなシー・シャンティのルーツ
すでに奇妙で予測不能な年となっている中で、私が最も驚かされた新しい流行は、シー・シャンティの人気が突然高まったことです。この年寄りには理解できない理由で、これらの船乗りたちの労働歌が再び脚光を浴びているのです。この復活はどのように始まったのでしょうか?さあ乗り込んで、ちょっとした冒険に出かけましょう。
The Wellerman
すべては、若いスコットランド人が19世紀の捕鯨歌「Soon May the Wellerman Come」、通称「The Wellerman」として広く知られるようになった曲――を歌ったことから始まりました。その歌唱が多くの人々の注目を集めたのです。「The Wellerman」は一夜にして世界的なセンセーションとなり、若きフォーク歌手ネイサン・エヴァンスNathan Evansがレコード契約を結ぶきっかけにさえなりました。
シー・シャンティの流行は一過性のものかもしれませんし、あるいはこれからも続いていくのかもしれません。誰にも分かりません。どちらにしても、私はこれが新しい聴衆を音楽的な発見と探求の旅へと導き、彼らにアイリッシュ・フォーク音楽の刺激的な世界を紹介してくれることを期待しています。
もちろん、世界中のフォーク音楽愛好家にとっては、このジャンルの魅力はすでに知られています。それは多くのフォーク音楽の伝統に欠かせないものです。アイルランド伝統音楽の中でも特に人気があるため、スライゴー県のロッセズ・ポイントRosses Pointでは毎年シー・シャンティ・フェスティバルが開催されています。
しかし、これらのフォークソングをこれほど人気にしているのは一体何でしょうか。キャッチーなメロディーでしょうか、協働的な物語性でしょうか、それとも無限に広がるハーモニーの可能性でしょうか。
ソロで歌うのが好きでない人にとっても、シー・シャンティは素晴らしい合唱曲です。すべての良いフォークソングと同じように、これらの歌は良い物語を語ります。そしてまさにそれこそが保存されるべき理由なのです。なぜなら、これらは19世紀に海で働く船乗りたちの生活を語っているからです。
― ウィリー・マーフィー
理由はどうであれ、私にとってはお気に入りのフォークソングを改めて探り直し、最高のアイルランドのシー・シャンティを紹介できる歓迎すべき機会なのです。
シー・シャンティとは?
最初に、シー・シャンティとは、ただの海をテーマにした歌ではありません。この言葉は最も一般的には、19世紀の大西洋横断商船の船上で歌われていた労働歌を指します。
これらの歌には役割がありました。士気を保ち、船上での作業を同期させることです。コール&レスポンス形式のシャンティは、小規模な乗組員が作業を行う際の統一されたリズムを作り出しました。
異なる作業には異なる歌が使われました。
キャプスタン・シャンティはウィンドラスを回して錨を上げ下げするときに使われましたが、他の仕事の際にも歌われました。ハリヤード・シャンティは帆を上げるときに使われ、歌の形式はどの帆を上げるかによって異なりました。ポンプ作業の際には、みんなで歌える力強いコーラスがあれば、古い海の歌でも流行歌でも構いませんでした。これがシャンティの分類を巡る混乱の大きな要因となっています。
多くのシー・シャンティは複数の目的に使われ、歌の構造もその時の乗組員のニーズに合わせて変化しました。シャンティマン(先導役)は歌をリードし、乗組員をまとめる責任を負っていました。テンポを決めるのは彼の役割でした。どうやら歌がうまければ仕事で少し余分に稼げることもあったようです!
アイルランドのシー・シャンティ
シー・シャンティは混成的な音楽形態です。想像できるように、船は文化的なるつぼでした。しかし、このジャンルに明確なアイルランドの影響があることは否定できません。
たとえば、世界で最も有名なシー・シャンティのひとつ「What Shall We Do With The Drunken Sailor(酔っ払った水夫をどうしようか)」は、アイルランドのフォークソング「Óró Sé Do Bheatha ‘Bhaile」と同じ旋律を共有しています。では、このアイルランド的影響はどのように生まれたのでしょうか?
19世紀で最も人気のあった航路のひとつが、リヴァプールとニューヨークを結ぶものでした。どちらの都市も大きなアイルランド移民コミュニティで有名でした。これほど大きなアイルランド人口を抱える都市を結ぶ航路に、アイルランド人乗組員が多数を占めていたのは当然のことです。
多くのシャンティにはアイルランドの旋律、つまりダンスや民謡、マーチが含まれていました。そして多くのシャンティの言葉や表現もアイルランド起源であっただけでなく、シャンティマンがアイルランド訛りを真似て歌うのが習わしだった場合もあったのです。西洋航路のパケット船の船乗りたちはほぼ100%アイルランド人で、彼らが最高のシャンティを数多く生み出したのですから、歌を作るときにアイルランドの旋律や言葉を選んだのはごく自然なことでした。
― スタン・ヒューギル
そして、私たちアイルランド人がいつもやってきたように、どこへ行っても音楽の伝統を持ち込んだのです。大海原も例外ではありませんでした!
