アイリッシュ・ミュージックの100枚・その4:おおしまゆたか

ライター:大島 豊

前回の Darach Ó Catháin のアルバムに対して、hatao 編集長が、マーティン・ヘイズが大事にしていることがよくわかる、と書かれていた。そこで今月はそのマーティン・ヘイズのアルバムから始めよう。

003. The Gloaming, Live At NCH; 2018
マーティン・ヘイズは多彩な録音をリリースしていて、この百枚には複数入ってくるだろうが、まずはかれの活動の中でも最もラディカル、先鋭的でモダンな音源をとりあげる。ヘイズの活動はソロとグループに大別でき、そのグループの方の今のところの頂点のアルバム。

編成はユニークだ。Darach Ó Catháin に現代において最も近い位置にいるシンガーの一人 Iarla Ó Lionáird を擁し、これに配するにハーダンガー・ダモーレというオリジナル楽器を操るCaoimhín Ó Raghallaigh と自身のフィドルがリード、ソロ活動の相棒であるギターの Dennis Cahill と、アメリカ人ピアニストの Thomas Bartlett をリズム・セクションに据えている。

ヘイズの音楽は伝統のコアに深く棹挿したオーセンティックなスタイルと、現代の最前衛に出ることもためらわない大胆不敵な冒険とが同じレベルで同居するのを常とする。ソロではそれをデニス・カヒルとの共同作業で体現するが、ここでは役割分担をしているように見える。オ・リオナードとヘイズが伝統のコアを担い、バートレットとカヒルがモダンに足をかける。オ・ライアラがまたユニークで、ヘイズとは異なる角度で伝統とモダンを融合する。

あたしがかれらの録音に気づいたのはやや遅く、セカンドが出たときだった。ファーストと合わせて聴いて、面白かったのだが、今一つ捕えどころがわからなかった。何をやろうとしているのか、摑めない。聴込み不足かと思ったりもした。このライヴを聴いたとき、ヘイズはこれを目指したのかとようやく納得がいった。あるいはヘイズもスタジオ盤に満足していなかったから、ライヴ盤を出したのかもしれない。

このバンドのキモはバートレットだ。アイリッシュ・ミュージックの本流からは最も遠いところで音楽をやってきた、いわば外側から異なる血を注入している。表面的にはジャズの語法を用いて大いに成功しているが、それだけに留まらない。アイリッシュ・ミュージックから遠いといえばカヒルも本来は同じで、ヘイズと組むまでアイリッシュ・ミュージックとは無縁だった。ここではバートレットと共に、あらためて外側に戻ってアプローチしていると聞える。

このアルバムはアイリッシュ・ミュージックがアイリッシュ・ミュージックのままで、どこまで外側に向けて拡張できるか、その限界を探ったものと見ることができる。そして実は限界というものは決まっているのではなく、どのようにも設定できることを示したものでもある。

004. Lasairfhíona Ní Chonaola, An Raicin Alainn; 2002
前項でアイアラ・オ・リオナードをダラク・オ・カハンに現代で最も近い一人と書いた。もう一人、やはりオ・カハンに最も近く、かつオ・リオナードやオ・カハンとは対照的なうたい手がこの人、ラサリーナ・ニ・ホニーラだ。そのデビュー・アルバム。後にセカンドも出している。このアルバムとうたい手については本誌創設者の一人 Michael 菱川さんがぞっこん惚れこんで、そのブログで詳しく書いている。アイルランド語の歌詞についての対訳、解説もある。アルバムの内容についてはそちらを参照されたい。

彼女が対照的というのは、成熟した男性に対して、若い女性のうたい手であることだ。そしてもう一つ、彼女の歌は異界を生むのである。オ・カハンの歌唱は発声といい、歌唱スタイルといい、ごく日常的な、日々の暮らしの中であたりまえに唄われているように聞える。家事をしながら、仕事をしながら、また散歩でもしながら、ふと口ずさまれている。そういう歌に聞える。そしてその日常の時間、世界をそっくりそのまま特別なものにする。

ホ・ニーラの声と歌唱を聴いていると、まずおよそこの世のものと思えない。アイルランドではすぐ隣にあるといわれる異界、フェアリーの世界ならば、こういう声や歌も響いているであろうかと思えてくる。そしてその声でうたわれる歌を聴いている自分もその異界へと移されるように感じる。歌が聞えている間は身も心も異界にある。うっかりすると戻れなくなるのではないかとすら感じる。そしてその体験がひどく気持ち良い。「癒し」という言葉は今ではあまりに簡単に口にされるが、より根源的な、存在の奥のところから「癒される」体験のように感じる。

そしてその歌はアイルランドの伝統歌謡、アイルランド語によるシャン・ノースの伝統から生まれている。その伝統は現代にあって、こうして若いうたい手によって最高の質を備えてうたわれる。

005. Mary Bergin, Feadógá Stáin; 1979
今回の三枚目として、器楽のアルバムを1枚。ティン・ホィッスルは皆様よくご存知、アイリッシュ・ミュージックで使われる楽器として最もシンプルで値段も一番安い。アイルランドでも伝統音楽に親しむ入り口としてよく使われる。しかし、たいていの人はこれで始めても、やがてパイプやフルートや、フィドル、蛇腹へと移っていって、ホィッスルは吹けるけれども、普段はやらないというケースが大半だ。そのホィッスルの名手、第一人者として誰もが指を折るのがこの人、メアリ・バージンである。そしてあの単純きわまる縦笛が、本物の名手の手にかかると、そのシンプルさゆえに、他のどんな楽器もかなわないほど直接的な表現力を備えた魔法の道具に変わる。アイリッシュ・ミュージックのダンス・チューンの本質のところ、根幹の部分からまっすぐに湧いてくるように聞える。笛は世界中いたるところにあるが、どこにあってもそれを生んだ土地の音を響かせる。ホィッスルも例外ではなく、その音を一音聴けば、アイルランドの風が吹く。アルバムのタイトルはアイルランド語で「ティン・ホィッスル」のこと。彼女にはもう1枚、これまたシンプルに《Feadógá Stáin 2》がある。どちらも百枚に入れるに値する。ここではファーストを挙げておくけれども、《2》も合わせて聴かれることを薦める。

バージンはここで複数のキーの楽器を使っている。ストリーミングでは情報が出てこないようなので、参考までにキーとそれが使われているトラック・ナンバーを記しておく。

Eb: 1, 4, 8, 10, 12
Bb: 2, 9
F: 3, 5, 7, 11
D: 6
C: 13
low G: 14

hatao 編集長はホィッスルも巧い。1枚くらい、このアルバムと肩を並べるだろう、ホィッスルだけのアルバムを聴いてみたい。(ゆ)