「Leave Her Johnny Leave Her」
「Leave Her Johnny Leave Her」は最もよく知られるシー・シャンティのひとつであり、アイルランド伝統音楽の世界でも頻繁に歌われています。もともとはキャプスタン、ハリヤード、ポンプ・シャンティとして歌われ、歌い方の形式によって役割が変わりました。しかし最も多く歌われたのは航海の終わり、最後の排水作業のときで、乗組員が海上で溜め込んだ不満を吐き出す機会でした。
Leave her, Johnny, leave her!
Oh, leave her, Johnny, leave her!
For the voyage is done and the winds don’t blow,
And it’s time for us to leave her.
ここで言う「her」とは船のことですが、下船する前に不満も船と一緒に港に置いていくのは良い考えだったに違いありません。このシャンティはアイルランド大飢饉の頃に生まれたと考えられています。私のお気に入りのひとつは、トミー・メイケムとリアム・クランシーという象徴的なデュオが歌うバージョンです。ただし、オリジナルよりも少し感傷的な雰囲気があるかもしれません。
Clear the Track, Let the Bulgine Run
「Clear the Track(クリア・ザ・トラック)」は「Eliza Lee(エライザ・リー)」としても知られていますが、実はその始まりはアイルランドのラブソングでした。この有名なシー・シャンティは、伝統的なアイルランド民謡「Siúl a Ghrá(シュール・ア・グラー)」と同じ旋律を持っています。
この曲はアメリカに渡り、鉄道網で働く労働者たちによって歌われました。そこで歌詞に出てくる「Bulgine(ブルジーン)」とは、鉄道の機関車を指す俗語でした。
Hey rig a jig in a low back car,
A he, a ho, are you most done?
Eliza Lee all on my knee,
Clear away the track and let the bulgine run.
その後、港に戻ってきて船員たちに受け継がれ、キャプスタン・シャンティとして歌われるようになりました。ただしこの頃には、すでに旅の途中で多くの音楽的影響を取り入れており、とりわけ鉄道時代に加わったアフリカ系アメリカ人の音楽的影響が顕著でした。したがって、この歌のルーツは間違いなくアイルランドにありますが、今日では大西洋をまたいだ音楽として考えるべきでしょう。
We’re All Bound to Go
「We’re All Bound to Go(俺たちはみんな行き先が決まっている)」―「The Irish Emigrant Song(アイルランド移民の歌)」や「Heave Away My Johnny」としても知られるこの曲は、出航時に使われたブレーキ・ウィンドラス・シャンティでした。
ジグの旋律にのせて歌われ、スタン・ヒューギルが収集したオリジナルのバージョンでは、船上での水夫のちょっとした失敗談が語られています。しかし、ほとんどのシャンティやフォークソングと同様に、この歌にもいくつかの異なるバージョンが存在します。あるものはパケット船に乗る船員の厳しい生活に焦点を当てていますし、また下記のようなバージョンでは航海の細部よりも「旅立つことそのもの」に重点が置かれています。
Fall Down Billy O’Shea
「Fall Down Billy O’Shea(フォール・ダウン・ビリー・オシェイ)」は、私が大好きなシー・シャンティのひとつです。ただし少し告白をしなければなりません。実はこれは厳密には「本物の」シー・シャンティではないのです。この象徴的なフォークソングは、アイルランドのシー・シャンティの例としてよく挙げられますが、実際には1960年代にダブリンの音楽家イアン・マッカーシーによって作曲されたものです。
シー・シャンティのスタイルで書かれており、ダブリンの街で酔っぱらってしまい、気がつけばアメリカ行きの船の乗組員にされていた男たちの情けない物語を歌っています。
Fall down, fall down, fall down me
Billy We’re bound away for Americay,
Fall down Billy O’Shea
こちらは2014年に(まだこの曲が今ほど注目される前に)ダブリンの素晴らしいフォークグループ、Lankum によって演奏されたものです。
正直なところ、アメリカ行きの船の甲板で働く乗組員たちがこの歌を歌っている様子を想像するのに、そう大きな想像力は必要ありません。
シー・シャンティの演奏スタイル
近年登場したシー・シャンティの現代的な演奏スタイル、特にグループが密なハーモニーで一緒に歌うスタイルは、これらの歌が元々どのように歌われていたかを正確に反映しているとは言えません。とはいえ、シー・シャンティがこのスタイルの音楽的表現に非常に適していることは間違いありません!そして実際の船上での音程の外れた合唱よりも、ずっと耳に心地よいのも確かです。もしハーモニーを一緒に歌ってくれる人がいない場合でも、楽器伴奏を加えることはできます。特にアイリッシュ・ブズーキの独特なモーダルな響きは、この歌の伴奏にぴったりですし、より本格的な演奏を目指すならフィドルやコンサーティーナを選ぶのも良いでしょう。
中でもイングリッシュ・コンサーティーナはシー・シャンティの伝統と深く結びついており、和音も旋律も演奏できる柔軟さを備えています。ですから、もしあなたも世界中の人々と同じようにシー・シャンティに心を奪われているのなら、この流行を思い切り楽しみ、この素晴らしいフォークの伝統を生き続けさせるお手伝いをしてはいかがでしょうか。
